from 山梨 - 27 - 晩秋の大菩薩トレッキング
大菩薩峠からスカイツリーが見えた!
(2012.11.20)
暑かった今年の夏のおさらい。
今年、私の住む山梨では、平年より4日ほど早かったらしい7月17日の梅雨明けと、お盆前後から続いた厳しい残暑のおかげで、半袖の服を着て過ごす期間がとても長かった。
「自分でも気づかないうちに体調を崩していて、ほかの人以上に暑さを感じているのかもしれない。いくらなんでも”身体にこたえる暑さ”というにも程がある」などと思っていた矢先の9月13日、「甲府市では7月23日以降、真夏日が53日連続となり、統計史上最長となった」「13日の甲府市の最高気温は平年より5.5度高い34.1度」などというニュースが報じられた。
この後も記録の更新は続き、最終的には9月18日まで、58日間連続真夏日という観測史上最長記録を残す年になっていた。
甲府市が連続真夏日記録を更新している中、富士山は平年より18日も早く、そして北海道の大雪山系・旭岳よりも早い9月12日に初冠雪。
「暑い暑いと思っていても、秋はもうすぐそこまでやってきているのだなあ」などと定型的に思ったのもつかの間、富士山の積雪はあっという間に甲府市内から視認することができなくなってしまった。
甲府市では真夏日「連続」記録が途絶えた後も、30度前後の日は10月に入っても続いていたのだった。
もう今年は秋なんて来ないのかもしれない……冬になるまで夏なんだ……そんな風にも思い始めた10月中旬、17日から18日にかけて冷たい雨が降り、翌19日に青空を背負って顔を出した富士山は、今度はしっかりと雪化粧をしていた。
というわけで今年は近づいてくる秋の足音を聞き逃してしまい、あわてて足を運んだ大菩薩嶺も、鮮やかに色づいて今が盛りの紅葉は標高1,580mの上日川峠付近まで。
それより上は冬に向かう衣替えの真っ最中、といった感じだった。
大菩薩を歩くルートのまとめと富士山。
この日のルートは、『ロッヂ長兵衛』横登山道入り口→『福ちゃん荘』→唐松尾根→大菩薩嶺→雷岩→賽の河原→大菩薩峠『介山荘』→『勝縁荘』→『富士見山荘』→『福ちゃん荘』→『ロッヂ長兵衛』で、所要時間は4時間ほど。
これを逆回りするルートや、丸川峠を経てもっと下から登ってくるルート、『介山荘』から石丸峠を経て小屋平へ抜けるルートなど、選択肢はいくつもあるけれど、個人的には上に書いたこの日のルートが一番楽なので、大抵ここを歩いている。
朝9時半頃に着いた『ロッヂ長兵衛』付近の駐車スペースはすでに一杯。
そのまま10分ほど車を走らせたところにある大きな『大菩薩湖北岸駐車場』へ車を停める。
この大菩薩湖は上日川ダムによって形成された人造のダム湖で、今から歩こうとしている大菩薩嶺や、それと反対方向には富士山も望むことができる。
ここまで来ると登山道入り口がある『ロッヂ長兵衛』までずいぶん歩いて戻らなきゃいけないような気がするけれど、駐車場横から入ることのできる自然観察遊歩道を歩けば車で走ったのと同じくらいの時間で戻ることができるので、スペースが広々としているこの駐車場は案外便利だと思っている。
というわけで、今年最後の大菩薩歩きスタート。
『福ちゃん荘』の分岐を唐松尾根方向に進み、盛りの頃には金色に輝く唐松林の中を抜けると、時々は岩を手でつかんで「よいしょ」と声を出して登るような、おそらくこのルートの中で一番大変なところに出る。
私がこの唐松尾根を下りではなく登りに設定するのは、ここを下ってくるのが嫌だから。
ここに限らず、少々荒いところでも登るならしがみついて登れるけれど、そこを下るとなると足元が不安になってしまう。
なので、ルートの中のきついところは、それが可能なら登りのルートに入れたいと思っている。
富士山を眺めながらのお弁当は格別!
大菩薩嶺から大菩薩峠の『介山荘』までは、右手に富士山と甲府盆地を望みながらの気持ちの良い尾根歩きが続く。
このあたりでお弁当にしている人も多い。
ひと運動して、山で食べるお弁当はなぜあんなにもおいしいのか、と思う。
梅干しや鮭といった定番の具を入れて海苔を巻いたおにぎりと、卵焼きとウインナー。
これだけのお弁当でも心の底からおいしく感じるし、そのことが山を歩く動機になりさえする。
ところで、山の上で調理をしているグループを時々見かけるけれど、あれは完食、もしくは全て持ち帰るようになっているのだろうか。
たとえばおにぎりひとつであっても、包んであったセロファンやラップが風に飛ばされて、本来持ち帰らなければいけないものを山に残してしまうなんてことがあるはず。
だから山へ持っていくお弁当は食べ残しが出ないように、また、ゴミをまとめやすいように作るようにしているのだけど、そもそもアウトドアに弱い私にとって、山で調理をするというのは至難の業。
カップ麺やインスタントラーメンのスープ程度なら全部飲み干せるけれど、山の上の鍋料理は汁を全部飲み干すのだろうか、はたまたこぼさずに持ち帰るのか、山の上でパスタをゆでて、ゆで汁は持ち帰るのか、などなど気になることが多い。
いや、むしろそれができるから山の上で調理して食べようと思うのだろうし、そもそも道具を揃えて山に持って登る時点で「ちゃんとできる」ということなのだろうから、素人が思いつきで手を出せる領域ではないということなのだろうな、と思う。
そんなことを考えるも、すぐに気持ちの良い眺めに心を持って行かれ、のんびりと尾根を歩く。
この辺りは風の吹き曝しになる場所なので、時々はびっくりするくらい気温が低くなっていることもあるけれど、この日は暑くもなく、寒くもなく、お天気も良くて実に気持ちが良かった。
関東平野に出現したスカイツリー。
標高1,897m、『介山荘』のある大菩薩峠は、山梨県北都留郡小菅村(こすげむら)、丹波山村(たばやまむら)と、旧・塩山市(現・甲州市)に接する峠。
また、山梨県は御坂山地と大菩薩嶺を境にして、東側の郡内地方と西側の国中地方に分かれているため、大菩薩峠は郡内と国中をつなぐ峠でもある。
中里介山の有名な長編小説『大菩薩峠』冒頭には
“大菩薩峠は江戸を西に距る三十里、甲州裏街道が甲斐国東山梨郡萩原村に入って、その最も高く最も険しきところ、上下八里にまたがる難所がそれです。
標高六千四百尺、昔、貴き聖が、この嶺の頂に立って、東に落つる水も清かれ、西に落つる水も清かれと祈って、菩薩の像を埋めて置いた、それから東に落つる水は多摩川となり、西に流るるは笛吹川となり、いずれも流れの末永く人を湿おし田を実らすと申し伝えられてあります。
江戸を出て、武州八王子の宿から小仏、笹子の険を越えて甲府へ出る、それがいわゆる甲州街道で、一方に新宿の追分を右にとって往くこと十三里、武州青梅の宿へ出て、それから山の中を甲斐の石和へ出る、これがいわゆる甲州裏街道(一名は青梅街道)であります。
青梅から十六里、その甲州裏街道第一の難所たる大菩薩峠は、記録によれば、古代に日本武尊、中世に日蓮上人の遊跡があり、降って慶応の頃、海老蔵、小団次などの役者が甲府へ乗り込む時、本街道の郡内あたりは人気が悪く、ゆすられることを怖れてワザワザこの峠へ廻ったということです。”
と描かれている(引用元:『青空文庫』)。
というわけで、大菩薩峠からは奥多摩湖やその先に関東平野を見渡すことができるのだけど、今年その関東平野にスカイツリーが出現した。
そんなことは想像もしていなかったので、撮った写真を大きく表示したとき、端の方にぼんやりとスカイツリーが写っていてびっくりした。
スカイツリーがライトアップされた様子をここから見てみたいものだと思う。
さてさて、冬へと向かう山はなぜか急ぎ足。
春になったら、また来ます。