from 東京(萩野) – 3 - フランス3ツ星レストランで修業した売れっ子出張料理人は、チャキチャキの江戸っ子。

(2010.10.19)

「一期一会」。私は、日本と海外を繋ぐコーディネーターとジャーナリストという仕事柄、たくさんの人々に出会う機会に人一倍恵まれていると思いますが、行く先々で「好きな言葉は?」や「座右の銘は?」と尋ねると、結構な確率でこの言葉が返ってきます。人生を長く生きれば生きる程、この言葉が持つ重みや深さが身にしみて分かるのかな、と思う今日この頃。人と人との間に、御縁や見えない糸というものが存在するのであれば、私は料理家のマカロン由香さんとの繋がりを強く確信します。
 

帆立のサラダ。
ある出張料理の風景。

今からおよそ6年前。マカロンさんがフランス・パリのホテルリッツのメインダイニング『エスパドン』で修業していた時、担当していたFMのラジオ番組の中で、パリジェンヌのトレンドについてリサーチとレポート頂いたのが、そもそものきっかけ。御自身の十八番トピックの料理やレストラン・厨房裏事情に加え、パリやフランスに関する様々なトリビア・ネタを惜しげもなくご披露下さいました。フランス女性はどうして強いの? パリのカップルはなぜ一緒にランジェリー・ショッピングするの? パリにはどうして猫よりも犬のほうが多いの? 毎朝、路上が水浸しになるワケとは?なぜ、アパルトマンの窓際に赤い同じ花が植えられているの?などなど。

その数ヵ月後にマカロンさんは帰国し、初めてお目にかかった時、料理教室を始めたことを聞きました。それから5年という月日が経って、再会のランチ場所として彼女がチョイスしてくれたのは、地産地消というコンセプトの元、江戸野菜などの伝統野菜と新鮮なシーフードをふんだんに使ったイタリアンをサーブしてくれるレストラン『HATAKE』。広々とした店内を取り囲むように存在するのは、文字通り、様々な種類の野菜畑たち。青山という東京の中心エリアにありながら、ゆったりとした優雅な時が流れ、都会の喧騒を忘れさせてくれる楽園のような場所です。しかし何よりも一番私が忘れていたのは、彼女に5年間会っていないということ。日当たりのよいオープンテラス席につき、シャンパングラスを持ち上げて乾杯した瞬間、まるで旧知の間柄であるかのようにお喋りと笑いが止まらなくなる。失われつつあった記憶が瞬時に蘇ったような、途切れていた線路の端と端が互いに引き寄せられて、元通り繋がってしまったような、そんな不思議な感覚に襲われたのです。時を経ても決して変わらない、マカロンさんのエイジレスな魅力や元気のサプリは何だろう? かくして、私の人間ウォッチング・スイッチが入ったのでありました。

 

並はずれた行動力。

出張料理業とお料理教室、その他メニュー開発やレストランのコンサルタント業務など、料理を軸に多方面でご活躍のマカロンさんですが、意外にも料理人としてはレイトスターター。大学卒業後、7年間勤めた幼稚園を辞め、20代後半、それこそ30歳手前で料理の世界に転身。しかしそれからの巻き返しの勢いとスピードが人並みではなかった。料理学校入学後5日目にして、料理を学問ではなく、現場で、エクステンシブかつインテンシブに、フランス人に囲まれながら体験する道に目覚め、渡仏を決意。フランス語の独学を始めます。テレビやラジオのフランス語講座を活用し、料理学校ではフランス語でノートテイキング。当時ホームステイのホストファミリーをしていたお母様に頼み込んで、フランス人留学生を受け入れてもらい、フランス語漬けの日々を送りました。その後、フランス・3ツ星レストラン(『ルドワイヤン』や『アルページュ』)などで、約2年間飛び込み修業を行い、帰国。それから3週間足らずで東京で出張料理ビジネスを開始、その数ヵ月後には料理教室をオープンさせたといいます。

 

時代を先読みする着眼点。

何よりも先ず、私がマカロンさんに関心を持ったナンバーワン要素は、料理人でもパリのOLでもなくて、元祖ブロガーだったこと。当時、エッジィで有効な自己発信ツールとしていち早くブログを始め、「修業日記」と銘打って、パリの料理界の裏話や見習生という、ある意味負け犬キャラを全開させ、ユーモラスに綴っていた、等身大の姿がそこにあったから。彼女のブログが常に上位にランクされていたのは当然の成り行きにも思われました。(ただ今になって、フランス修業の頃は電子レンジの使い方も分からない機械オンチだったという告白を聞いて、私はずっこけそうになりましたが。)後に東京で開くことになる、自身の料理教室のプロモーションや集客ツールには、ちゃっかりブログを利用。「私、突然ですが、日本に帰国します~!」と書き込めば、読者の「えー、これからどうするの?」的なリアクションが返ってくるのを百も承知なわけで。何て用意周到で絶妙なタイミング!

そして、出張料理という、日本では発展途上の新ジャンルに挑んだ点。出張料理とは、文字通り、依頼されたお宅やパーティー会場に出向き、そこのキッチンで調理をするというもの。マカロンさんが料理修業をしていたフランスで、セレブや個人の家で出張料理のお手伝いをした時、ヒントを得たとのこと。依頼者であるホスト(パーティ主宰者)の想いやリクエストを受けて、それらをメニューとテーブルに盛り込み、カタチあるものへと再現してゆくのが彼女のお仕事。言ってみれば、世界にたった一つしかない「あなただけの完全オーダーメイドのパーティ」という作品を、ホストと共に一から創り上げてゆく。そんな一期一会の時空間のプロデューサーに相応しい装い、それは、純白のコックコートと背の高いトックブランシュ(帽子)、ノーメイクというスタイル。出張料理業のやりがいや臨場感を熱っぽく語る彼女に、フードクリエイターの枠を超えた職人魂を感じました。

その一方で、黒いギャルソンエプロンと黒いパンツ姿のきりりとハンサムなマカロンさんもいます。話が自身のフレンチ&イタリアン料理教室に及ぶと、自分はアンチ・マニュアル派ですと即座に公言。レシピを見て誰もが出来ることは、やりません。大事なことはあなたが膨らませること、レシピや作り方はどうでもいい、とばっさり。10分でできる○○とか、今流行りの時短メニューなどは敢えて行わない。首のついたチキンを丸ごと調理したり、ぬるぬるしたほうぼうをさばいたりして、一つ一つの料理がどのようにして作られてゆくかを伝えることが彼女のモットー。「例えば、料理教室なら、一から作りだして、考えながら盛り付けをして、お友達と試食し合う……このレストラン『HATAKE』なら、テラス席の目の前にゴーヤ畑があって、神保シェフの眼鏡の奥には、お料理に負けないくらい優しい微笑みがあって、隣に白いワンピースを着た萩野さんがいて……」マカロンさんにとって、料理は見た目やテクニック、味ばかりではなくて、それを取り巻くあらゆる空気感も大切な料理の一部。見て、触って、感じて、嗅いで、トータルで楽しむもの。さらに、自分の経験則や勘といったものを信じることも大事。メディアや口コミの情報を鵜呑みにしないで欲しい、とおっしゃいました。

マカロンさんの男前度が大いに発揮される場は、男性向けの料理教室。フレンチ修業時代、ある日のランチタイムに彼女が目にしたのは、ナイスミドルの男性たちが自然発生的に会し、ネクタイを緩め、袖をまくり、料理を始め、試食し、軽く飲んで、仕事に戻ってゆく光景。ここでまたまた、ピーンと閃いたわけです。マカロンさんが東京で主宰している男性料理教室の年代層は、20代から60代までと幅広い。格好いい男づくりをサブ・コンセプトに、紳士ぶりを披露するためのプロトコル、即ち、料理を出すだけではなくどのようにしてゲストを楽しませ、自分も楽しめるのか、プレゼンテーションの工夫なども伝授。風通しよい緑と自然の環境の中、男性諸君が、それこそ、公園の砂場で泥んこ遊びをしていた幼い頃の感覚や「素」の自分を呼び起こすかのように、思い思いに料理を楽しむ……そんな良い意味でのカオスな空間が、目に浮かぶようです。

 

人情派の江戸っ子。

マカロンさんは、東京都のご出身。東京で好きな場所は、谷根千や本郷といった下町エリアで、昔懐かしいお寿司やさんや天ぷら屋さんで食事をしたり、朝早くに、築地の魚市場に足を運んだりすることもしばしば。日本であれ海外であれ、人々が集い、活気に満ち溢れ、色とりどりの新鮮な食材が揃う市場・マルシェは、最もお気に入りの場所です。年に一度、心と身体のリラックスと充電目的で出かけるのは、一年に晴天が300日以上という南仏にある、アンティーブという町。ニースやカンヌに比べると華やかさや観光地としての見所は無くても、コートダジュール本来の美しい地形が保たれ、ローカルやフレンチセレブのファンも多い、知る人ぞ知る避暑地。ひょっとしたら、下町が醸し出す情緒や人間味溢れた風情に、当たらずといえども遠からず、なのかもしれません。ブログで随所に垣間見られた、彼女の人懐っこさや、飾らない等身大な部分は、このような場所から育まれているのでしょう。

そう、マカロンはとにかく人が大好き。とりわけ惹かれるのは、人間の本質的な部分、人間らしさや一人一人の個性、自己表現の方法といったもの。性別、年齢、国籍、肩書きなどには一切興味がない。パーフェクトなものより不完全なものに美しさを見出したり、人間の悲しみや苦しみといった負の感情を描いたりする芸術家も少なくありませんが、彼女も例外ではない気がします。現代画家の先生に弟子入りをしていた頃、先生に「君は何を伝えたい?上手い絵を描いても意味がない。」と言われ続け、そんな中、自分らしさや個性を最大限に引き出してくれるものとして注目したのが、「文字」でした。自分の文字やサインは唯一無二、自分の分身的存在。遠くからみても私のものだと分かるくらい、常に追い求めるべきだ、と。今ではマカロンさん、お礼状やレシピ、御品書きなどを筆ペンで認めています。お料理の神髄であるおもてなしは、やっぱりココロから来るものであって、カタチではないんですね。

 

異色なバックグラウンド。

自ら、器用貧乏とおっしゃるマカロンさん。20代前半は、油絵と美食(ガストロノミ)、そして幼児教育といった、性質の異なる3本柱の活動を、同時並行して行っていました。幼稚園の教諭時代には、壁一面に大きな絵画を描いてみせたり、ピアノでジャズのナンバーを弾き子供たちに歌を歌わせたり、と非凡な才能を発揮されていたようですが、料理を極める決意をした背景に、ホームステイやホームパーティー活動など積極的に行っていた、お母様の影響がありました。定期的に「お家レストラン」なるものを開催し、おもてなし料理で自分の友人を迎えているお母様を見て、「ずるい! ママがパーティ料理なら、私はコース料理を出すわ!」と、張り合っていたんだそうです。

マカロンさんにとってキッチンは、全てのエネルギーの源であり、創造力をかきたててくれるところ。ハクション大魔王やアラジンに出てくる壺のように、ぽんぽんぽんと、その都度都度形を変えてでてきて、どんなクリエイティビティも可能にしてくれる宝箱のような空間です。そして料理は、材料を切り、鍋をふって、盛り付けて、といった全てのプロセスにおいて立体的に訴えかけてくれる。自分というフィルターを通して、生命とカタチあるものが飛び出してくる、非常に表現多様で無限大なもの。だから、一枚のキャンバスに描かれてある油絵とあまり変わらなくて、その上味が付いてくる!と、マカロンさんは言います。彼女が好きな画家であるラウル・デュフィは、「色彩の魔術師」として名高く、20世紀のパリを代表する近代絵画家ですが、話を聞いているうちに、料理と絵画の共通論が至極もっともなものに感じられました。料理こそが自分の想像力を磨くことができる最も身近なもの、という、料理が趣味の私の知人男性の言葉が、言い得て妙です。

 

その時代 その一分一秒を 精一杯過ごす。

では、料理家志望の方々や、海外にチャレンジしたい人々へ、アドバイスは?とマカロンさんに聞いてみると、「若い人たちは先を決めたがる」と指摘が戻って来ました。これからの指針や目標を立てることも勿論必要ですが、今やることが出来ることを蔑ろにして頑張らなければ、次が無くなる。未来のため、この一時・一瞬を無駄にしない。今できること、すべきことに対して、120パーセントベストを尽くすのが、マカロン流。たとえそれが、食材のキタアカリ(ジャガイモ)選びであっても、カニやエビの殻むきであっても、厨房のお掃除のほうき使いにしても……。その時自分が出来ることを精一杯やってきたからこそ、今があるということを、自ら実証してくれています。「毎日日々の足跡が おのずから人生の答えを出す」と、かの相田みつをさんもおっしゃっているではありませんか!

マカロン由香さんと一緒に記念撮影。

最後に、マカロン由香さん(Le Macaron YUKA.)の「マカロン」という名前の由来について。フランス・レストラン修業の頃のニックネームらしく、マカロンとは、マリー・アントワネット王妃の大好物だったお菓子のマカロン以外にも、(丸い)勲章やメダルといった意味があるそうです。一般的にエトワールと呼ばれるミシュランの星のことを、業界用語でマカロンと言い、そこに定冠詞で単数形のLe(英語のTheに当たり、世界に一つしかない、或いは特定のものを指し、男性名詞が続く)がつき、Le Macaron YUKA.となる。言われてみれば、威風堂々としていて、本物志向で、マニッシュでスタイリッシュなイメージがぴったりです。この「甘くない」マカロンの意味を普及させるためにも、名前負けしていないマカロン由香さんにはもっともっと頑張って頂きたい!

マカロンさんには、夢があります。幼稚園の教え子たちが成人を迎えた頃、彼らに自ら料理の楽しさを教え伝えたい、ということ。私は、彼女の素敵な夢が実現する一助になれたらと、心から願ってやみません。さてと、今までの人生で食べる専門の私、料理の楽しさを身をもって感じ、想像力を磨くために、美食家男性陣の中に混ざってお料理体験(ごっこ?)かな!

マカロン由香さん 公式ホームページ

 

HATAKE AOYAMA

〒107-0062 東京都港区南青山5-7-2 B1
TEL:03-3498-0730
http://hatake-aoyama.com

 

前菜の盛り合わせ。
サツマイモのスープ
トマトの冷製パスタ。
『HATAKE』の店内。
オープンテラス席の目の前に広がる野菜畑。
シェフの神保吉永さん。