青森県立美術館10周年記念 青森EARTH 2016 「根と路」 Roots and Routesすべては「在るべき場所」へ、向かっている

(2016.11.10)
淺井裕介《根と路》(2016)展示風景 撮影:大西正一
淺井裕介《根と路》(2016)展示風景 撮影:大西正一
言葉の封印を解く

美術館という名前、イメージ、考え方を手放した時、そこに風が通り始めた。それは、役目、立場などという封印を解かれた自由自在なモノ。その名もなきモノへ「根と路」というキュレーションを与えた時、“ジャッカ・ドフニ”(北方民族、ウィルタ族の言葉。大切なものを貯め置く場所の意味)は生まれた。

日本最大の縄文遺跡、青森県の「三内丸山遺跡」に隣接。建築家、青木淳による美術館として、また、県出身アーティスト、奈良美智の作品「あおもり犬」でも名を馳せるここは、青森県立美術館だ。本州の最北端であり、かつては大和朝廷から続く歴代の中央政権の支配から逃れた蝦夷の聖地。

古代、人々は名を持たなかった。そして、全てのものは一つのつながっている宇宙の現れであり、自己の多種多様な側面だと実感していた。

クリスチャン・ヴィウム《Epitaph 1 (detail, from the series The Wake》(2014-2016)展示風景 撮影:大西正一
クリスチャン・ヴィウム《Epitaph 1 (detail, from the series The Wake》(2014-2016)展示風景 撮影:大西正一
自分の居場所を求める旅を

「青森EARTH」とは、縄文に創造の原点をたずね、青森の大地(EARTH)に根ざした新たなアート(ART)を探求するプロジェクト・シリーズである。今年10周年を迎えた青森県立美術館。その集大成として「青森EARTH 2016 根と路」が今夏、開催された。

約5000年前の縄文時代において、現在よりも気温が高く、入江がすぐそばにあったという美術館の外庭。その、地球が育んできた気の遠くなるほどの時間の堆積上に、アーティスト、矢津吉隆による移動式の家は佇む。
会場内ではブラジル人、ヨナサス・デ=アンドラーデによる2010年チリ大地震を題材としたアニメーションが上映。地球の身震い(地震)により、南米大陸からチリが離脱し旅を始めた。その旅の途中に、もしも青森という大地と出会ったならば…。展示空間では、そんなファンタジックかつ深く広い夢想が語られた。

大いなる自然との関わり方を、今一度立ち止まらせてくれるこの作品群は、人は単体で、生きていないことを示唆。空気、水、土、動植物、そして地球や太陽、月、まだ見ぬ銀河の果て…。途方にくれるほどの、無数のエレメントにより成り立つ“全”の一部として人は存在する。そんな小さきものであることを思い出すことは、人を謙虚にさせる。

クリスチャン・ヴィウムは、オーストラリアの先住民、アボリジニの過去と現在を組み合わせ、異なる時間を生きる同種の民族を比較。時を異にするアボリジニの女性たち、そこには変わるものと、変わらぬものが双子のように現れる。平田五郎は、カナダのトリンギット族に伝わる“ワタリガラス”の神話をたどりながら、自作のカヌーで旅をするフィールドワークを仕上げた。文字を持たない先住民は、口承で神話を語り継ぐ。物語は、時に人が動物になり、鳥が人となり、自在に姿を変えた。文字をもたないことで得る豊かさが、神話には息づく。その傍らで、秋田の彫刻家、皆川嘉左ヱ門による木像「百姓」が叫んだ。まるで大地の叫びのように。

様々な時間、場所、感情。身近から極地、目に見える世界からドリーミングの世界、内と外、もっと分からない世界までをも、国内外の現代アーティストを通じて多角的に表現された。異時間、また、異次元を貫く垂直の時間軸「根」と、日常を表す水平の時間軸「路」。2つのルーツが交差し生まれる無数の中心。そのエネルギーの渦に立ち上がった本展は、現代人の不必要な思考を洗い流した。大いなるひとつの中心とも、この世の始まりから人類が探し求めた“在るべき場所”とも、未踏の大地とも呼べる“そこ”。つまり、言葉という限界あるもので表し難い、私たちと共に在り続ける“普遍”を指し示した。

アピチャッポン・ウィーラセタクン《FAITH》(2006)展示風景 撮影:大西正一
アピチャッポン・ウィーラセタクン《FAITH》(2006)展示風景 撮影:大西正一
始まりと終わり

写真家、志賀理江子の展示空間にて、「根と路」は終わりを告げた。光の中に出現した、無数の次元の扉を彷彿させるここは、子宮の中。訪問者は、生まれ変われることを予感させられた。そして、再び、始まりに展示された淺井裕介の巨大な泥絵へと戻る。

始まりと終わりがループし、天と地、生と死、清と濁、成功と失敗….相反する2つが1つとなった(両方が自分の中にあると悟った)。そして残されたのは“分からない”という言葉のみ。その、分けることができない(分からない)ひと繋がりの場は、理由を超えた安堵によって、変わりゆく心をいつも包んでいる。確認したらすぐに見つかる“それ”は、今ここにある、全てに共通する意識。私はいつも、その意識から世界を観ている。私とは個体ではなく、意識そのもの。分からなくなることは、繋がりを回復すること。そして心(世界)から争いは消え、他者への思いやりで満ちた。

石川直樹《8848》(2016)展示風景 撮影:大西正一
石川直樹《8848》(2016)展示風景 撮影:大西正一
「根」と「路」の交わりの果てに

土地の人に寄り添う政策を実践すべく、青森という地を起点とし、樺太や沖縄へ渡った、笹森儀助。氏のことを知る県民は「大もうけできるはずの人だけどそうならなかった。そういうことに興味はなかったのだねえ」と噂した。サウンドアーティスト、森永泰弘と建築ユニット、dot architectsデザインによる什器の中で、笹森の生きた軌跡を展示。自らの志に素直に、そして自由に強く生きた様子が広く伝えられた。

人は皆、自由でありたい。人は皆、笑いたい。
本展は、そのシンプルな願いを叶える唯一の答えへ通ずる「根—Roots」であり「路—Routes」であった。その意味はとてつもなく深い。この大切なものに繋がるルーツへ、不確かな世界に翻弄され続ける私たちは、向かいたかった。経済、家族、プライド…守るべきものという幻想を握りしめ、緊張にさいなまれる日々が、ほんの少し、忘れさせただけ。

若き学芸員が生んだキュレーションと縄文スピリットを深く宿す青森の地力。それらが相まってアートは可能性を広げた。自由に生を全うする術として、新たに誕生し、10周年の集大成と呼ぶに相応しい展覧会を成した。

冒頭に戻ろう。文字(言葉)の封印を解かれた名もなきモノは、地球と調和した生を営む先住民族、樺太以北に住むウィルタ族の美しい響きを持つ言葉が拝借され、「ジャッカ・ドフニ ー 大切なものを貯め置く場所」と名付けられた。

本展は2016年7月23日(土)〜9月25日(日)まで開催された。

南島探検時の笹森儀助(1893)
南島探検時の笹森儀助(1893);県出身の政治家・探検家。(1845-1915)。千鳥列島、南西諸島、台湾等、当時日本の辺境とされた地域を路査し、土地に根付いた政策を提言した。

現在開催中の企画展

青森県立美術館開館10周年記念
「生誕80周年 澤田教一:故郷と戦場」
会期 2016年10月8日(土)—12月11日(日)
開館時間 9:30-17:00(入館は16:30まで)

プロジェクト
青森EARTHアウトリーチ 立ち上がる風景 new documentary for “atopic site”

会期 2016年7月23日(土)—2017年3月31日(金)
http://www.aomori-museum.jp/ja/