from 岐阜 – 9 - 長良川母情 第9話 ~槙風呂桶に湯を張れば、昭和の在りし日が薫る~

(2009.07.21)

郡上八幡の町中を後に、川沿いをのんびり南へと向かう。つい先月までは、わずかに歩を踏み出すだけで体中汗まみれだったのに、川面を滑るように吹き抜ける風がなんとも心地よい。両岸に迫る小高い山は黄色く色付き、鱗雲の空に鳶が悠然と輪を描く。『こんな景色でも眺めながら、温泉三昧と洒落込みたいものだ』と、ちょうどそんなことを思っていた矢先、街道沿いに現れた1軒の店に目が吸い寄せられた。通りに面した大きな硝子窓から中をこっそり覗き込む。そこには少し陽に焼けた四角い槙風呂が。

我が家に初めて内風呂がやって来た日の記憶が鮮やかによみがえる。もう40年以上も経つだろうか。我が家は父母とぼくの3人家族。伊勢湾台風で全てを失い、名古屋の片隅にあった公営住宅で暮らしていた。新築平屋の一戸建てと言えば聞こえはいいが、実情は6畳2間に小さな台所と汲み取り式のトイレだけ。当然、風呂など贅沢な設備は無く、近くの銭湯へとせっせと通ったものだ。「いつかは内風呂を!」。それが両親のささやかな夢だった。父は日曜が来る度に、安普請の風呂小屋造りに取り組んだ。それでも3ヵ月もすると、それなりの小屋が建ち上がり念願の槙風呂が据え付けられた。父から母への、最初で最後の最大のプレゼントだったかも知れない。ついに我が家に、内風呂開きの日が訪れた。もう記憶に無いのだが、恐らく父と母は互いに一番風呂を譲り合ったことだろう。

「なんだか槙風呂が懐かしそうやね」。いつの間にか女将が顔を覗かせ、ぼくに語りかけていた。「昔はどこもこんな木桶のお風呂やったもんね」。郡上市八幡町吉野の郡上八幡工芸『たにぐち』。店内にはズラッと匠の技で仕上げられた工芸品が居並ぶ。谷口秀子さん(61)は、女将と言うよりも匠の技を語らせたら、ちょっとした工芸館の館長のようだ。「湯を張ると独特な木の香りに包まれ、何や心も身体も癒されるようでええもんやて」。秀子さんは昭和22(1947)年に、長良川に架かる法伝橋を渡った村で生まれ、20歳の年に建具師の武一さん(69)の元に嫁いだ。「知らん間に、親たちが勝手に決めとったんやて」。やがて二人は一男三女を授かった。「主人とふたりして頑張った甲斐あって、やっと跡取り息子に恵まれたんやて。もう技術はすっかり身に付いて一人前やけど、肝心要の嫁さんの来てがないんやわ。どこかに誰ぞええ人おりませんやろか?」。母はいつまで経っても、腹を痛めた我が子の行く末を案ずるものだ。「ここのは、みんな地元産の銘木やに。5年ほどかけて自然乾燥してから、材の特徴に応じて箪笥とか座卓にするんやて。釘一本使わぬ蟻組みの技で組み立て、最後に拭き漆で仕上げれば完成」。自慢の夫と息子が造り上げる郷土の建具。秀子館長は心なしか誇らしげに、秋晴れの郡上の空を見上げた。

*岐阜新聞「悠遊ぎふ」2008年11月号から転載。内容の一部に加筆修正を加えました。

 

<追記>

♪郡上のなあ 八幡出て行くときは♪ 郡上の町に夏の訪れ。今年も7月11日から400年の歴史を誇る『郡上おどり』が開幕した。お盆の4日間/8月13〜16日(木〜日)は、クライマックスの「徹夜おどり」を迎え、全国各地から訪れる老若男女が、「古調かわさき」の節回しに合わせ踊り明かす。郡上おどりは、9月5日(土)までの32夜に渡り、山間の小さな城下町を彩る。「これからが一番、郡上が賑やかになる季節やでね」。秀子母さんは、電話口で心なしか浮かれているようだった。

 

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