梵(ぼん)な道具を聴いてみる。 第十二回啓蟄:冬眠から目覚めた命の如く。
発掘の経筒が魅せる、今生の艶態。

(2013.03.05)

「梵(ぼん)な道具を聴いてみる」第十二回は、平安時代の陶製経筒をご紹介。その小さい形(なり)は殊に慎ましく、枯淡を装いながらもどこか光源氏のような艶かしさを覗かせる。土中より掘り起こされたのは経筒という物体のみならず、「祈りのために作る」という、近世から続く経済市場主義が遠くしてしまった意識、美が人のために存在してしまった今生の様を再認識できる機会なのかも知れない。

末法思想と経塚。

奈良時代、大陸からもたらされた仏教が都を中心に勢力を拡げていく一方、古来より存在した自然信仰や古神道は「神仏習合」という形で同居することとなる。その出来事は当時の伝統的な観念に大きな衝撃をもたらしたのでは、と想像するが、東大寺が大仏を建立することにより「世の中を広く見渡し、護る」という世界平和を標榜することで、少しずつ神話イデオロギーと融和していったようだ。時代は進み、平安時代に入ると華やかりし貴族の摂関政治は徐々に衰退、武士が台頭する動乱期へと移行していく。そこで台頭したのが末法思想である。

末法(まっぽう)思想とは仏教における予言の一種であり、釈迦が立教した日から1,000年/1,000年/10,000年と3つに分け、釈迦の教えが及ばなくなった末法期には仏の法(のり)が正しく行われなくなる、という仏教上の下降史観、つまり「時代が進むごとに世の中は次第に悪いものとなる」という思想である。

末法思想が蔓延したのは平安時代の初め頃。1052年(永承7年)が末法の元年とされたことで、各地で盛んに経塚の造営が行われた。経塚とは祈願を成就させるために仏教の経典を写経し、それを鏡などの副葬品とともに経筒(きょうづつ)という外容器に納めて地中に埋めておく場所のことであり、聖地である神社内や山頂などに造営されていた。中でも名高いのが山梨県と長野県の県境にそびえる金峰山である。

平安時代の経筒。

平安の経筒、と聞くと骨董ファン、特に仏教美術を愛する方々の目の色は変わる。仏教美術を標榜する数寄者として一度は手に寄せたいと思うのが平安時代の金銅製経筒だが、土中で酸化し眩いばかりの緑青を纏った経筒の姿が単に「荘厳」であるという理由だけで、こんなにも人を魅了できるのだろうか。否、であろう。つまり経筒は工人が人を想い作ったのものではなく、先の見えぬ不安におののきながら神と向かい合い作られた「祈りのかたち」なのだ。また何日もかけて行った写経とその想いを飛翔させるために最適化した経筒が、鎌倉時代を境に現世利益や追善のために使用され始めるという「ピュアな信仰」のために利用された<最後のツール>であること、そして仏教初源の匂いを色濃く残しているのが最大の理由なのだろう。

経筒は金銅製のほか、鉄製や陶器製など地域や時代により様々だが、相対する度に言葉にならない震えが沸き起こってくる。それは君のボキャブラリーが貧困だからだ、と言われれば確かにそうなのかも知れない。しかし、平安遺物が醸す空気は例えようもなく静かでひんやりとし、死の匂いがふんぷんである。しかし、この死の匂いには「艶かしさ」が同居してしまっているから話がややこしいのだ。遥か以前の縄文土器や土偶は自然信仰の(良い意味での)曖昧さとは質を異にした明らかな迫力は、ある対象物に対して一心に祈った人の気韻が形になっているとしか思えない。

陶製の経筒。

写真の経筒は陶製のものである。しかし一般的なものよりもかなり小さい。作家の白洲正子氏が持っていた坂東三津五郎旧蔵の経筒と比較すれば、10cm程度も差がある。この経筒の一番の魅力は、くねった体つきと強い轆轤目になると思うが、1つだけ残った耳(元は3つ)が大変良いバランスで存在しているところも見逃せない。こんなに小さい経筒では当然中身の写経も幅が狭くなるのだが、紙が大変な貴重品である事を鑑みると、都から随分と離れた貧しい田舎の地で作られたのかも知れない。

今生では中身は失われ、ついに人の愛玩物となってしまった。しかし仏性を感じられるものを身辺に置き、生活を営むという事は何よりも有り難い事ではなかろうか。美が人のために存在する危うさが、「美」の観念とは何かと問いかけ、再考の道しるべとなってくれるからだ。

いよいよ春。冬眠から目覚めた虫が這い上がってきたかのような「耳」を愛でながら、短くなった鉛筆をそっと置こうと思う。
 

啓蟄に聴きたい音楽

Christopher Simpson : “The Seasons, The Monthes & other divisions of Time – Ⅰ” / Sophie Watillon

1曲目の「The Winter」という楽曲が、陽が傾き始めた頃の柔らかな光を感じさせてくれるのは、冬の厳しさに耐えている時の春の希求が楽譜から漏れだしてくるからに違いない。本盤は17世紀の作曲家、クリストファー・シンプソンのヴァイオル・アンサンブル集。まっすぐで穏やかな曲調は、池にぽっかりと浮かぶ小さな舟のような慎ましさを感じさせ、聴き進むうちに精神が清浄されていくようだ。

春、あなたがこの音楽を聴いて心にどのような風景が拡がるのだろう。感動と対面することは大事だ。しかし、心に「感じる」風景をたくさん持っている人も、きっと同じくらい幸せなのだと思う。古楽器の香ばしい音色とともに楽しんでいただきたい。

Bon Antiques展示会情報

3月17日(日)大江戸骨董市に出店。
時間:8〜16時(雨天の場合は中止)
場所:東京国際フォーラム前広場

4月28日(日)〜5月6日(月/祝日) 「座辺の骨董たち」(仮タイトル)
場所:丹羽茶舗(大分県中津市)