from 香川 – 14 - 本州と四国の大動脈、瀬戸大橋の塔頂から。

(2010.11.17)
瀬戸大橋の頂上から見た風景(岡山方面)

明治維新によって世の中が一新。日本の政治、経済、社会が変動し始めた激動の時代を生きぬいた多くの偉人達は、壮大な夢や希望を抱き、未来の日本を見据え問いかけながら、大きな舞台で最大のエネルギーを費やしてきました。そのうちの1人、元香川県議会議員 大久保諶之丞(おおくぼじんのじょう)さんが、1889年(明治22年)5月に、本州と四国の間に橋を建設する構想を提唱したのが、“未来架橋”瀬戸大橋(瀬戸中央自動車道)の始まりです。

 

先人の思いを、いつの時代も継承してきた私達人間は、未知への夢や可能性を追い求め挑戦し、諦めない一心でこれまで成長してきました。本州と四国を一本の橋で結ぶという、壮大な夢のようなプロジェクトの実現に、はからずも本格的に国を動かすことになった痛ましい事件があります。1955年(昭和30年)に瀬戸内海を渡る人々の足として運行していた「宇高連絡船」(岡山・宇野港―香川・高松港)の「紫雲丸」が貨物船と衝突して沈没、修学旅行中の小中学生ら168人が死亡するという大惨事がおきました。そのことからも、橋の必要性が真剣に叫ばれ、1969年(昭和44年)新全国総合開発計画の閣議決定、高速交通網通信網の形成を図るため、架橋の構想が具体化していきました。

 
やがて、瀬戸大橋という未来架橋は、明治・大正・昭和の激動の時代変遷の中、1978年(昭和53年)着工開始から約9年半という長い年月をかけ、多くの人達の魂が熱く関わり、技術の粋を結集して創造を重ね、構築され完成しました。

 
さて、私が瀬戸大橋について再考させられるきっかけになったイベントがあります。
1年に2回、春と秋に行われている『瀬戸大橋スカイツアー』です。
今秋の開催は、10月16日、17日、23日、24日の4日間にわたり開催され、私は幸いにも17日に参加することができました。おかげで瀬戸大橋スカイツアーを通して、当時の壮大な橋の建設プロジェクト過程を少しだけ垣間見ることができ、探検することができましたのでご紹介しましょう。

 

瀬戸大橋スカイツアー

「瀬戸大橋スカイツアー」は、平成15年の本州四国連絡橋公団の時代から始まり、平成17年に公団が民営化され本州四国連絡高速道路が設立されて以来、今年で7年目を迎えます。

スカイツアーに参加するには、インターネットや往復葉書により応募しなければなりません。その後抽選で無作為に選ばれた600人が参加でき、今年の秋の応募者数は、3861人、なんと6.5倍の高倍率となりました。平成15年当初から人気の高さが伺えます。
 

向かって左写真は、出発前に本四高速の方からツアールートと注意事項が説明されます。
右写真は、先のグループが管理用通路上を歩いている模様です。

 

スカイツアー参加者は、与島PA(パーキングエリア)に集合。参加費は500円、参加者には、ヘルメットと軍手が貸し出され、眼鏡使用者には、脱落防止の眼鏡ストラップ/カメラや携帯電話持ち主には落下防止の為、首からぶら下げられる用にストラップが貸し出されます。橋からの異物落下は、真下の通行に対し、非常に危険を伴いますから厳重に注意するようにと説明されます。ツアーは30分おきに15名程度の班に分かれ行われます。全行程約1時間30分程度です。初めに本四高速の方がパネルを使用し、ツアー行程と注意事項が説明されます。高所恐怖症の方は十分に検討して参加されることをお薦めします。

実は私も高所恐怖症ですが、瀬戸大橋の塔頂部分まで行き、パノラマに広がる瀬戸内海の美しさと本四の景色を高い目線で眺めたくて、頑張って参加しました。

ツアールートは、アンカレッジ(橋を吊っているケーブルを固定する橋台)の中へ入り、エレベータで昇降後、北備讃瀬戸大橋の管理通路上に到着後、通路を経由しながら、与島から香川県坂出市方面に向かって歩き、主塔内部へ入り塔頂を目指します。

 
本四高速の方を先頭に、アンカレッジまで歩き、中に入ります。アンカレッジ内は、薄暗くて吹き抜けになっており、エレベーターを使用し橋げたまで上がります。階段を経て、管理用通路(海面から約65㍍)に到着です。外の景色が一望できますが、足下は、オープングレーチング床板になっており、下を見ると隙間から、海面が見えます。この日は、非常に好天に恵まれ、遠く彼方には瀬戸内海を行き交う船が一望でき、海面もキラキラと輝き、爽快でしたが、やはり恐怖がつきまといます。

管理用通路から見える瀬戸内海の眺め。

管理用通路のすぐ隣には、鉄道の線路があり、本州と四国を結ぶ瀬戸大橋線が通っています。建設当初は、瀬戸大橋に新幹線を通す計画があり(現在は中止になっている)吊り橋もその計画を含めて重量計算して造られている為、新幹線が通るはずだったあきスペースに、新幹線の代わりに巨大な金属の箱を置いて、おもりにしています。ほとんどが鋼材でできており、世界最大級の道路・鉄道併用橋です。道路・鉄道併用橋と言えば、2008年に姉妹橋縁組が決まった、北欧の地にある、オーレスン橋(スウェーデンとデンマークを結ぶ道路鉄道併用橋2000年7月に開通)も記憶に新しいですね。

 

さらに、恐怖感にあおられながら管理通路を前方へ進んでいく途中で、幾度か電車が通過します。そんな時は、見学者への配慮もあり、公団職員さんも立ち止まり、シャッターチャンスを与えてくれます。電車が通過することで、大きな衝撃があるかと思いきや、全く揺れず安心して写真を撮る事ができました。

管理用通路を歩いていると、真横を電車が通過しました。

主塔の際まで来て階段を上ると、車道(瀬戸大橋自動車道)の脇にでます。真横に車が高速で走っている姿を横目に、爽快な気分の反面、恐怖感がさらに増し、ますます足がすくみます。あまりにも橋のスケールが大きく、一瞬小人になった気分がしました。さて、いよいよ絶景が待っている橋の塔頂へ向け出発です。主塔内部のエレベーターで10階まで上昇し、迷路のような塔頂水平材内部へ移動、最後2㍍ほどの梯子を上り、天空に近い空間、水平台に到着です。
 

水平台から見えた本州側。
香川県坂出市側。

それは、今までの恐怖感が一気に吹っ飛ぶ瞬間でした。「うわぁ~っ!」と叫びたくなるほどの絶景です!海抜175㍍から眺めると、岡山、香川へと伸びる橋と自然の恵みがおりなす光景は、圧巻の一言です。瀬戸内海という穏やかな海原に包まれた、世界に誇れる観光資源である瀬戸大橋、陽光に輝く波模様、この青い空とエメラルドに輝く海の大スケール全体が歴史を物語るアートそのものです。

一緒に同行していた参加者達も、突き抜けるような青空と海と街のコントラストの美しさと塔頂から眺めた高さに、歓喜の声をあちらこちらで発し、我を忘れて写真撮影するばかりでした。

改めて、瀬戸大橋を通じて『瀬戸内海という宝物』を考えさせられた15分間でした。
全員で記念撮影後、帰路は、往路と反対側の主塔を通り降りていきます。反対側の東側管理路から見える風景は、鍋島灯台(英国人ヘンリー・ブラントンにより建てられた洋式灯台)や、廃校になった学校、民家が目に入ってきます。与島の人口も現在は約140人、ここでも過疎化が進んでいるようです。橋の東側には、島民の生活の妨げになる騒音を計測するため、騒音測定用マイクが設置されていたり、少しでも音を緩和させる為に防音壁が設けられています。

橋の点検、塗装を行う時に利用する外面作業車の説明を行ってもらった後は、再びアンカレッジ内に戻ってきました。さてここからは、今回のツアーで見学することができなかった部分や、橋の模型、橋ができるまでの重要な過程が説明されたパネル展示など解説をしてくれます。最後に、塔頂部で撮影した写真をプリントした「主塔制覇認定書」がもらえ終了です。

 

寿命200年を目指して

「創業守成」という言葉があります。公団の時期は、インフラ整備そのものの価値が中心であったと思われますが、民営化されて以来、「橋を利用していただく」、「大切にしていく」「世界に誇れる技術の結集を伝える」ことの意識が高くなっているのではないのでしょうか。この世界に誇れる瀬戸大橋の技術力の高さ、また瀬戸大橋で本四が結ばれ、交流するという面からも大きな役割を担う橋として、未来へと希望を運ぶ夢路となり、寿命200年の架け橋を目指しています。その為には、常日頃の橋のメンテナンスが必要になります。

橋の外面部分は、塗装内部に塩分が入り錆を生じることを防ぐために、すべて手塗で塗装しています。ケーブル内には、空気が通るための隙間が作られており、湿気がたまらないように乾燥させ、劣化を防いでいます。海中の基礎となるコンクリートは、外部を覆っている鋼製ケーソン外壁が海中にある為、再塗装が不可能なので、電流を流すことで海中にある石灰分を電着させるのだそうです。

 
こうして、技術者達は、約18年のサイクルで毎日懸命な努力を積み重ね、橋全体の内外から錆を防ぐ作業に従事し、耐久性を保つ為に力を注いでいるのです。

 

本四高速総務課の鎌倉さんの話によると、「瀬戸大橋スカイツアー」の狙いは、普段は、本四を結ぶ鉄道・高速道路としての大役を果たしている橋ですが、この橋をもっと身近に感じてもらう為にイベントを開催しているとのこと。間近で橋が見学でき、普段一般開放していないアンカレッジの中に入り、身近に体験できます。この機会でないと、橋の構造部分に入り昇ることができない希少価値があります。そこから橋の偉大さと、橋に対する興味がでてくるきっかけになるといいます。

また、海面から約175㍍の高さある橋の主塔部分まで昇る過程で、瀬戸内海の美しさや瀬戸の風土を感じてもらうことができます。応募者は、中四国からが大半ですが、近畿地方など遠方から訪れる観光客も多く、日帰りでは…という方々は、宿泊の期待もできるので、観光誘致にもつながると考えられています。

このツアーを通して、橋の歴史、役割、規模の雄大さを体感し、歴史的に稀有な事業であることを、このイベントから受けた満足感とともに、全国各地に再発信していく、
ということが、一つの目的になっているのでしょう。

 

飛躍……チャンスを形に

瀬戸大橋が開通して以来、今年で22年目を迎えます。
瀬戸内海は、古代から文化の交流経路として栄え、その島々に人が住み、街をつくり上げました。江戸から明治へ時代が動くとき、その原動力となった西洋の文化も、瀬戸内海を行きかう蒸気船や帆船によりもたらされました。

そして20世紀。日本の誇る技術は、瀬戸内海の両岸と島々を結ぶことに成功しました。

与島PAから眺めた瀬戸大橋。

開通後まもなく、日本のバブルがはじけ“空白の10年”の時を経て、景気低迷が続く中、高速料金問題など、社会情勢に常に左右され続けてきた瀬戸大橋。常に戦いの中にあろうとも『つなぐ』ことで、人の交流・物流、街の活性化、ビジネスチャンスなど多くの礎となり大役を果たしてきました。
これまでの歴史を踏まえながら、海から見た陸の交流を掲げ、海を生かした世界に誇れる観光資源として利活用していくべきだと考えます。

前作までお届けしてきた、瀬戸内海に浮かぶ7つの島を舞台として開催された大冒険 瀬戸内国際芸術祭も、10月31日で幕を閉じました。芸術祭でも新たに学んだ『気づく』という最小で最大の『鍵』を生かしながら、海の復権でもあり、改めてアートを通じて、島の歴史や現状を知る良い機会であったにちがいありません。
香川県は、アートの風の中で今後も開国へと導く『鍵』を生かしながら、瀬戸大橋と共に、歓声を運ぶ夢路となり、地域全体が未来へと大きく飛躍していくことを願っています。

 

本州四国連絡高速道路株式会社 http://www.jb-honshi.co.jp/seto-ohashi/

香川県ホームページ http://www.pref.kagawa.jp/