Another Quiet Corner Vol. 28チェット・ベイカーが欧州に残した
7つの名盤が紙ジャケでリイシュー。

(2013.10.25)

アメリカからヨーロッパへ。音楽を通じてチェットの波乱の人生を辿る。

Quiet Cornerとして初のリイシューアルバムを手がけることになりました。僕もずっと愛聴してきた、チェット・ベイカーがデンマークの名門レーベル『スティープル・チェイス』に残した作品を、世界初の紙ジャケ仕様、しかも24bit/96Khzマスターを使用した高音質でリイシューします。どの作品も深まる秋の風景がよく似合う、まろやかで叙情的な音楽ばかりです。

初めてチェット・ベイカーの音楽を知ったのは、10代最後の夏休みでした。60年代のボサノヴァやソフトロックに夢中になっていた僕は、そのまま導かれるようにしてジャズ・ヴォーカルの世界にのめり込んでいきました。ディスクガイドを頼りに手にしたのはチェット・ベイカーの1956年の作品『Chet Baker Sings』です。そのころはまだウェスト・コースト・ジャズもパシフィック・ジャズ・レーベルも知りませんでしたが、そのモダンなジャケット・デザインとスマートなサウンドを耳にして、すこし大人になったような気分になれたのです。

その後、少しずつチェットの作品を集めながら、後期の作品も聴いてみようと手に入れたのが『Touch Of Your Lips』でした。ほのかにグリーンを帯びたモノクロに写るチェットの姿——若いころの印象は跡形もなく、哀愁が滲みでた孤独のジャズメンとして変わり果てていた…。そう、彼の栄光の陰には深い闇があったのです。ドラッグに手を染めて、アメリカで活動の場を失い路頭に迷ってしまう。しかしかつての仲間ディジー・ガレスピーの助けを借りて再びトランペットを手にします。70年代になると、新天地を求めてヨーロッパへ渡り、フランス、イタリア、オランダなど各地をまわりながら、ライブとレコーディングを続けました。オランダのヴォーカリスト、レイチェル・グールドとの共演作『All Blues』や、フランスで吹き込んだウラジミール・コスマのカヴァー集『Plays Vladimir Cosma』といった傑作が生まれたのもこの時です。しかしもっとも充実した作品を残したのは、『スティープル・チェイス』でした。

チェット晩年のメランコリーな7作品を紙ジャケ高音質でリイシュー。

スティープル・チェイスには先の『Touch Of Your Lips』をはじめ7枚の作品を残しています。ピアニストのデューク・ジョーダンを迎えたクァルテット作品『No Problem』。名演「Broken Wing」を収めた『Daybreak』。モンマルトル・ライヴ・シリーズの中でもひと際名演揃いの『This Is Always』。ロマンティックなタイトル曲を収めた『Someday My Prince Will Come』。ポール・ブレイとの親密な対話を生む『Diane』。すすり泣くようなトランペットが印象的な『When Sunny Gets Blue』。どの作品も北欧らしいリリシズムを感じさせながらも、どこかおだやかな温もりも併せもっています。年を重ねたチェットのトランペットも歌も、心に沁み入る味わい深さが感じられます。例えるなら、ビル・エヴァンスが最晩年に録音した『You Must Believe In Spring』のような、今にも消えていきそうな儚くも美しい音を連想させます。写真家のブルース・ウェーバーが監督を務めた、チェットの生涯を描いたドキュメンタリー映画『Let’s Get Lost』を観てやるせない気持ちなった僕にとって、晩年のチェットの作品以上に心打たれるものはないでしょう。そしてクワイエット・コーナーの世界観にも通じるメランコリーがあるのです。

そんなチェットの知られざる名作たちを、熱心なジャズ・ファンだけではなく、もっと多くの音楽ファンにも聴いてほしいと思い立ち、メーカーに企画を持ちかけたところ、今回の再発が実現したのです。7枚、どれも本当におすすめしたいのですが、『Touch Of Your Lips』の次にあえて挙げるなら、ピアニストのポール・ブレイとのデュオ作『Diane』でしょうか。チェットのトランペットに寄り添う、ポール・ブレイのピアノはどこまでにも優しさにみちています。1988年にチェットはオランダのアムステルダムで謎の死を遂げました。それから25年の時が経ちました。そうした年に再発できたことはとてもうれしく思いまし、この機会にぜひ彼の晩年の作品にも耳を傾けていただきたいです。

【ローソンHMV限定盤】 チェット・ベイカー紙ジャケ復刻


左:『タッチ・オブ・ユア・リプス』 (1979年)
チェット・ベイカー(tp,vo) / ダグ・レイニー(g) / ニールス・ヘニング・オルステッド・ペデルセン(b)
右:『危険な関係のブルーズ』 (1979年)
チェット・ベイカー(tp,vo) / デューク・ジョーダン(p) / ニールス・ヘニング・オルステッド・ペデルセン(b) / ノーマン・フィアリントン(ds)

左:『デイブレイク』 (1979年)
チェット・ベイカー(tp,vo) / ダグ・レイニー(g) / ニールス・ヘニング・オルステッド・ペデルセン(b)
右:『ジス・イズ・オールウェイズ』 (1979年)
チェット・ベイカー(tp,vo) / ダグ・レイニー(g) / ニールス・ヘニング・オルステッド・ペデルセン(b)

左:『いつか王子様が』 (1979年)
チェット・ベイカー(tp,vo) / ダグ・レイニー(g) / ニールス・ヘニング・オルステッド・ペデルセン(b)
右:『ダイアン』 (1985年)
チェット・ベイカー(tp,vo) / ポール・ブレイ(p)

『ホエン・サニー・ゲッツ・ブルー』 (1986年)
チェット・ベイカー(tp,vo) / ブッチ・レイシー(p) / ジェスパー・ランガード(b) / ユキス・オティラ(ds)

【Chet Baker Biography】

チェット・ベイカーことチェスニー・ヘンリー・ベイカー・ジュニアは、1929年12月23日オクラホマ州、イエールに生まれている。1940年には一家はLA近郊のグレンデールに移住した。チェットにとってこのころアコーディオンやタップダンスでアマチュア・コンテストに出演したのがはじめての音楽の経験だった。当時チェットは聖歌隊で歌っていて、13歳になった時父はトランペットを与えたという。こうしてトランペッター、チェット・ベイカーが誕生した。

高校に入るとマーチング・バンドで演奏していたが、中退して陸軍に入隊する。チェットはドイツのベルリンに派遣され、ここでVディスクなどで初めて本格的にジャズに触れることになる。ディジー・ギレスピーこそがはじめてのアイドルであり、やがてハリー・ジェームスが加わった。ハリー・ジェームスを好むあたりにも、ビバップの香りだけでない、オシャレな音楽家チェットの面影が浮かんでくる。

1948年に除隊したチェットはLAへ戻り、エル・カミーロ大学に通いながらシッティンを繰り返したが、1950年チェットは再び徴兵され従軍、一日中プレイし夕方に眠り、夜中に起きて明け方までプレするという生活が続いた。やがて除隊、1952年、西海岸に到来してトランペッターを探していたチャーリー・パーカーのオーディションに参加し採用さ、一流ミュージシャンとの交流が始まった。チェットは22歳でカリフォルニアに住んで結婚していた。この年の夏、ジェリー・マリガンはピアノレス・カルテットを結成、トランペッターはチェット・ベイカーだった。西海岸の主だったクラブを総なめにするマリガンのツアーにチェットは参加、名声は次第に確立されていった。1954年チェットは自分のグループでツアーを行い、55年夏にはリック・ツワージックを擁する幻のカルテットで欧州に出掛ける。10月21日ツアーの途中でツワーディックは死亡した。

1956年4月、チェットは新しいグループでパシフィック・ジャズ・レーベルに録音を開始する。この当時からチェットは麻薬に手を染め何回かの入院の後キャバレー・カードを没収された。

1959年夏、チェットはアメリカを離れイタリアに行き、4年半滞在した。ここでも麻薬禍は治らなかった。1964年アメリカに戻ったチェットは音楽の変化に愕然としたが、マリアッチやその他の時流に乗った作品をワールド・パシフィックなどに吹き込んだ。1970年から3年はジャズをあきらめていたが、1973年カムバックしたチェットはCTIレーベルからマリガン・グループのメンバーとしてや、自己のアルバムを発表した。

1975年頃から活動拠点を主にヨーロッパに移し、ドイツのenjaや、デンマークのSteeple Chase、イタリアのPhilology、IRDといったレーベルに数多くの作品を残した。1986年3月に初来日、翌1987年にも再来日を果たした。そのときの模様は『Chet Baker in Tokyo』というライヴ・アルバムとして作品化されている。1988年5月13日、オランダのホテルで謎の転落死を遂げた。享年58歳。麻薬と闘いながらスリリングに生きた生涯は、最晩年のドキュメンタリー映画『レッツ・ゲット・ロスト』にも収録された。

Another Quiet Cornerとは

このコラムはHMVフリーペーパー『Quiet Corner』編集長・山本勇樹さんが、『Quiet Corner』で書ききれなかった音楽を伝えてくれる連載です。2009年HMV渋谷店にできた「心を静かに鎮めてくれる豊潤な音楽」をジャンルや国籍に関係なくセレクトした伝説の売り場「素晴らしきメランコリーの世界」が、アルゼンチンの音楽家カルロス・アギーレと共鳴する音楽を聴くというbar buenos aires選曲イベントへと繋がり、ライヴ運営やコンピレイションの制作、レーベルの設立というように活動の幅を広げています。イベントごとにつくられた幻のフリーペーパー『素晴らしきメランコリーの世界』が、2011年春「Quiet Corner」と名前を変え、同じコンセプトで静かだけではない豊かでQuietな音楽を紹介し続けています。