from 北海道(道央) – 53 - 「共和かかし祭」。
土地と人智の豊かさに触れる。

(2011.08.29)

「かかし祭」に行こうよ。

共和(きょうわ)町で「かかし祭」やっているので、行こうよ。美味しい料理も生ビールもあるしさぁ……。

そうか。ただ単に案山子(かかし)が沢山展示されているわけではないようだ。特に、美味しい料理や生ビールがあるとなれば、話は簡単。しかも、自分は車の助手席。

札幌から車で約2時間、小樽からだと約1時間、積丹半島の南西の付け根辺りに位置する共和町。積丹半島と言えば、かつて「ウニが寝転がっている」と自分が評したほど、透明な海岸線を有する北の海。間違いなく海産物の宝庫である。

その海岸線の一部を行政区域とする共和町で、「かかし祭」が開かれているのだとすれば、海産物に加えた農産物の宝庫であることに、間違いないはず。

それにしても、「かかし祭」。全国の稲作地帯で開催されているが、共和町では今年31回目を迎えるという、北海道内を代表する立派なかかし祭なのだ。もちろん、テレビ局の取材も入っていて、その日の夜のニュースでオンエアされていた。

子供の頃『オズの魔法使い』を読み、脳無し案山子のイメージを強く持ちつつ、あの賢いカラスを退治するにはいささか心細さも感じさせる案山子。アメリカに限らず、スイスなど、ヨーロッパにも案山子は存在するようで、そこに「神話性」や人間が社会的に形成した「知恵」をどこかしら感じさせる存在でもある。


雷電海岸は、豊富な果実をも産み出す。

もう一つ子供の頃の記憶を辿れば、共和町の海岸線には「盃(さかずき)温泉」があり、札幌からキャンプで日本海側を南下するたびに、この地名を目にしていた。通り過ぎることが多かったのだが、たまに立ち寄ると、その泉質のよさに感動。ちなみに、この盃温泉付近は「雷電(らいでん)海岸」と呼ばれている。

この雷電海岸から名前を借りた共和町が誇る上質な果物。それが「らいでんスイカ」であり、「らいでんメロン」。光センサー撰果システムにより、安定した高品質かつ一定の糖度を保った商品を、全国に送り出している。

今回の「かかし祭」ではJAの皆さんによる即売も行われていたので、スイカとメロンとを購入してみたが、特に北海道一の出荷量を誇るという「らいでんスイカ」は、実がびっしりと詰まっていて絶妙な甘さ。北海道の短い夏を楽しむには、とてもよい買い物をした。

また、民営化される前、共和町のお隣の岩内(いわない)町へと汽車の分岐点となっていた「小沢(こざわ)駅」。ここの名物「トンネル餅」。海岸沿いに断崖絶壁が続く海岸線は、線路も道路もトンネルなしには通ることはできず、「すあま」でありながら駅弁のパッケージに入った「トンネル餅」は、今も共和町のコンビニなどで購入することができる。

「かかし祭」だからと言って、決して稲作だけではない共和町の実力のほどを、知ることができる。

 

 

「老古美」と書かれても……。

共和町の凄いところは、これだけでは終わらない。

共和町老古美。「老古美」=「おいこみ」と読むなど、まぁ、北海道の我々の祖先は、なかなか洒落た名前を考えるものだ。

岩内町、雷電海岸、さらには積丹の西に広がる日本海の海岸線では、かつて鰊が大量に捕れた。その頃には、運搬手段としての「馬」が必要であり、その馬の力が必要ない時季に馬を追い込んだ土地。それが「老古美(おいこみ)」の地名の由来だとか。

そこに個人として日本で最初の「カマンベールチーズ」を造った「クレイル」さんの工場、さらにはご家族で営まれている「ティールーム・ケンブリッジ」がある。

チーズ好きな方々には有名な「クレイル」。

フランス国立農学院研究所で学び、「乳製品発酵技術」の資格を取得した西村会長が、1975(昭和50)年に「西村チーズ」の創業からスタートし今日に至った、北海道が誇る地場産業の一つ。

ワインを中心として、仕事柄、札幌から北へと目を奪われていた3年間だったが、少し南へと目を向けただけで、更なる北海道の魅力を感じずにはいられない。


かかしを通じて「人智」の無限さを感じる。

雷電海岸から少しばかり北へと向かうと、北海道電力「泊(とまり)原子力発電所」がある。

これまで書いてきたように、決して長いとは言えない時間ながら、共和町は地域資源を地道に育て、改良し、さらに新たな息吹をもそこに産み出した。

それは、土地の豊潤さだけによるものではなく、我々が知り得ない血が滲むような数多くの皆さまの努力が結実した結果なのだろう。

福島第一原子力発電所の事故は、未だに収束することなく、多くの皆さまが今も避難生活を余儀なくされており、心からのお見舞いを申し上げたい。

泊村には、北海道で最も古い「茅沼(かやぬま)炭鉱」があった。1856(安政3)年に「燃える石(石炭)」が発見され、1867(慶応)3年には日本最初の鉄路を敷き、日本の戦前のエネルギーを支える石炭採掘を始めた炭鉱である。

最盛期に約1万人いた人口も、閉山とともに減少し、新たなエネルギーである「原子力発電」の誘致を周辺町村とともに進め、今日に至っている。

2011年3月11日以前、使っていることさえ意識することがなかったであろう「電力」。

「人智」によってもコントロールの効かない技術の上に、ひょっとすると胡坐をかいてきた我々だが、「かかし祭」で表現された数多くの案山子たちを眺めていると、「人智」は「思考停止」を自ら選択しない限り、途方もない豊かで無限大なものであるように、人間としてまだまだ未熟な自分はそう感じた。