from バスク – 8 - クリスマスになるとやってくる人たち。

(2009.12.25)

今日(12月24日)にホストマザーとスーパーへ行くと、まだ午前中なのに既にクリスマスの買い物にやってきた家族連れであふれていた。買い物カートの中に入って退屈そうにしている子どもや、顔に枕の跡がついたままのお父さんを連れて、お母さんたちがプレゼントや料理の材料をかき集めていた。そんな慌しいこの時期になると、決まってバスクの都市部にやってくる人たちがいる。それは農家の人たちと、炭屋のおじさんだ。彼らが町にやってくると、人々は祭をひらいて、子どもたちは大喜びする。
 

アヒル? ガチョウ? わからないけど、他にもロバや馬や山羊なんかもこうやって柵に入れられてたくさんいる。喜んで触れる子どもや怖気づいて固まってしまう子どもなどもいる。
カシェロじゃなくても、たくさんの人がカシェロの格好をしている。こんな小さい子どもから40代くらいの大人まで大勢の人たちがカシェロの格好をしていて、一見中世のヨーロッパの町にいるような感じになる。
これがチストーラ。ハムやチョリソのように1年中食べたり外で保存したりすることができず、主にサント・トマースが開かれるこの冬の時期にだけ食べられる。ひき肉以外に脂やパプリカの粉が入っていて少しだけ辛い。
おばちゃんたちが作っているのがタロというトウモロコシの生地。パンにも挟むけれど、これにチストーラを挟むほうがより本格的。ピザ生地を薄くぼそぼそにした感じ。子ども達が学祭や修学旅行の費用を稼ぐためにチストーラを売る場合もかなり多い。

どういうことかと言うと、カシェロと呼ばれる農家の人たちは、12月21日に特産品をたくさん持ってサン・セバスティアンへやってくる。旧市街や中心街の広場にはたくさんのテントが設けられ、それぞれに野菜、果物、チーズ、はちみつ、手工芸品などカシェロたちが持ってきたものが並ぶ。その中でも特にこのお祭の名物なのがチストーラ(txistorra)である。豚のひき肉を腸詰めにしたもので、サント・トマースと呼ばれる12月21日のお祭にはこのチストーラと、前回のナビで扱ったシードルを楽しむのが恒例になっている。なので、特産品を売っているテントよりもチストーラとシードルを扱っているテントの方が多いくらいだ。

このお祭の起源は19世紀だという。小作人であるカシェロたちが地主に地代を払う期限が大抵12月21日で、サン・セバスティアンに住んでいた地主に支払うためにカシェロたちがわざわざ村や山を下りてやって来ていた。その時に、せっかくはるばる町にまでやってきたんだから特産品を売ろう、といって売り始めたのが起源だとか。なので、もともとサン・セバスティアンで始まったお祭だけれど、今ではギプスコア県の多くの地域、さらに他のバスクの地域でも広く行われている。

サント・トマースでは、豚が当たる福引や、チストーラや家畜や野菜のコンクールもひらかれる。豚はコンスティトゥシオン広場に設けられた柵の中に入れられ、たくさんの人がそれを観に集まる。今年いたのはイゴネ(Igone)という350kgの雌豚で、ずーっと寝てばかりでカメラを向けても全く反応してくれなかった。残念。

このお祭で売られているものは基本的に質がよくて値段も張るという。なので、大多数の人はチストーラを食べ、後はひたすらに飲む。昼からでもとにかく飲んで、高校生くらいの若い子たちも路上に座り込んでとにかく飲む。そして次第に路地はゴミであふれかえるのだ。なので、雰囲気を味わいたい人は、午前中からお昼過ぎを目処に訪れた方がいいだろう。反対に、飲んで酔って騒ぎたい人は、夜19時くらいから行けば、こぼれたワインやジュースで地面がべっとべとになる朝方までその雰囲気を味わえること間違いなし。

これがオレンツェロ。「オレンツェロが森からやって来る」と初めて聞いた時は、それが人間なのかと思ったけど、ただの人形。でもその大きさから、ちょっと子どもには怖いかもしれない。グループによって表情も違い、もっと太っていたり、ヒゲがもじゃもじゃだったりする。
この時期になると、町中のいたるところでオレンツェロをみることができる。ショーウィンドウ、レジの横、アパートのベランダ、スーパーの飾りなどなど。ほら市場の屋根にも巨大なオレンツェロが。
イベントごとにデザインが変わるクルサール。クリスマスと新年に向けてデザインが新しくなった。ZORIONAK(ソリオナック)は「おめでとう」と訳せばいいかな。

次に、炭屋のおじさんとは何者なのか。彼はバスク語で「炭屋のおじさん」を意味するオレンツェロ(olentzero)と呼ばれ、スペインにはサンタクロースは来ないが、バスクにはオレンツェロがやってきて子どもたちにプレゼントをくれるのだ。

実はこのイベントの歴史は浅い。フランコ時代が終わりバスク社会復興の動きが始まった1975年頃に始まった。「何かバスクの新たな象徴になることを」という思いと、「サンタクロースではなくて別のものを」という反米の思いから考え出されたのがオレンツェロ。一年中森にこもって木炭を作って町を巡ってその木炭を売ったオレンツェロが、家族の住む町へ戻ってきた時に、その稼いだお金で子ども達にプレゼントをおくったということが起源になっている。バスク地方では広く一般的に24日の夜にやってきてプレゼントをくれるということになっている。しかし、まだ歴史が浅いからだろうか、それが定着していない地域もあり、ホストマザーの村では「24日は大人たちがクリスマスの準備で忙しくて、オレンツェロの準備も一緒には出来ない」という大人の都合で23日の夜にやってくるという。何ともスペイン的で笑ってしまう。

スペインの子どもたちは、1月6日のロス・レジェスの日にプレゼントをもらうのが習慣になっている。しかし、バスクの子どもたちは12月24日と1月6日の両方プレゼントをもらえるということになっているから、なんとも子どもとしては嬉しい限りである。とはいっても、24日は欲しいものを贈り、ロス・レジェスの日には洋服や下着などのを贈る習慣がある、とホストマザーが言っていた。その辺の都合のよさも笑ってしまうなぁ。

かつてオレンツェロはそれぞれの村の男の人が1人でその役をやっていた。が、今ではオレンツェロの人形をかつぎ、小学校の子どもたちがカシェロの格好をして音楽を演奏しながら町を行進するのが習慣になっている。クリスマスと年末で忙しい人たちであふれている街中の道路を一時閉鎖して行進をするもんだから、たちまち渋滞になってクラクションが鳴り響いていた。12月にイベントが多いのはこの町の良さでもあり、問題点でもあるのかな。

きっと日本の街中も、年末道路工事やたまった仕事のイライラやらでクラクションがたくさん鳴り響いていることでしょう。でもそんなカッカカッカせずに、エリアナビでも読んで頭の中で妄想旅行を楽しんでください。では、2010年もどうぞよろしくお願いします。よいお年を。Urte berri on!!(ウルテ・ベリ・オン)