from 北海道(道央) – 3 - 大正8年創業、『小樽老舗酒屋』へ。

(2009.08.13)

「北海道ワインツーリズム」推進協議会サポーターとして。

前回ご紹介した「北海道ワインツーリズム」推進協議会。北海道産ワインを広く社会に広めるのと同時に、協議会の目的達成をそれぞれの立場において支援することを表明した方を、協議会が認定する「サポーター」制度を採用しております。

サポーターには、飲食店を経営されている方、酒屋さん、一般消費者の方も含まれていますが、酒屋さんとしていち早くこの動きを支援することを表明された方が、小樽市内で「(株)一印 あかさか」を営まれている赤坂勝(あかさか・まさる)代表取締役です。

大正8年創業『あかさか』さん。
いつも柔和にお話しをお聞かせくださる赤坂勝さん。

 
詩人・伊藤整も通ったお店。

『あかさか』さんは、JR小樽駅を出て、一般国道5号を右手(札幌方面)へと約5分程度歩きJR高架下をくぐって国道を渡り、「北一硝子」さんの並び(手前)にお店を構えています。

現在の店主である赤坂勝さんは、2代目です。というのも、『あかさか』さんは1919(大正8)年創業の老舗。現存する小樽市内の酒屋さんの中では、草分け的な存在なのです。
 
昨年改めて脚光を浴びた『蟹工船(かにこうせん)』の作者である小林多喜二(こばやし・たきじ)。多喜二は1903(明治36)年に秋田で生まれ、4歳のときに小樽に移住したのですが、ちょうど多喜二が16歳の頃に『あかさか』さんは創業したことになります。

小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)で多喜二の1期下に在籍していたのが、伊藤整(いとう・せい)でした。伊藤整が若かりし日、お酒を買いに出かけたのが、この『あかさか』さんなのです。

旭展望台付近に立つ「小林多喜二文学碑」。

ちなみに、伊藤整は『若い詩人の肖像』(講談社文芸文庫)に、大正から昭和初期の小樽の様子を活き活きと描いています。地獄坂の風景、公園通りでの露天の話、蘭島や余市と小樽間の列車での当時の学生たちの躍動感、また、詩集「雪あかりの路」がなぜ「道」ではなく「路」になったのかという事実、さらには暗い一面ではありますが、当時の小樽で「蕎麦屋」と言えば淫売屋の異名であったことなど、北海道の近代史の一断面が生々しく描かれていて、特に小樽に住まれる皆さんには改めて一読していただきたい作品でもあります。

 
人生の先輩として「学ぶべき師」。

さて、赤坂勝さんですが、大変な勉強家であり、柔和な笑顔と物腰の低さは、赤坂さんよりも年齢の低い我々にとって「学ぶべき師」とも言える存在と言っても過言ではありません。
 
1955(昭和30)年にイタリア・トリノ大学大学院に留学し、葡萄栽培とワイン醸造を学び、1964(昭和39)年に「池田町ブドウ・ブドウ酒研究所」初代所長に就任し、日本のワインで始めてヨーロッパの国際コンクールで金賞を受ける「十勝ワイン」を造り上げた故・岩野貞雄(いわの・さだお)さん。

赤坂勝さんは、岩野さんが開いていた「岩野ワイン教室」でワインに関する本質的な知識を学ばれ、その知識を活かしてワインを買い入れています。我々消費者にはワインの産地、セパージュはもちろん、そのワインの特徴まで細かく記した書類を作成しワインを薦められ、今では北海道内だけではなく、本州、遠くは九州からワインの注文があるというのですから驚きです。

北海道産ワインももちろん置いています。
故・岩野貞雄著『ワイン逍遥 フランス編』は、フランスワインを勉強するためには必須の書。
故・岩野貞雄氏と赤坂勝さんとの間でやり取りされた書簡。

 
ワインのみならず、日本酒や泡盛も。

このような赤坂勝さんですが、(社)北海道身体障害者福祉協会会長という立場でも御活躍されており、その幅広く精力的な御活躍ぶりにはただただ頭が下がるばかりです。

その活動の合間、日本酒の「浦霞」(うらかすみ:宮城県塩竈市)、泡盛の「瑞泉」(ずいせん:沖縄県那覇市)の社長以下関係者の皆さま方との交流も長年続けていて、決してワインだけにこだわることなく、幅広くお酒を扱っていらっしゃる姿勢には感服です。

皆さんも、小樽に足を伸ばす機会がありましたら、決して「観光ガイドブック」には載ることのない「素晴らしい人」がいらっしゃるお店に是非足を運び、赤坂勝さんと「ワイン樽で造った椅子」に腰掛けて、北海道でのワイン造りの苦労話や素晴らしさなどに耳を傾けてみてください!!