土屋孝元のお洒落奇譚。プーケットタウンのカフェにて……。

(2010.10.26)

アンダマン海の真珠と呼ばれるプーケットにあって、歴史を感じさせる街、プーケットタウンについての想いを。

はるか、大航海時代まで遡りスペインやポルトガルが世界を制覇していた頃、バスコ・ダ・ガマやマゼランが世界の果てまで探検した後(のち)。錫が取れることや海上交通の要衝地として、モンスーンを避ける湾があるからでしょうか。ここプーケットタウンが開けたようです。

©Takayoshi Tsuchiya

ここで錫製品について。
錫製の(欧米ではピューターとも呼ばれる。金属の化合率により多少の製品の違いはありますが。)スキャットルや花瓶、マグカップは保温性、保冷性と水を浄化する特性に優れ、中身を美味しくまろやかにすると今でも人気があり、また錫は融点が低いため、加工し易く優れた工芸品を作ることができます。

中国では、古代より、井戸の中に錫を入れ水を美味しくしたそうです。錫製のビアマグは、保冷性に優れ そのために泡が消えにくく、ビールの旨味を引き立てることで知られています。京都寺町通りにも、有名な錫製品の加工屋さんがあり、僕も香立てやビールグラスなどを 昔、もとめました。

大航海時代。その前に遡ること70年。
明の武人皇帝、永楽帝の時代には、鄭和の遠征隊がやって来たのでしょうか。明が南方の諸国との交易ルートを開くために派遣した探検隊で遠くインド、アラビア、アフリカまで達したようです。このルートはマルコポーロのシルクロードと並び、海のシルクロードとも呼ばれています。

鄭和について、簡単に触れると、明の永楽帝に使えた宦官(かんがん)で武将として船団を率いました。船は宝船(ほうせん)と呼ばれた全長120メートルを超えるモノで、(当時の西洋帆船よりはるかに大きい、コロンブスのサンタマリア号は全長70フィート、18mぐらいです。)遠征を7回も行い、永楽帝の信望を受けた人物です。

その後、プーケットタウンに移住したのは、客家(ハッカ)。そのルーツは周から春秋戦国時代の王族の末裔で、中国中原の正当な華人として中国南部から台湾、東南アジアまで広く存在し、政治、経済の中心に位置する人を多く出す民族や華僑の人達ですね。現在でも、東南アジアでは、客家の繋がりは深く、シンガポールのリー・クアンユーやタイのタクシン、鄧小平、台湾の李登輝などは有名な客家の政治家でした。タイガーバームの創業者も客家です。華僑達はポルトガル人達の残した住宅に住み、現在のシノポトギース様式が完成したのでしょうか。

住宅の特徴としては、間口が狭く、ちょうど京都の町屋のような感じで、入ると、中庭が開けていて家の中まで光が入るようにできています。家によっては噴水があったり、スペインやポルトガルのようなタイルで装飾され、表の町の喧騒はなく、静かな佇まいです。

レオナルド・ディカプリオが出演した、映画、『ザ・ビーチ』に登場したホテル、『ON ON HOTEL』近くにある骨董屋に入り、色々と何かないかと見て回りました。

©Takayoshi Tsuchiya

アフリカのお面や、ボルネオ、スマトラの祭器、バティックの古いモノ、タイの少数民族の衣装やミャンマーのビーズ製品や貴石製品、清朝の肖像画、中国の古く見える陶磁器(見たところ清朝の民窯のモノか官窯の写しで、官窯であれば大変な値段ですが、それほどでもないように思います。官窯は裏に康煕とか、乾隆とかの皇帝の名前が入ります。)や、アラビアの部族の短剣(映画アラビアのロレンスでもアラブの戦士達は皆、短剣を差していました。何かの文献で読んだ記憶ですが、アラブの部族によっては、成人男性はこの短剣を持ち成人した証しとしているとか。)いかにもお土産品と言ったモノまで玉石混合でいろいろとありました。

街をみて感じたことは、中国寺院が多いこと。プーケットタウンの七割りぐらいは中国系のタイ人ということです。タイと言っても、ここ南部では、中国系、マレー系、インド系、の人達を多く見かけます、混血も多く、一見してはわかりにくいのですが、少数民族の血も入っているかも知れませんね。
シノポルトギースの街並みを眺めながら、しばし、大航海時代に想いを馳せ……。