『吉田慶子/カエターノと私』10/22リリース。 必要な音だけが静かに美しく鳴っている 吉田慶子のカエターノ・ヴェローゾ集。

(2014.10.13)
All Photos by Hitoshi Iizuka
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カエターノの多彩なレパートリーに挑戦

世界的に実はあまり例のない、単独アーティストによるカエターノ・ヴェローゾのカヴァー集がここ日本で誕生した。それが吉田慶子の最新作『カエターノと私』。吉田慶子といえばブラジルの古い名曲をボサノヴァやサンバ・カンソンというスタイルで表現する歌手として知られている。そして誰をも魅了する、静かにささやくような声の持ち主としても。彼女のレパートリーは膨大で、ノエル・ホーザ、ルピシニオ・ロドリゲス、アントニオ・カルロス・ジョビン、ヴィニシウス・ヂ・モラエス、ジョアン・ジルベルト、ホベルト・メネスカル、カルロス・リラ他を始めとする主に1930年代から60年代のブラジル音楽を中心に歌っている……これが一般的なイメージだろう。それだけに、コンスタントにアルバムをリリースして多面的な作品を発表している現役アーティスト、カエターノ・ヴェローゾのナンバーに取り組んだことは彼女のイメージに対して若干のリニューアルを迫られる。

現役アーティストといっても、カエターノがキャリアをスタートさせたガル・コスタとのデュエット・アルバム『ドミンゴ』発表は1967年。既に半世紀ものキャリアを誇り、時間軸だけでいうと「古典」の要素も既に持っている。同時にカエターノはその「古典」の引き出しと、「現代」を常に同時に持ち合わせており、吉田慶子が歌い続けてきたレパートリーの延長線上、もしくは進化系のところにいる。その音楽性は多彩だ。ボサノヴァ、トロピカリア時代のサイケな音、バイーアの香り溢れる曲、チェリストであるジャキス・モレレンバウムとの蜜月時代、ラテン圏全域に目配りした音楽、ロック色強いバンド・サウンド他とにかく幅広い。吉田慶子はこれらをどのような基準ですくい取ったのだろうか。または、何をすくい取ったのだろうか。

レコーディング・スタジオにて
レコーディング・スタジオにて
 
吉田慶子と美しい音楽

それはカエターノの音楽の底流にある「美しさ」だ。そして、その美しさは吉田慶子の感性の中では「静けさ」と共にあるはずだ。今回の作品は膨大なカエターノのナンバーからセレクトされただけに、吉田慶子の美意識の基準が濃密に詰まっている。同じ意味のことだと思うが、彼女は当然ながらジョアン・ジルベルトに大きな影響を受けながらも「ジョアン・ジルベルトのようなボサノヴァ」を目指しているかというと少し違う。彼女は「ジョアン・ジルベルトのような美しい音楽」を目指しているのだ。フォーマットは愛してやまないブラジル音楽。しかし本当に発したいものは「美しい音楽」。その方向を明確にみせたのが、ピアニスト黒木千波留と作った『samba canção』(2007)と『soneto』(2013)。これについては堀内隆志さんが、当コラムで(2014.3.11)愛情たっぷりに綴っておられる。この時はレパートリーを古いブラジル音楽に求めたが、今回のアルバムはさらに一歩進めた内容といえそうだ。

これを可能にしたのが今回の共演ミュージシャン。前述したピアニスト、編曲家の黒木千波留、そしてベーシストの増根哲也。黒木千波留の音と音色に対する繊細さ、こだわり。増根哲也のサウンド空間をたくみに知覚するセンスと技術。二人ともブラジル音楽を専門に演奏しているミュージシャンではないだけに、それぞれの個性でカエターノの世界に迫っていきながら、結果的に吉田慶子の「美しい音楽」を見事に炙り出す極上のアコースティック音楽を作り上げた。同時に、これは正しくブラジル音楽でもある。吉田慶子の声から滲み出る詩情は、最良のブラジル音楽が持つそれとまったく同質のものだと思う。

レコーディング・メンバーとスタジオにて(L to R 吉田慶子、黒木千波留、増根哲也)
レコーディング・メンバーとスタジオにて(L to R 吉田慶子、黒木千波留、増根哲也)
 
魔法のようなささやき声

少しだけ収録曲に触れてみたい。例えば冒頭の「Pecado」。カエターノが大編成で歌ったこのアルゼンチンの名曲は、ラテン・エレガンスに溢れていた仕上がり。一方こちらは音数少ないものの弱火でじわじわと沸騰していくようなドラマティックさがある。ピアノとのデュオで静かに、オリジナルのテンポよりスロウに始まるこの演奏。視界が開けるようなベースが入る瞬間、さらに転調する1分30秒ごろの美しさはどうだろう。歌と演奏が表情をもつとはこういうことを言うのだろう。情感をピンセットで摘まんで、ていねいに曲のヒダに埋めていくような圧巻の出来栄えだ。「Domingo」でのハーモニーの豊かさと斬新な解釈は、この定番曲にまったく新しい息吹を与えているし、「Michelangelo Antonioni」は官能的、幻想的という言葉がぴったりで、息をのむような美意識に溢れている。吉田慶子のギターが入っていわゆるボサノヴァ風になる「Lindeza」では節度のある美しい音ばかりが、全編芝生のように敷きつめられている。

ただのカエターノ・カヴァー集ではない。カエターノという題材を通して、吉田慶子は見事に魔法としか思えない繊細な声と共に、自分の音楽を自分らしく表現した。短いが、必要な音だけが静かに美しく鳴っている全10曲約32分のアルバム。そして、それに続く長い余韻のあいだ中、その魔法はとけそうにない。

 

「吉田慶子/カエターノと私」
KEICO YOSHIDA – CAETANO e EU
2014年10月22日発売 2,800円(税別) RPOL-10001 レーベル:コアポート

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■2014年録音作
■編曲:吉田慶子、黒木千波留(M-1, 3, 4, 5, 6, 7, 8)、増根哲也(M-2, 9)
吉田慶子 (ヴォーカル、ギター)
黒木千波留 (ピアノ)
増根哲也 (ベース)

吉田慶子ホームページ

【Track List】
01. ペカード(罪)
Pecado (Carlos Bahr / Armando Pontier, Francini Enrique Mario)
※『カエターノ・ヴェローゾ/粋な男』 “Fina Estampa” 1994
02. トリーリョス・ウルバーノス (アーバン・トレイル)
Trilhos urbanos (Caetano Veloso)
※『カエターノ・ヴェローゾ/シネマ・トランセンデンタル』 “Cinema Transcendental”1979
03. ドミンゴ
Domingo (Caetano Veloso)
※『カエターノ・ヴェローゾ/ドミンゴ』 “DOMINGO” 1967
04. マドゥルガーダ・イ・アモール (夜更けの愛)
Madrugada e amor (Jose Messias)
※『カエターノ・ヴェローゾ/クァルケル・コイザ』 ”Qualquer coisa” 1975
05. ミケランジェロ・アントニオーニ
Michelangelo Antonioni (Caetano Veloso)
※『カエターノ・ヴェローゾ/ノイチス・ド・ノルチ』 ”Noites do norte” 2000
06. リンデーザ
Lindeza (Caetano Veloso)
※『カエターノ・ヴェローゾ/シルクラドー』 “Circulado” 1991
07. ブランキーニャ(白の少女)
Branquinha (Caetano Veloso)
※『カエターノ・ヴェローゾ/エストランジェイロ』 ” Estrangeiro ” 1989
08. ヴァルサ・ヂ・ウマ・シダーヂ (ある町のワルツ)
Valsa de uma cidade (Antonio Maria/Ismael Netto)
※『カエターノ・ヴェローゾ/フェラ・フェリーダ』 “CAETANO” 1987
09. アルゲン・カンタンド (誰かが歌ってる)
Alguem cantando (Caetano Veloso)
※『カエターノ・ヴェローゾ/ビーショ』 “Bicho” 1977
10. シン、フォイ・ヴォセ (そう、あなただった)
Sim, foi voce (Caetano Veloso)
※ガル・コスタのデビュー・シングル[マリア・ダ・グラッサ名義]カップリング曲(1965)

「吉田慶子/カエターノと私」CD発売記念ライヴ
201/11/7(金) OPEN 18:30開場 / 19:30開演/START 19:30
予約3,800円/当日4,300円(共に1ドリンク込/全席自由)
吉田慶子(ヴォーカル、ギター)、黒木千波留(ピアノ)、増根哲也(ベース)
会場 : サラヴァ東京 東京都渋谷区松濤1-29-1 クロスロードビル B1

ご予約・お問い合わせ:サラヴァ東京 Tel.03-6427-8886 ※月火木金(祝日を除く)の14:00~18:00 contact@saravah.jp