from 山梨 - 25 - 海の青さが目にしみる その1
~真夏の日本海、佐渡島へ。

(2012.09.19)

山梨には海がない。

お盆休み、旅先でつけていたテレビから「山梨県は寿司店の店舗数が日本一」という話が流れてきた。
インターネットで検索してみたところ、2006年の統計で人口10万人あたりの寿司店店舗数トップが山梨県なのだそう。
確かに、お寿司屋さんは多いような気がしていた。
多いだけでなく、東京から山梨に遊びに来た知人をお寿司屋さんに連れて行けば「山梨でこんなにおいしいお寿司を食べることができるとは」と驚かれるし、スーパーに連れて行けば「山梨でこんなに良いマグロが売られているとは」と驚かれる(ちなみに2008年の統計で、山梨県のマグロ消費量は全国第5位)。

ご存知のように、山梨県には海がない。
ところが、そんな山梨に『鮑の煮貝』という名物がある。

“駿河の海で獲れた鮑を加工して馬の背中に揺られて来る間に煮貝は適度の味をしみ込ませ、甲府へ着くころは最高の味に仕上がっているので甲府で売られるものが特別うまく、遂に名物の折紙をつけられたという次第。”
(株式会社かいやから引用)

また、海なし県ではないけれど、海から遠く離れた内陸部に都があった京都の名物に、鯖寿司がある。
福井の若狭湾で獲れた脂ののった新鮮な鯖は、塩をまぶして、山越え、峠越えの街道を徒歩で都まで運んでくる間にちょうど良い塩加減になる。
その塩鯖を使った料理として、京都では鯖寿司が作られ食べられるようになったのだという。
 
鮑の煮貝も鯖寿司も、目の前の海で魚を釣って、それがひょいと食卓に上がる海沿いの地域とは一味違った海産物への思い入れをうかがい知ることができる、内陸部ならではの食文化である。先人の知恵と交通網の発達によって、今では海のない内陸部にも新鮮で美味しい海産物が運ばれてくるようになったとはいえ、海を運んでくることまではできない。
そんなわけで、今年の夏は海に入ろうと決め、何度目かの佐渡島を訪れることにした。


遠くの水平線上にうっすら浮かんでいるのは本州。


佐渡にはたくさんの灯台がある。
「佐渡には何があるのか?」

「佐渡へ行く」と言うと、「佐渡には何があるのか?」「佐渡で何をするのか?」とよく聞かれるのだけれども、これには訪れる人それぞれが違う答えを持っているはず。ためしに本土側の佐渡汽船ターミナルビルで、佐渡から帰ってきた人々に「佐渡で何をしてきましたか」と聞いてみれば、おそらく「海で泳いできた」「砂金を採ってきた」「トキを見てきた」「釣りをしてきた」「たらい舟に乗ってきた」「おばあちゃんの家で流しソーメンを食べてきた」など、様々な答えが返ってくるに違いない。
実際、お盆休み後半の地元ニュースでは、そんなインタビュー映像が流れている。
 
「海水浴とか釣りとか流しソーメンとか、佐渡じゃなくてもできるじゃない」と思うかもしれない。
しかし、大事なのは「佐渡で」の部分。「佐渡での海水浴」、「佐渡での釣り」、「佐渡のおばあちゃんの家での流しソーメン」だからこそ、特別の海水浴であり、特別の釣りであり、特別の流しソーメンなのである。
「佐渡で」の3文字が持っているのは、人に伝え共有することの難しい、実に多くの感情である。
「岩手で」でも「箱根で」でも「沖縄で」でも同じこと。
行先がどこであっても、旅というのはおしなべてそういうものであり、それこそが旅の価値だろうと思っている。
 
さて、佐渡島は海岸線約280キロメートル、島の面積約850平方キロメートルの、日本海に浮かぶ新潟県の島。
北に大佐渡山脈、南に小佐渡山脈があり、その間に広大な国仲平野がある。
本州から島へ渡るルートはいくつかあるけれども、案外大きな島なので、どこで過ごすか、何をして過ごすか、島内での交通手段は何なのかによって、利用するルートはほぼ決まる。

今回選んだルートの往路を参考までに。
山梨・甲府昭和IC(2:00a.m.頃発)-(中央自動車道・上信越−新潟・上越IC−上越・直江津港−(佐渡汽船カーフェリー)−佐渡・小木港(9:30a.m.過ぎ着)。
待ち合わせ時間なども入れて車とフェリーで8時間近くかかったこの距離を、昔の人はいったいどれくらいの時間をかけて行き来したのだろうか……。

上越・直江津港と佐渡・小木港を片道約2時間40分で結ぶ、佐渡汽船のカーフェリー『こがね丸』(4,258トン)。
 
『こがね丸』の車両積載能力は乗用車だけなら151台。この航路は国道350号線の一部で、海上国道となっている。
そんな昔の人に思いを馳せてみる。

佐渡と言えば有名なのが金銀山。
「ふーん、佐渡では金や銀が採れたのね、すごいわね」で終わるのは簡単だけれど、260年以上も続いた江戸時代に幕府の財政基盤を支えた日本最大の金銀山である。
その鉱脈が日本海に浮かぶひとつの島にもたらしたものの大きさをひとつずつ知るたびに、あれこれ想像も加わって心が躍る。
 
というわけで、昔のお話を少々。
越後の上杉謙信亡き後、御館の乱に勝利し家督を継いだ上杉景勝が、当時佐渡を支配していた佐渡本間氏を討伐し、佐渡を支配下に置いたのが1589年。
1600年の関ケ原の戦い以降、佐渡は徳川家康の支配地となるが、1601年に発見された佐渡金山の金脈が群を抜く産出量であったことから、江戸幕府は佐渡に藩を置かず奉行所(佐渡奉行所)を置き、のちに言う天領(江戸幕府直轄の領地)とした。
 
私が住む山梨でも、かつての甲斐武田領では多くの金山を抱え、優秀な鉱山技術によって豊富な金が採掘されていた。金の精製技術にも優れていた武田氏は、生産された『甲州金』によって日本で初めての通貨制度を確立。その通貨制度は、武田氏による戦国時代の領地拡大に大きく貢献し、その後、江戸幕府へと継承されていった。
当時、甲斐で金の採掘を行っていた金山衆は、金の採掘のみならず金山の経営全般を行う山師であり、その高い組織力や掘削技術をもって戦に参加し、戦功をあげていた。また、治水工事、土木工事などにも従事していたという。
 
ところで、佐渡の意外な一面に『能』がある。1434年、佐渡に世阿弥が流されたこと、江戸時代、金山開発のために佐渡を訪れた徳川家康の側近、大久保長安が猿楽師を同行したこと、天領であった佐渡に殿様はおらず、武士階級も他国と比べると極端に少なかったことなどから、能は佐渡の人々自身が演じる娯楽になり、江戸時代には200を超える能舞台があったという。
現在も、6万余の島民数に対して日本全国の約1/3にあたる30余りの能舞台があり、能は佐渡の人々によって演じられ続けている。

国指定史跡『佐渡金山遺跡宗太夫間歩』。当時の採掘風景を伝えるロボットや道具・金塊や佐渡小判などが展示されていて楽しい。
上杉勢に攻め込まれた際に戦場となった街道に建つ『戦道騎馬武者の像』。右は上杉方の黒金安芸守尚信、左は本間三河守高頼。
佐渡と山梨、意外なつながり。

この、佐渡に渡る際に猿楽師を同行するほど能に対する造詣が深かった大久保長安が、かつて武田信玄に仕え、民政や徴税、金山の開発・経営などの鉱山開発に従事していた人物。
勝頼の時代を経て武田氏が滅亡した後は徳川家康に仕え、江戸幕府においても甲斐で培ってきたノウハウで、鉱山開発や都市開発にその手腕を発揮していった。長安の祖父は春日大社に奉仕する猿楽師、父親は信玄お抱えの猿楽師だったという。

長安亡き後、佐渡奉行として着任したのが、甲斐国の出自である鎮目惟明。鎮目氏は代々武田氏の家臣で、惟明の父親は武田信玄、勝頼の二代にわたって仕えていた。武田氏滅亡後に惟明は徳川氏に仕え、関ヶ原の戦いでは徳川秀忠率いる本陣隊として参戦、真田氏対徳川氏の上田合戦で活躍する。1618年に徳川秀忠が将軍になると、惟明は佐渡奉行の任を受けて佐渡へ渡り、傾きかけていた金山経営の立て直しや佐渡経済の立て直しに尽力した。

(そんな佐渡と山梨の、金山つながりをテーマにした企画展が来月から山梨県立博物館で開催されることを、この記事の校正中に知った。題して『黄金の国々―甲斐の金山と越後・佐渡の金銀山―』。佐渡産の梅を使った『北雪酒造』の梅酒を飲みながら佐渡を懐かしみ、かつ、甲斐の金山衆についてももう少し詳しく知りたいぞという好奇心が膨らんでいる私にとって、なんともタイムリーな企画展。ありがとう山梨県立博物館!)
 
かつて、多くの文化人が流された土地であり、また、北前船の寄港地であったことからも、この島では異文化の交流が盛んだったことは想像に難くない。その北前船が寄港していたのが、小佐渡地区と呼ばれる佐渡の南側沿岸部。
現在、島の中央部にあたる国仲地区に比べれば圧倒的に静かな印象の赤泊、小木、宿根木といったあたりは当時、北前船の寄港によって栄え、今も当時の往来を偲ばせる街並みや集落が残されている。
加えて、赤泊は佐渡奉行渡来港、小木は採掘された金銀の出荷港、宿根木は造船や船の修理というように、それぞれ違う顔も持っていた。

佐渡と聞けば「罪人が流されて金採掘に従事させられていた日本海の荒波の~」といったイメージを思い浮かべる人は多いかもしれないけれど、人の往来、モノの往来、文化の往来が盛んだった日本海に浮かぶこの島は、当時江戸の姿をして、江戸以上の繁栄と江戸以上の苦難を受け止めていた、江戸以上にたくましい土地だったに違いない、なんてことを思う。
 
そんな佐渡の夏の風景は、たっぷりとした青い海と、風にそよぐ緑の稲と、茶色から灰色まで様々な表情を見せる、建物外壁に貼られた杉板のコントラストが美しい。
佐渡の緑は、亜熱帯のそれほど濃くはない。
 
さて、先刻の質問、「佐渡には何があるのか?」「佐渡で何をするのか?」に対する私の答えは「佐渡には海がある」「佐渡の海で潜る」である。

(その2に続く)

佐渡市ホームページ


佐渡観光協会ホームページ
 

毎年お盆の頃、海上に浮かべた特設舞台で演じる『海洋薪能』が行われる多田海岸。今年の演目は『清経』。
佐渡奉行渡来港だった赤泊港。北海道の商家に奉公し、ニシン漁への投資などで富を築いた田辺翁が改築に私財を投じた。