from 北海道(道央) 番外編 《2013夏イタリア》vol.2 アドリア海の女王
ヴェネツィア。
(2013.08.01)
シェイクスピア自身が、『ヴェニスの商人』。
今年3月31日付け『デイリー・メール』などで報道されたという、「シェイクスピアは、飢饉に乗じて自分の不正蓄財に走った上、脱税の疑いなどで起訴され、刑務所行き寸前だった」という中世・ルネサンス文学の専門家であるジェーン・アーチャー氏ほか3人の共同研究を伝える記事には、強烈な衝撃を覚えた。
個人的な話で恐縮だが、ウィリアム・シェイクスピアの『ヴェニスの商人』が高校生の頃から好きだ。頭の固かったであろう当時の自分にとって、話の展開が法律を理解するためにはよい教材であったからだと思う。
今となっては、金貸しのシャイロックがユダヤ人であり、内田樹氏が『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)において「ユダヤ人とは誰のことか?」という章で論じているように、むしろ「反ユダヤ主義」とは何かを学ぶための古典的作品として捉えている最近の自分がいる。
そのシャイロック顔負けの「金の亡者」が、他ならぬシェイクスピア本人であったとすれば、笑うに笑えない話である。
いきなり横道に逸れたが、シェイクスピアが『ヴェニスの商人』を書いたのは、遅くても1598年以前であると翻訳者の福田恆存氏は主張する。先の報道によれば、シェイクスピアの刑務所行きの起訴がなされたのはその年の2月。ヴェニス=ヴェネツィアの船乗りや生活の様子を背景として描写しているので、シェイクスピアはヴェネツィアに足を運んだのかとも思っていたのだが、恐らくそのような事実はなかったのだろうと諸々邪推している。
「7つの海」としてのヴェネツィア。
塩野七生氏の『ルネサンスとは何であったのか』(新潮社)の巻頭に、14、15、16世紀の「イタリアの勢力分布」が掲載されている。
この地図をじっくりと見ていくと、イタリアという国がどのようにして今のような統一国家を形成していったのか、また、それぞれの地域性なるものが確かに歴史上存在していることを知ることができる。
14世紀には小さな色塗りだったヴェネツィアは、15・16世紀には「ヴェネツィア共和国」としてミラノの東近くまで領有していたことが分かる。シェイクスピアが作品に仕上げた当時のヴェネツィアは、既に世界に広くその存在を知られる「海洋国家」であったことは間違いない。
ちなみに「ヴェネツィア」という呼称は、古代ローマ時代に、アドリア海の最北部に位置する小さな島々及び湿地帯を指す言葉として用いられていた。7つのラグーナ(干潟)が互いに連絡し、漁はもちろん、塩の精製などを行っていた地域であり、歴史家プリニウスが「7つの海」と呼んだのもこの地域だと言われている。
かくして、元来が海上に存在するラグーナを、小さな船、さらにはアマルフィで発明された「磁気コンパス」を手に入れてからの大きな船によって自国内、そして遠く東洋とも結び付くことによって成立したのがヴェネツィア。「運河の街」と称する北海道・小樽が、自らそれに似ていると語ること自体、一市民として赤面してしまったりする。
「心眼」で見つめてみたい原風景と芸術作品。
ヴェネツィア北部にトルチェッロ島があり、ここから眺めたラグーナの姿こそ、ヴェネツィアの原風景であると聞いたことがある。実際に、ヴェネツィア発祥の土地であろうと語られており、7~10世紀には人口も2万人を超えていたようだ。
また、13世紀にはヴェネツィアのガラス職人たちは、ムラーノ島に閉じ込められていたと言われているが、ガラス製作工程に必要な火から火事による街への延焼を防ぐためとも、ガラス職人の技術を他国に流出させないためとの説明も聞く。実際、ガラス職人の島からの逃亡は極刑につながった一方、その職人たちの技術により、後にフランスの宮殿でガラス加工技術がさらに花開くことにもなった。
ヴェネツィアの共和政を支えた歴史については、詳細な本に譲るが、これほどまで多くの人々を未だに魅了する魅力はどこにあるのだろう。
先述の塩野先生は著書の中で「心眼」で見ることの大切さを伝えているが、ただ一日、この土地、この島を歩き、見つめただけでは、到底その魅力を理解することはできない。
世界から人が集まる「サン・マルコ広場」。
マルコ・ポーロ空港からヴェネツィア本島へと繋がるリベルタ橋を渡り約25分で、ローマ広場前に到着する。そこから、フェリーに乗り込みジューデッカ運河、サン・マルコ運河を通り、サン・マルコ広場にほど近いスキアヴォーニ河岸へと30分程度で到着する。
世界から観光客が集まると言われる「サン・マルコ広場」。夏のバカンス時期にも重なり、日本人以上にヨーロッパ各国、ロシア、アメリカなど様々な国から人々がここに集まってきていることがよく分かる。
様々な島々に各々の魅力があると言われるヴェネツィア。
小樽では見たことのないほど大きなクルーズ船が行き来しており、この観光客の多さがヴェネツィアの街に今も昔も観光資源としての潤いを与えていることを実感できる。
今回、ゴンドラに乗って本島内とその周辺を初めて歩いてみて、「再びこの土地に戻ってきたい」と思わせてくれる「アドリア海の女王」。次回足を運んだときには、是非様々な島をゆっくりと、そして心眼を使って歩いてみたいと願ったのである。
《参考文献》
『地中海都市周遊』(陣内秀信・福井憲彦著。中公新書)
『ルネサンスとは何であったのか』(塩野七生著。新潮文庫)
『羅針盤の謎~世界を変えた偉大な発明とその壮大な歴史』(アミール・D・アクゼル著。鈴木主税訳。アーティストハウス発行。角川書店)