世界を驚かせる音楽教室 エル・システマのキセキウィーン・フィルとともに ドゥダメル・タイフーン上陸。
(2014.10.10)長年ピアノを教えている。楽器は実際のところ、人の暮らしの役に立つのだろうか。家具にはなる。レッスン中に地震があれば、生徒はピアノの下にさっと隠れる。家が狭いので調律師に叱られても、ピアノの蓋の上にプリンターを置く。甲斐性もないまま折々で家出をすると、そのたびに楽器を毛布でくるみクレーンで吊り出して持ち歩くことになる。人は去っても、楽器は残る。そもそも音には、人が生きて摩擦した瞬間に生まれ、伝わっていく宿命がある。楽器も音楽も、人の集う場で伝え合い、いつのまにか響き合う、その手段ではなかったか。
2014年9月、世界屈指の人気を誇るウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が来日した。豪奢なチケットであるにもかかわらず、東京公演の追加販売は即日完売だった。伝統を重んじ、熱心な支持者に支えられ、首席指揮者を持たない。音楽の都ウィーンに生まれ育つ、極上の交響楽団だ。彼らがこの秋招いたのは、ベネズエラの指揮者グスターボ・ドゥダメルだった。1981年生まれの33歳。指揮者としては若い。ウィーン・フィルは創設1860年だからいわば172歳。ドゥダメルは23歳でグスタフ・マーラー国際指揮者コンクールで優勝して世に出たが、26歳でウィーン・フィルを指揮し、それからも招聘されているとてもいい関係。
天にも昇る勢い、
指揮者ドゥダメルの人間肯定感 。
ドゥダメルは、今もっとも愛されている指揮者だ。いつもほがらかに笑う。いたずらっぽく眉をあげ舌を出し唇をとがらせる。翼のように両腕を大きく広げる。鳥の巣のような黒髪が身体とともに躍動し、ヒナがころがり出てきていっせいにさえずりそうだ。演奏後は奏者ひとりひとりを讃え、奏者の間にわけ入って立つ。来日中も、最高のオーケストラの熟練したコンサートマスターにも、ユースオーケストラの小中学生にも、等しく人間的に、肯定的に関わる姿を見かけた。音楽に詳しい人には、ドゥダメルを、勢いこそあるがまだわからないと静観する向きもある。それでもベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の将来を語るとき、サイモン・ラトルの後継者のひとりとして彼の名も上がるそうだ。
ドゥダメルの故国ベネズエラは40年間、社会課題に音楽教育で取り組み、ここ10年で次々と音楽家が出て注目されている。その音楽教育プログラムが「エル・システマ(El Sistema)」だ。ドゥダメルは、オーケストラは家族だと話した。エル・システマこそ自分の帰る場所だという。エル・システマにある大切なものとはいったいなんだろう。このコラムでは、今秋と来春、続けて来日する注目の指揮者グスターボ・ドゥダメルと、ベネズエラのみならず、イギリス、アメリカ、日本を含め世界30カ国以上で展開する国内外のエル・システマの動向を追いかけよう。そして、音楽とは? 楽器のある暮らしとは? 考えていこう。
臨場感と開放感。
音響建築現場の公開リハーサル
この9月に行われたウィーン・フィル東京公演は、本公演と併せた特別プログラムも面白かった。演目ゆかりの室内楽演奏&レクチャー、奏者によるマスタークラスの公開、学校単位で申し込める青少年プログラムなど、いろいろな境遇の人がリーズナブルに参加できる。中でも無料公開リハーサルの人気は高かった。演奏会本番前に、オーケストラと指揮者の練習に立ち会えるからだ。勇んで入場券の抽選に応募すると、なんと指揮台の真横の席が当たった!
9月24日水曜の朝10時。ドゥダメルはNIKEのグレーのスニーカーに、黒のシャツとパンツ姿。カジュアルな服装で現れた。重要なフレーズを4つの部分に分け、1つめ、2つめと順に指を立て、いま何個目かすぐわかるように奏者に示しながら組み上げる。「ウンパウンパ、パパパパパ、ピシ!」と早口で歌って示すこともある。
丁寧なリハーサルだ。交響曲では、最初に印象深く聴こえてくるフレーズを「主題」と呼ぶが、ドボルザークの交響曲第8番の4楽章にも魅力的な主題がある。名門ウィーン・フィルの演奏する主題を、ドゥダメルは8小節でぴたりと停めるのだ。奏者から質問があれば説明し、ノーノーノーと首をふり、伝え直したりもする。ウィーン・フィルの奏者は指揮台まで次々と尋ねに来る。建設現場で、腕利きの左官屋さんや大工さんが現場監督と相談する様子を思い起こさせた。公開リハーサルでは、演奏会とはまた違う臨場感で音楽をつくる現場を体験できる。
躍動と静寂の東京公演。
●演奏会名:ウィーン・フィルハーモニー ウィーク イン ジャパン
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 グスターボ・ドゥダメル指揮
演奏場所: 東京・サントリーホール
演奏日:2014年9月24日水曜
曲目:ルネ・シュタール『タイム・リサイクリング』(日本初演)、モーツァルト『協奏交響曲 変ホ長調 』K364、ドヴォルザーク『交響曲第8番 ト長調』 B163 op.88
演奏日:2014年9月25日木曜
曲目:R.シュトラウス『交響詩 ツァラトゥストラはかく語りき』op.30、シベリウス『交響曲第2番 ニ長調 op.43』
演奏日:2014年9月27日土曜
曲目:リムスキー=コルサコフ『ロシアの復活祭序曲』 op.36、ムソルグスキー(リムスキー=コルサコフ版)『はげ山の一夜』、リムスキー=コルサコフ『シェエラザード』 op.35
2014年9月の公演はオーストリアに始まり、スイス、ドイツ、中国、日本を巡る。20日間に16回もの演奏をこなす強行軍だ。9月25日木曜19時、東京。ドゥダメルは舞台にあがるや、丘を駆け降りるような軽やかな足取りで指揮台に向かった。開演直前に、1階最後列の扉から誰か来る。赤いデニムシャツを羽織った小澤征爾さんだった。1曲目の『ツァラトゥストラはかく語りき』を聴き終えると、小澤さんは立ち上がった。そうして長らく拍手を続けていた。小澤さんがウィーン・フィルを指揮したのは30歳のときだ。67歳でウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めた。79歳になった巨匠が扉のそばの丸椅子に座り、33歳の指揮者に拍手を贈る。こういう歴史に遭遇するのが東京公演か。驚いた。
音楽が躍動するとき、ドゥダメルの靴のかかとは宙を蹴る。低音楽器がこれでもかと大地を鳴らす。すべての響きが光の糸となって天高く昇りゆき、絶えて完全な闇が訪れるまで、じっと静寂を待つ。ドゥダメルの指揮がダイナミックでオーソドックスなのは、地球上の現象を人間が体験した時の、至極もっともな身体表現だからにちがいない。シベリウスの交響曲第2番の演奏が終わると、ドゥダメルはコンサートマスターのライナー・キュッヒルの譜面台を指揮棒で叩き、肩を抱いた。観客席からブラボーの声があがる。オーケストラの去った舞台にドゥダメルがもういちど顔を見せ、手を振るまで拍手は続くのだった。
マーラー『交響曲第7番 夜の歌』、ベネズエラ・シモン・ボリバル交響楽団 グスターボ・ドゥダメル指揮
録音時期:2012年3月
録音場所:カラカス
録音方式:ステレオ(デジタル)
発売元:ユニバーサルミュージック
9月16日に日本で先行発売したドゥダメルの新譜はシモン・ボリバル交響楽団との収録盤だ。ドゥダメルとシモン・ボリバル響は同郷の士、竹馬の友だ。彼らは子どものころ、ベネズエラの音楽教育「エル・システマ」の支える青少年のためのユース・オーケストラで育った。このユース・オーケストラはベルリン・フィルの首席指揮者、故クラウディオ・アバドやサイモン・ラトルも客演し、交響楽団として力をつけていった。年齢的にも技術的にも成熟したシモン・ボリバル・ユース・オーケストラは、その後「シモン・ボリバル交響楽団」と名称も新たに演奏活動を続けている。百年の伝統を誇るレコードレーベル、ドイツ・グラモフォンからディスクを出していることからも、演奏の品格はお墨付きだ。
さて、待望の新譜はグスタフ・マーラーの交響曲だが、そのなかでも地味で難解と名高い7番だった。2012年1月、ドゥダメルは首席指揮者を務めるLAフィルと古巣のシモン・ボリバル響とで、マーラーの交響曲全10曲の連続公演に臨んだのだが、シモン・ボリバル響はこのとき、2、5、7番の当番だったのだ。はたしてこの7番、第5楽章こそが鮮烈だった。シモン・ボリバル響とドゥダメルのお家芸ともいえる躍動感も抜群だ。連続公演直後の3月に、彼らの出身地カラカスで収録している。まさに水を得た魚の活き造りを、ロンド楽章で輪舞の踊り食い。愉快爽快。
次回予告
ハル「ベネズエラといえば野球でしょ。」
ピート「カブレラやラミレスは日本でも活躍したね。」
ハル「あとウーゴ・チャべス! 前の大統領だよ。」
B「知ってるのは野球選手と政治家だけですか。」
学者「ところでエル・システマとは何か、ここで一度、確認しておきませんか。El Sistema。スペイン語ではFundación del Estado para el Sistema Nacional de las Orquestas Juveniles e Infantiles de Venezuela。『ベネズエラの児童及び青少年オーケストラの国民的システムのための国家財団』が語源です。」
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ドゥダメルもシモン・ボリバル響もそこの出身でした。 南米大陸の音楽教育にヨーロッパの巨匠たちが魅了されるとは。ところでこの映画、ドゥダメルが音楽監督です。エンドロールにはシモン・ボリバル響の楽器奏者ひとりひとりのクレジットも!……『解放者ボリバル』BSYO ハルによる記事はこちら。
(BSYO / 黒猫 プロフィール:メーカー人事、ネットコンテンツ&コミュニティ開発を経てサイト企画制作へ。ライフワークはピアノ指導。)