from 岐阜 – 4 - 長良川母情 第4話 〜 道の駅「白鳥」五平やの母、邦子さん 〜

(2009.06.16)

今にも湯気を立てそうなほどふっくらとした桜色の手が、五平餅を捧げ持ち暖簾の下から差し出された。長良に架かる平家平橋(へいけだいらばし),橋)から南へ。郡上市白鳥町、長良川鉄道の終着北濃駅を越えた、道の駅しろとり。そう言えば遠い日の母の手も、いつも水仕事で桜色だった。おまけに指先は、あかぎれでパックリと割れ果て。今のように湯沸かし器すら無い時代。

凍て付く冬のお勝手仕事は、さぞ辛かったに違いない。ましてや泥だらけの田んぼを、朝から晩まで平気で駆け回るような腕白息子を持っていたのだから、洗濯物に不自由することなんて無かったに違いない。三種の神器に登場する自動洗濯機なんぞ、折り紙つきの庶民といえる我が家に登場するのは、まだまだ時代が下ってからのことだ。だから母はいつも、玄関先の小さな冬の陽だまりに金盥(かなだらい)を据えていた。汲み置いた水が、ほんの少しだけでも日光で温むのを待つために。そしておもむろに盥を内腿で挟み込むように屈み、洗濯板にメリヤスの長袖シャツや股引をこすり付け、せっせと一枚一枚手洗いを続けた。

だから指先はいつもあかぎれまるけ。母に手を引かれ、市場へと買い物に向かう道すがら、ガサゴソの指先に触れるたび、ぼくの小さな心までひび割れる気がした。お腹が痛い、頭が痛いと泣き叫べば、直ぐにガサゴソの掌が医者代わり。でもそんな時は、ちっともあかぎれだらけのガサゴソ感なんて、気にもならなかったものだ。

母の桜色した魔法の手。五平餅を差し出した桜色の手は、母の手なんぞよりもずっと上品だった。

「どうやね、美味いやろ? そりゃあそうやて。タレが決めてだでね。家のはピーナゴサンショ入りやでね。はぁ? ピーナゴサンショってなんやって?そんなもん、そのまんまやて。ピーナツにゴマ、それに山椒入りってことやわ」。畳み三畳でも十分の大店(おおだな)、その名もズバリ「五平や」。同市千田野に住む、長谷川邦子さん(65)が大笑い。

邦子さんは昭和18年、農家の長女として生まれた。高校を卒業すると10歳年上の夫の元に、幼な妻として嫁ぐことに。「親が勝手に決めてきちゃって、いきなり結婚やわ。たった一度の青春時代を、人妻で過したんやて」。とは言うもののやがて、1男1女に恵まれた。「家は主人が勤め人やったもんで、年寄り衆の面倒見ながら子育てしもって一人百姓やわさ」。

子ども達も成長し、夫も既に定年を迎えた平成9年。「主人は定年でず~っと家におるようになって、2人でじ~っと向かい合わせでおってもねぇ。そんなら土日だけ、プチ家出でもしたろって。それまで五平餅なんて作ったこともなかったに、この店を始めたんやて」。注文が入ってから握る自家製おにぎりと、春先から始まる朴葉ずしもいつしか品書きに加わった。だが4年前、ママサンバレーでアキレス腱を切断。休業を余儀なくされた。

そんなある日、隣りの店から電話が入った。富山県の砺波から80歳過ぎの老夫婦が訪れ「いつ来ても休みやなぁ」と、店の前で困り果てていると。「そういえば2ヶ月に1回ほどおいでんなるあのご夫婦やって思い出して。娘に店開けるように頼んで、五平餅焼いてもらったんやて」。五平やの母は、桜色した掌を揉みしだきながら、まだ頂にうっすら雪の残る山並みを見つめてつぶやいた。「『ここのは味がいいで』って言ってもらえるのが、一番の楽しみやわ。ここにおると若い人らからお年寄りまで、色んな人らと行き会えるやろ。そうすると、もう少し頑張ろかって気になって来るんやて」。

長良の川堤で春を待ち侘びた桜の古木。淡い薄紅色の衣をまとい、川面に艶やかな姿を揺らし続ける。

*岐阜新聞「悠遊ぎふ」2008年4月号から転載。内容の一部に加筆修正を加えました。

 

<追記>

電話を入れ「邦子さんですか?」と問うと、けんもほろろに無愛想な声で「そうやけど」と一言。ぼくがちゃんと名乗りを上げると一転、取材時と変らぬ親しげな口調へと戻った。それから後は四方山の世間話へ。
恐らくぼくの電話を、最初は「振り込め詐欺」の手先とでも勘違いしたのだろう。邦子母さんとて、好き好んで無愛想な応対をしたわけではない。お年よりを相手に多発する、詐欺犯罪への自衛手段は、まず何事にも疑ってみることが肝要なのだから。

 

Googleマップ: 五平や

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