from 山梨 – 18 - 卯の花腐し その1
~京都から持ち帰る、初夏の緑。

(2011.07.04)

6月9日に観測史上最も早く梅雨明けを迎えた沖縄県と、梅雨のない北海道を除いて、日本列島は現在梅雨の真っ只中。
甲府盆地は一年を通じて比較的雨の少ない土地ですが、盆地を取り囲む周辺の山々がその頂を雲の中に隠すことも多く、甲府市内から富士山を望むことのできない日が続く季節です。
風薫る5月、梅雨空の6月。
時候の挨拶に使われる言葉のイメージとは裏腹に、5月も意外に雨の日が多く、そんな梅雨入り前に降り続く長雨のことを「卯の花腐し(うのはなくたし)」と表現することがあります。
卯の花というのは空木(卯木)の花のこと。
陰暦で4番目の月のことを卯月と呼ぶのは空木の花が咲く月だから、もしくは卯月の頃に花が咲く木だから卯木と名づけた、などという説があるようです。
そして、陰暦の卯月というのは、現在の5月頃。
「卯の花腐し」というのは、現在の5月に盛りを迎える卯の花を腐らせるような長雨(実際には長雨で花びらに張りがなくなってしまうイメージ)やその様子を表現する季語であり、古くは万葉集に「春されば卯の花ぐたしわが越えし妹が垣間は荒れにけるかも」とも歌われている言葉なのです。
……現在の4月を卯月と呼ぶこともありますから、古典的な季節感は頭の中でちょっとした変換が必要ですね。

 

 

甲府盆地から京都盆地へ。

世間では比較的鬱陶しがられがちなこの季節を選んで、毎年京都へ出かけています。
この季節を選ぶ理由は、卯の花腐しで森閑とした京都の初夏の緑が好きだから……なーんて、もともとは春も秋も混んでいるし、夏は暑いし冬は寒いし、この季節が一番訪れやすいから、だったんですけどね、いつの間にかこの季節の京都が一番好きになっていました。
周囲を山に囲まれた盆地ということでは、京都盆地も甲府盆地も同じ。
京都の錦市場を歩きながら、もし武田信玄が上洛していたなら、武将の何人かが都の文化に傾倒したりしてその文化を持ち帰り、今とはちょっと違う山梨になっていたかもしれないなあなんてことを思ったりしています。


 

京都から持ち帰る、初夏の緑 。

京都から帰宅した日は、毎年深夜まで台所に立つことになります。
その理由は、毎年必ず買い求めてくる、この季節限定の実山椒。
高知産や和歌山産のものを多く見かけます。


帰宅すると早速、山椒の実を枝から外す作業にとりかかります。
実を傷つけないように、はさみを使ってひとつひとつ枝から切り離して、ふたつみっつとくっついて実がなっているものはバラバラにします。



枝から外した実は水で洗い、塩を少し加えたたっぷりの熱湯でゆがいた後、水にさらします。
これは灰汁抜きの作業工程なのだそうですが、「ゆがく時間、水にさらす時間が長ければ長いほど、実山椒特有のぴりぴりと痺れる刺激が和らぐ」というわけで、実の硬さにもよりますが、あの刺激が好きな私はゆがく時間も水にさらす時間もあまり長くはとりません。
水からあげた山椒は水分を取って保存袋に入れ、袋の空気をできるだけ抜いて冷凍庫で保存します。
そして来年のこの季節まで、佃煮にしたり、お魚やお肉と炊いたりして使います。


山梨では。

私が注意していなかったからかもしれませんが、これまで山梨で実山椒が売られているのを見た事がなく、「周りにたくさん山があるのになぜだろう? 実山椒を 食べる習慣がないからかな」と思っていて、それが前述の「もし武田信玄が上洛していたなら…」につながり、「信玄が上洛していたら武将の誰かが絶対ちりめん山椒持ち帰っていたはずなのに…」という妄想になっていたわけですが、今年初めて、山梨県北杜市白州産の実山椒が売られているのを見つけました。

枝分かれしているところには立派な棘がついているので注意が必要です。
それにしても鮮やかなライムグリーンをした、とてもきれいな実山椒でした。

次回、錦市場で買い求めてくるちりめんじゃこと、下ごしらえした実山椒でちりめん山椒を炊きます。
毎年、この季節の京都旅行から帰宅した日は、ちりめん山椒を炊くまで1日が終わりません。

京都 錦市場