from 岐阜 – 16 - 長良川母情 第16話 ~「おnew?」の黄色い傘と長靴~

(2009.09.08)

花屋の店先で紫陽花の鉢植えを見かけると、初めて傘を買ってもらった小さな頃を思い出す。あれはまだ、小学校に上がる前のことだ。母が黄色の小さな傘と、お揃いの黄色の長靴を買い与えてくれた。ぼくはすっかり有頂天。しかしその日は生憎の日本晴れ。「母ちゃん、明日って雨降る?」。ぼくは何度もそう尋ね、母を困らせたことだろう。

その日は渋々茶の間の片隅に飾りつけ、童謡の「あめふり」を雨乞いのように口ずさんだものだ。だが童謡では神通力を欠くのか、翌日もまたもや快晴。ついに我慢がならず、茶の間で長靴を履き、傘を差し、畳の染みを水溜りに見立て一人遊びを始めた。「あめふり」を口ずさみながら、クルクルと傘を回し、水溜りをピチャピチャと行ったり来たり。だが調子良く傘がクルクル回ったのはそこまで。「ペタッ」と鈍い音がした途端、さっきまで軽快に回っていた傘が急に動きを止めてしまったのだ。何とも間の悪いことに、そこへ洗濯物を干し終えた母が登場。もはや万事休すである。「何しとるの! 部屋ん中で傘差す奴が、何処におるんじゃあ! おまけに畳の上で長靴まで履いてっ! ええ加減にしとかなかんよ!………?」。母の視線が何故か、傘の上部で釘付けに。

「ああああっ! ほれみぃ、蝿取紙が傘に巻き付いてまっとるがね!」。せっかく買って貰ったばかりの「おニュー(昭和半ばの頃は、まっさらな新品を、英語のNewにご丁寧に「お」まで付け、そう呼んだものだ)」の黄色い傘に、蝿取紙の焦げ茶色したネバネバの膠(やに)のような液体と蝿の亡骸(なきがら)がベットリ。変わり果ててしまった「おニュー」の傘。ぼくはボロ雑巾で、何度も擦り取ろうとした。だが擦れば擦るほど、布の織り目に焦げ茶色のネバネバがはまり込み、まるでぼくを嘲笑うかのように広がって行く。だからか、今になってもその焦げ茶色が、梅雨明けに立ち枯れた紫陽花と重なり、遠い日のほろ苦さが鮮明に浮かび上がるのだ。

 「紫陽花は健気(けなげ)でええもんやよ。雨に打たれてその度に色を深めて行くんやで。あんたも紫陽花が好きなんやろ?」。金華橋のわずかに北西。岐阜市津島町の『サワダ花店』、女将の澤田佐代子さん(81)が、紫陽花の鉢植えに魅入られたままのぼくに声を掛けた。「ほんと紫陽花ほど雨が似合う花は、他にないな。赤にしても青いのでも、一雨ごとに色が変ってくで、庭先に置いといても飽きがこんのやて」。佐代子さんは昭和28年に、叔父の紹介で輝義さん(81)の元へと嫁いだ。「その5年後には、主人が鷺山で花屋を始めたんやわ」。佐代子さんも会計事務所に勤めながら、夫を支え続けた。「昭和47年には勤めを辞めて、ここの半分で私が喫茶店して、もう半分が主人の花屋」。お子さんはと問うてみた。すると「授からんかったんやわ」とポツリ。

店先で雨に咲く、淡い色した紫陽花。佐代子さんはまるで我が子を見るように、やさしい眼差しを向けた。

*岐阜新聞「悠遊ぎふ」2009年6月号から転載。内容の一部に加筆修正を加えました。

 

<追記>

花屋の店先が天然色に染まる秋。十五夜にお彼岸、敬老の日と、9月は花を供えたり贈ったりする機会も増す。だからさぞかし忙しかろうと、そう案じながら電話を入れると「まあ主人共々、なんとか元気にやっとりますでね」と、何はともあれ佐代子母さんらしいマイペースなご様子振りだった。

 

Googleマップ: 16 岐阜市津島町『サワダ花店』

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岐阜駅を北へ約3㎞。金華橋を北へ越え約200mを左折。

*地図のポイントは、「岐阜市津島町6-32」で検索した場所です。