中島ノブユキさんのピアノソロ新譜『clair-obscur』2/19リリース20年前の構築的な曲がきっかけで、
中島ノブユキの新しい世界が誕生。

(2014.02.25)

All Photos by Masatoshi Yamashiro
ありがたいことに、中島さんは新しいアルバムが出来るといつも録音スタッフと一緒にbar bossaに持ってきてくれて、みんなで「プチ試聴会」のようなものを開いてくれます。

しかし今回の新譜は最初から「???」だらけでした。まず音が今まで聴いたことのないような音で、その音に慣れるのに半時間。そう、ちょうどこのアルバムを全部聴き終わる頃にやっと「この初めて体験する音」に耳が慣れました。

そして2回目からは、この「特殊な音作り」にうっとりすることになったのですが、中島さんの楽曲が全く「リスナーに優しい」わけではないということに気がつきました。

まずいつものような「有名で誰もが知っているキャッチーな曲をカヴァーした曲」というのが1曲もありません。

そして、例えば『エテパルマ』の中の「フォーリング」や、『パッサカイユ』の中の「秋のワルツ」や、『メランコリア』と『カンチェラーレ』の中の「忘れかけた面影」、『人間失格』の「メインテーマ」のような、誰もがあっという間に覚えて、一緒に歌いたくなるような、そして独特の胸を締め付けるようなあの中島ノブユキメロディの曲が1曲も入っていないんです。しかし、伝わってくるのは「このアルバムはとにかくものすごい大傑作で、かつ中島ノブユキの新しい時代の始まりを告げる作品なんだ」ということです。

そして、ある冬の日、僕はそんな疑問と感想を中島ノブユキ本人にぶつけてみることにしました。

中島ノブユキ・インタビュー

林(以下H)このアルバムが録音される経緯は?

中島(以下N) 2012年の夏くらいにスパイラルレコーズから「次の作品を作りませんか」と最初の打診があったと思います。『八重の桜』の音楽の作曲はその時期にはもう始まっていました。オリジナルアルバムのイメージは当時、いくつかあって、まだ絞り切れていませんでした。例えば『プレリュードとフーガ』の録音とか。ただ全曲録音ということになると曲を全部書きあげる時間が全く足りないなと思ったり。それでいわゆる即興のピアノソロのみの作品っていうのを今まで作っていなかったからそれを出したいなっていうのがあった。『カンチェラーレ』は楽曲を弾いてたから、それの反動で即興を弾きたいっていうのがあったのかもしれません。

それから『八重の桜』の音楽作りの手法として、ああいう叙情的というか、メロディがあってそれを楽器に振り分けてという作業はかなりやり尽くしたという感じがありましたし。

でも今回のは即興ではないですよね。さらに曲の印象がいつもの中島ノブユキとは全然違うのですが。

即興ではないですね。一音もその場で即興で弾いた音はないです。

曲作りは『エテパルマ』から始まって『カンチェラーレ』までは、例えばメロディがあってコードがあって、ピアノで自分がそのメロディを弾くというスタイルの曲が多かった。

『クレール・オブスキュア』は2013年の12月の録音だったんだけど、それを遡ること1、2カ月前かな。自分の古い楽譜を整理していたんですね。そしたら自分が24歳くらいのちょうど20年くらい前に書いた曲が出てきて。それはピアノ連弾用の楽譜だったんですが、「あれ? これは今レコーディングしたらどうなるのかな」って思ったんです。

それでその曲を弾いてみたら、「この曲だけこんなに構築性があって他がメロディとコードっていうスタイルだと、つまり自由度があって柔らかい曲だとちょっとどっちつかずな感じがあるかな」って思って。やっぱりアルバムっていう単位で録音するならこのピアノ連弾用の曲をとりまくような曲、つまりスタイルの統一感を持って固めたいなって思った。そしたら、それから一気にアルバムの構想がまとまってきた。

昔の自分の曲を見て、違和感はありましたか?

ありましたね。今だと音をもう少し整理しちゃうと思う。古い曲には未整理の音が結構残っていて。でもそれが今となっては結構いいんですよ。

整理して作り直そうとは思わなかった?

一瞬そう思って手直ししようとしたんだけど、そしたら曲の良さがなくなっちゃって…。ちょっと“ぐじゅ”っとした感じがなくなるというか。今ならこの“ぐじゅ”は作れないなって。

中島さんの音楽はメロディを覚えて一緒に歌えるっていう印象があるのですが、今回はどうも歌えないなって思ったのですが。

いや、歌えるはずですけどね(笑)。これはあえて「歌を廃した」というわけではなくて、自然とそういう音楽が自分から生まれてきたわけではあるんですが、僕が最近志向しているのは「楽器を指定していない音楽」ということなんですね。「楽器を指定している」っていうのは何かというと「楽器の属性に縛られている音楽」のこと。例えばヴァイオリンならヴァイオリンらしい響き、バンドネオンならバンドネオンならではの響きとか、そういったもの。でもそうではなくて、楽器が指定されていない音楽の「ゆるぎなさ」というのにある時期から改めて気がつきはじめていた。

そういうのって何かというと、バッハが最晩年に書いてた『フーガの技法』という楽曲群。それは楽器が指定されていないんですね。それにしてもバッハはどうして楽器を指定しなかったのかな。単なる書き忘れかもしれないし、あるいは自分の目の前にある楽器が当たり前すぎて書かなかったのかもしれない。でも楽器が指定されていないっていうことからその楽器の属性を離れてすごく普遍的な価値を感じることが出来る。音符ひとつひとつに価値を感じる。

そういったときに今回のピアノソロは必ずしもピアノじゃなくても成立する曲になってもいいのではと思えて。だからそれゆえに「メロディが歌われる」ということが希薄になってきているんじゃないかな。

* * *

『エテパルマ』のときはバンドネオンの音域を北村さんに教えてもらい、人との出会いで音楽を作っていくのが楽しいと聞きましたが、今は人との出会いではなくて自分だけの核のような音楽になってきていると考えていいのでしょうか。
 
そうかもしれないですね。どうしてそうなったのかを今考えてみると『八重の桜』でそのメロディでドラマに貢献するということに本当に集中したんですね。

実は『八重の桜』の劇伴としての音楽は、自分の中での勝手に決めた裏テーマは『劇をメロディで埋め尽くす』ということだったんです。それは結果的にはうまくいったと思っている。でももしかして歴代の大河ドラマ好きの人にとってみれば『ちょっと甘い』と思われたかもしれない。劇判にありがちな情景描写的な音楽は割合としては少なかったかもしれませんからね。とにかく今作にはその反動があるかもしれないですね。

でもだからといってそれが歌えない音楽になった要因ってわけでもないんですよね。例えばアンサンブルの音楽だと、ピアノでメロディを弾いて、その後バンドネオンがメロディをなぞって、その後が弦楽器でって感じで展開していくとそれがよりメロディを強調してよりメロディアスになるような感じはあるのかもしれないけど、今回はピアノだけだし、今回のアルバムの曲はそんなにもメロディモチーフが多い音楽ではないので、よーく耳をすませていただくと「なるほど。このメロディまた出てきているな」って感じてもらえると思いますね。

むしろメロディの単位が小さくなって、その組み合わせや重なり合いが今までの曲のようにメロディをよりメロディアスに聴こえさせる、というような積み重ね方ではないから。

中島ノブユキの音楽というとある種のエンターテインメント性を大切にしていたと思うのですが、今回はごそっとそういうものを廃しているのはどうしてなのでしょうか?

そうですね。たぶんライフワーク的に取り組んでいる『プレリュードとフーガ』で完成されるだろうと思う世界と重なり合っている部分があるように思います。それは何かというと「小さなモチーフの運用」ってことなんだと思う。息の長い「歌いたくなるようなメロディ」ではなくて、ある簡素なそれだけでは何も物語っていないような、言葉でいえばまだ何も意味を持たないような言葉。それの重なり合いの中で意味をなすような作り方なんですね。だからいわゆる華やかなエンターテインメント性とか、名人芸的な楽器に属している技巧や音色の変化とかではないものに近づいている。

それは自分の核のようなものに近づいている感覚ですか? それとも新しいおもちゃのように「作っていて楽しい」って感覚ですか?

それはいつも自覚してやっていることではないんです。今こういう音楽の流れがあるからこういう音楽を作ろうとか、そことのバランスでこういう音楽を作ると面白いなとかっていうのはないんですよね。結果的に出来上がった作品に自分が気づかされるんですね。

曲を作ってて、「これは地味すぎないかな」って思いませんでしたか?今までのようにヴィラ=ロボスやラフマニノフみたいな有名な曲をいれたりとかは考えなかったんですか?

最初は少し考えましたけれど、構想がまとまってきた時点でそういう選曲は今回はなくてもいいのかなと思いました。録音に先立つこと2カ月くらい前かな。ピアノ調律師の狩野真さん、そしてエンジニアの奥田泰次さん、スパイラルレコーズの山上周平さん、との打ち合わせがあって。その時にはもう何曲か出来ていましたしね。そういえば今作はピアノソロ作品ですけど実は多重録音で録音した曲も多いんですよ。元々連弾用に作っていた曲を録音するというコンセプトもあったので、それならばと最初から多重録音を念頭においた曲(「perpetuum mobile」など)も作りました。

* * *

録音に関しては?

今作は「空気の厚い層が感じられる遠鳴りの、しかしきちんと音の芯のあるもの」というようなイメージが最初からあったのでそのことを打ち合わせの時にエンジニアの奥田さんに伝えました。後の技術的な部分はもちろん全て任せました。その辺のテクニカルな部分は僕の専門じゃないのでうまく説明は出来ないんだけど、これは実はPro Toolsで録った音なんですね。Pro Toolsっていうのはここ十数年業界のスタンダードです。

でも、もちろんPro Toolsではないシステムの録音技術も進化していて、それの方がPro Toolsでは録りきれないような音も拾えるという画期的なものが出来てはいるんだけど、でもそれだと多重録音が出来ない。で、奥田さんはピアノソロだと聞いていたから、つまり多重録音の必要が無いと思っていたから、このPro Toolsよりハイスペックの技術の方で録音しようと考えていた。でも多重録音があるって聞いて「むむむ」ということになった。

でも、録音の前々日にPro Toolsを使いながらも、まだプロトタイプのある機材と共存させることによって、まだ誰も聴いたことのないクオリティーに達するための技術を奥田くんが実現したんです。でも録音はその2日後だし、録音がうまくいくかどうかわからないから、保険の録音機材も持ってきていた。機材の量は半端なかった。でも、録音当日はその奥田さんが開発した技術が成功して、それで録音したんです。

最後になりますが、こういうところを聴いてほしいというのは?

ピアノの音色も聴いてほしいですね。これはホールに常設してあるピアノではなくて、ずっとピアノの調律をお願いしている狩野さんが所有しているもので。元々イタリアのアルド・チッコリーニというピアニストが持っていたものを狩野さんが譲り受けて、日本に運んでずっと調整をしていたピアノなんですね。

で、狩野さんが今回の録音はあのピアノがいいんじゃないかなっていってくれて。僕は当日までそのピアノに触れることは出来ないと思っていた。でも、たまたま狩野さんのそのピアノが置いてある工房の近くまで行くことがあって。狩野さんが「ちょっと弾いていきませんか」っていってくれて。とある撮影の帰り道で、Uターンしてその工房まで連れてってくれたんだけど。

そのピアノを弾いてみたら素晴らしくて。そのピアノを触ったことによって生まれた曲がたくさんある。その音色に影響されてね。そのピアノの音色そのものも聴いていただけたらなって思いますね。グロトリアン・シュタインヴェクというピアノです。

『clair-obscur(クレール・オブスキュア)』
中島ノブユキ
2014年2月19日発売 2,857円(税別)XQAW-1106
レーベル: SPIRAL RECORDS

【Track List】
1. lost corner (4:36)
2. perpetuum mobile (7:20)
3. reflection #1 (3:33)
4. prologue epilogue (7:09)
5. aria (5:20)
6. reflection #2 (3:25)
7. clair (2:58)
8. obscur (2:56)
All Composed by Nobuyuki Nakajima

【中島ノブユキ『clair-obscur』Release Piano Solo Tour】
4/25 fri.
平野の家 わざ 永々棟(京都)

4/26 sat.
岡山市立オリエント美術館(岡山)

4/27 sun.
HUMMOCK Cafe (姫路)

4/28 mon.
Jazz茶房・靑猫 (名古屋)

5/15 thu.
男女共同参画センターはあもにい 多目的ホール(熊本)

5/16 fri.
papparayray -パッパライライ(福岡)

5/17 sat.
旧香港上海銀行長崎支店記念館 多目的ホール(長崎)