from パリ(たなか) – 83 - ルートヴィヒ、映画の記憶とノイシュヴァンシュタイン城。

(2010.12.06)
ホーエンシュヴァンガウ城の庭から望むノイシュヴァンシュタイン城。

今年の夏に東京へ帰ったとき、友人の典子さんから南ドイツ観光ツアーに誘われた。秋に息子と二人でマンハイムに住む彼女の姉の家へ遊びに行き、姪のマリアの案内でノイシュヴァンシュタイン城を見学する計画があると聞いて、喜んで私も混ぜてもらった。反射的にその昔、東京の名画座ギンレイホールで見た『ルートヴィヒ/神々の黄昏』を思い出してしまう。当時、ロミー・シュナイダーが好きで行ったのだが、主演したヘルムート・バーガーの圧倒的な美貌ばかりが記憶に残っている。ワーグナーとの確執や、薄暗い城の地下室だったか、鍾乳洞の湖で船に乗るシーンとか、スクリーンの映像を断片的に思い出しはしても、ドラマの記憶と後で知った歴史の知識がごちゃ混ぜになって、映画の筋はすっかり忘れている。ヴィスコンティの映画も見直したいが、ノイシュヴァンシュタイン城へはぜひ行ってみたい。

11月中旬、パリ東駅を発ってマンハイムまでTGVで3時間ちょっと、あっという間だ。インターネットで早割チケットを買うと往復78ユーロ、安い。駅に着き、ライン川を渡った隣り町にあるマリアの家までクルマで連れて行ってもらう。その晩はマリアの家に、夫と二人の娘、近所に住んでいる兄弟と甥姪、ご両親、おばあちゃん、東京から来た典子さんと息子の世史くん、それにパリから来た私、1歳から94歳まで総勢20名以上の大家族が集合して、楽しく美味しく賑やかな大歓迎を受けて、すっかりドイツが好きになってしまった。

翌日の午後はハイデルベルクを見物し、翌々日の朝、南ドイツの城巡りに出発。マリアは仕事を休んで私たちを案内してくれる。ありがとう。彼女が運転するフォルクスワーゲン・パサートは、家を出るといつの間にかもうアウトバーンを走っている。関越道の川越あたりのような、平坦で直線が続く高速道は140キロくらいで走っていてもさほどスピード感がない。それでも左の車線を静かに追い抜いて行くクルマがいるのだが。2時間近く走って一旦国道へ出て、カフェで一休みする。アウトバーンには、日本の高速にあるようなサービスエリアがない。もちろん料金所のゲートもないし、単なる高速“移動”道路という印象だ。ウルムという標識を過ぎ、さらに南へ走ると少しずつ標高が高くなったのかアルプスの山並みが見えて来る。オーストリアの国境も近い。ツークシュピッシェという3000m近い国境の山の麓の村で一休み。アプト式の登山鉄道とロープウェイで山頂近くまで上ってスキーが出来るらしい。

この日、最初に訪れたルートヴィヒの城はリンダーホーフ。深い山の谷間にぽつんと建っている白い宮殿は、冬の夕焼けの弱い光を受けて氷のように冷たそうだった。庭園の噴水池は水が抜かれ、雪に備えた囲いが寂しさをいっそう際立たせる。それでも、きれいに手入れされているせいか荒れ果てた印象はしない。ただただアルプスのこんな山奥になぜ?と、一面の静けさに押しつぶされそうな気分だ。私たち以外には、二人の観光客に会っただけ。ゆっくり散歩して駐車場へ戻る途中、池にいた3羽の白鳥が私たちを見て歩み寄って来た。陸に上がった白鳥は、優雅さを水の上に置いて来たのか、なんとも間抜けな愛嬌のある鳥だ。明日行くノイシュヴァンシュタインのシュヴァンは、白鳥の意味だ、確か。城を後にして今晩のホテルがあるシュヴァンガウの村へ向かう。夕闇迫る深い森の中、道路は一部オーストリア領も通るらしい。
 

マンハイムから南東へ400キロくらいだろうか、アルプスが見えて来た。
ツークシュピッシェはドイツ最高峰。ここからロープウェイで頂上近くまで。
ルートヴィヒが建てた3つの城で完成したのは、このリンダーホーフ城だけ。
城の前庭は冬を迎える準備が完了。雪は深いんだろうか?
谷間の池にバイエルン・ブルーの空が反射して。
餌をくれないんだったら、さっさと引き返そうぜ。

翌朝ホテルで朝食を取っていると、外は雪。上等じゃないか、ヒートテックにダウンジャケットで装備して来たし、雪のノイシュヴァンシュタインなんて最高。この日はまず、ルートヴィヒ2世が幼少期を過ごしたというホーエンシュヴァンガウ城へ向かう。この城も岩山の上に建ち、ゴシック風の十分に奇怪な建物でなかなか興味深かったが、ノイシュヴァンのあまりにも現実離れした城がすぐ近くにあるものだから、ずいぶん割を食ってる感がする。ホーエン城から眺める雪に霞むノイシュヴァンは、そのままドイツロマン主義の絵のようで、荒涼とした中に鬼気迫るものがあった。

ノイシュヴァンシュタイン城へは、麓の村から2頭立ての馬車に乗った。雪が降りしきる森の中の坂道を、ひたすら上って行く。幌はあるがオープンに近い馬車は、足元が容赦なく冷える。波音のように繰り返す蹄の音と馬の荒い息づかい、時々入る御者の掛け声。冷たくなった頭で『暗殺の森』という、パリが舞台のイタリアのファシズムを描いた耽美的な映画を思い出す。城の手前で馬車を降りる。城は断崖絶壁の場所に垂直に建っていて、見上げるばかりで写真の撮りようがない。中国の山水画のような、雪と黒い樹林と白い城壁のモノクロームの世界。竣工してまだ125年ほどなので、ヨーロッパの古い建物を見慣れた目にはなんだか新築に思える。とはいえ浦安のシンデレラ城より圧倒的に荘厳な印象だが。城内あちこちにルートヴィヒの肖像画や写真があるのだが、ヘルムート・バーガーにそっくりだ。いや、ヘルムート・バーガーが似ていると言うべきか。1階の調理室はドイツっぽい機能的なデザインで、新しい時代を感じさせる。どうやらエレベーターもあるらしい。鍾乳洞の洞窟部屋もあったが、これはTDLに負けている。小腹が空いたので、城内のカフェで豆がたっぷり入った野菜スープを飲んで、冷えきった体を温める。雪が降り続くので帰りも馬車に乗ったが、馬の消費エネルギーに比例させたのか、料金は半額の3€だ。日も暮れて、近くの村でレストランを探す。麓の道路からライトアップされた二つの城を見ると、向かい合って山中にぽっかり浮かぶ船のようで、とても幻想的な眺めだった。来て良かった。

岩山の上に建つホーエンシュヴァンガウ城はルートヴィヒの父が再建。
岩山の裾の林を左へ登ったところにノイシュヴァンシュタイン城がある。
雪は止む気配ないし、山道を馬車に乗って城へ向かう。
2馬力の馬車。
ルートヴィヒがノイシュヴァンシュタイン城に居住したのは172日。
城の前には深い谷、かすかに水音が聞こえたような気がした。

翌朝には雪も止んだ。朝食を済ませてミュンヘンへ向かう。絵に描いたようなアルプスの牧場の中をぐんぐん下って行く。途中、私の希望でルートヴィヒの水死体が発見されたというシュタルベルク湖へ寄ってもらう。マリアがナビで湖畔にあるレストランを探し出してくれた。シーズンオフで客は私たちともう一組だけ。たっぷりと豊かなドイツ風のケーキとコーヒーをお昼代わりに、湖を見ながら休憩を取る。腹ごなしに湖畔を歩くと、透明な水をたたえた大きな湖に時おり薄日が差して、銀色に湖面が光る。冬を直前に控えた広大な風景の中にいると、時間の遠近法も狂ってしまい、ルートヴィヒが死んだのがつい最近のことのように錯覚する。クルマに戻り、ミュンヘンへ向かうアウトバーンで『ルートヴィヒ』の映画の記憶を辿るうちに、ドイツのファシズムの台頭を描いた『地獄に堕ちた勇者ども』に迷い込んでしまう。この映画にもヘルムート・バーガーが出演していた。市街地が近づいたのか、夕方のラッシュアワーのせいか道路が渋滞し始める。私の記憶はますます混濁するまま、窓の外の異国の街並をぼんやり眺めていた。
 

黒いライオンと、黒い犬と、黒いジャケットの少女。
広大な自然の前に立つと、時間が止まる。