世界を驚かせる音楽教室 エル・システマのキセキ- 4 –対話が生み出す、 新社会支援組織の挑戦!

(2015.01.16)
 © 2014 by Peter Brune
© 2014 by Peter Brune
存在するが形ではない。有機的な組織づくり。

エル・システマジャパンは、エル・システマの音楽教育を日本で手がけながらも、有機的な社会支援組織を創造している点でもユニークだ。その特長は「人との対話」にありそうだ。

2012年3月、菊川穣さんは一般社団法人エル・システマジャパンを設立した。同年5月に相馬市と、7月にはベネズエラのシモンボリバル音楽財団と、協力協定を取り交わす。スピード感のある展開にみえるが、その実、現地に足を運んで顔を合わせ、相馬市のいろいろな人々と対話を重ねてきた。

設立の前年、2011年12月。相馬市での初めての会合は寒い夜だった。 日曜の相馬市役所に集まった職員有志と、菊川さんは話した。 「すべての子どもに楽器と教育を無償で与えよう」というエル・システマの理念は魅力的だ。だが誰がやるのか。お金はどうするのか。当時勤務していた日本ユニセフ協会を辞してまでこれをやるのか。「そのときはまだ夢物語でした」と菊川さんは当時を振り返る。菊川さんは国際支援活動ではいつも、地域主導の支援活動を貫いてきた。だからこそ、ベルリンフィル奏者と相馬の子どもの声に励まされてエル・システマジャパン設立を準備し始めた時、まず相馬市の教育委員会と対話を持った。日本の教育行政は往々にして保守的だ。行政と正面から向き合うことは、新しい仕組みづくりにゼロから取り組むのには、かえって遠回りだとする向きもある。だが菊川さんは、日本の地方の風土では、学校との協働は子どもにとって大切だと考え、市との協力協定を目指した。

エル・システマジャパン 代表理事 菊川穣さん。「子どもたちが、『楽しい!』と言って通える場所があればいい」。発足から間もなく3年。地域に寄り添う姿勢は、いまも変わりません。
エル・システマジャパン 代表理事 菊川穣さん。「子どもたちが、『楽しい!』と言って通える場所があればいい」。発足から間もなく3年。地域に寄り添う姿勢は、今も変わりません。

こうした流れから、エル・システマジャパンでは、オーケストラ活動とともに、学校支援活動も展開する。たとえば演奏家を学校に派遣する「音楽鑑賞教室」に取り組む。演奏家のストルツマン夫妻は来訪時、相馬市立大野小学校の体育館でも演奏している。 学校側の費用負担なく演奏家の派遣があれば、芸術専科教員の少ない小学校でも、授業の幅がぐんと広がるだろう。(「田んぼの真ん中の小学校にグラミー賞受賞クラリネット奏者がやってくる。」はこちら。

費用負担ゼロという点が着目されがちだが、特長は「質」にある。エル・システマの理念に共鳴して集まる奏者には、地域の人々と有機的に関わっていく姿勢が自然と備わっている。エル・システマジャパンは協定のもと、行政や学校など現場のニーズを汲みとり、奏者や演目の選定にも応えていく。菊川さんの対話の姿勢は、学校支援活動にも現れている。

 
存在するが形ではない。有機的な組織づくり。

菊川さんの対話の相手は、行政や学校の人々だけではない。地域に根づく器楽指導者や楽器店の人々とも腹を割って話していった。初心者の多い子どもオーケストラでは、楽器を取り落とすこともあるだろう。ちょっとした故障ならその場で直せるくらいの練習環境が必要だ。だが弦楽器を修理できる人は校内はもちろん、相馬市にもそうはいないのだ。

楽器技術者の後藤賢二さんは、2012年3月に教育委員会に招かれ、初めて菊川さんに会った。「東京からなんだかすごい人が来た。これからどうなるんだろうと思いました」。後藤さんは市内の楽器店に勤める。小中高の音楽の部活動をずっと支えてきた縁の下の力持ちだ。 楽器一筋50年の後藤さんだが、40代の菊川さんと話すうちに心打ち解け、申し出た。「子どもオーケストラは私の人生の夢でした。ぜひとも協力させて下さい」。その言葉の通り、後藤さんは2年半経った今も練習に来る。菊川さんや指導陣とのランチミーティングに加わり、子どもたちにわいわい取り囲まれて修理している。エル・システマジャパンがネット上に公開した後藤さんの近影には130人を超える「いいね!」がついた。かつて後藤さんにお世話になった子どもたちが今は大人になって、日本各地からふるさとを見つめる。ネットを通じて寄付やコメントも集まった。後藤さんの相馬に尽くした半世紀には温かさがある。行政にも学校にも属さずに地域を支える人々との対話を、菊川さんはこれからもたいせつにしていく。

エル・システマとはなにか。創始者アブレウのことばを引いて、菊川さんは話した。「日本では、システム(組織)といえばかっちり定まったイメージでした。 エル・システマは『そこにあるけれど形になっていない』。地域のいろんな部分を吸収しながら、その場に合う最適なシステムを創る。それがエル・システマジャパンがやろうとしていることです」。

大きな楽器をにこやかに運ぶ後藤さん。大人がリラックスしていると、練習もきっと楽しいよね。© FESJ/2013/Mariko Tagashira
大きな楽器をにこやかに運ぶ後藤さん。大人がリラックスしていると、練習もきっと楽しいよね。© FESJ/2013/Mariko Tagashira
 
人々がおのずと、意味や価値を獲得する
環境の創造。

エル・システマジャパンのオーケストラ活動では、長いときは朝10時から夕方16時までをひとつのホールで過ごすことになる。ところが、子どもたちはどの時間帯でも落ち着いた印象だ。子どもたちは最初からこうだったわけではないのだそうだ。当初はホールを走り回っていた。それが、オーケストラは面白いと知り、この一年間で変わったのだという。

「相馬の子どもたちには本番が多い」という関係者や音楽家の声もたびたび聞いた。実際に2014年9月から11月までの秋シーズンは、東京、相馬、仙台で5回の本番を重ねている。エル・システマジャパンの外部評価調査を行ってきた青山学院大学の苅宿俊文教授は、演奏機会の多さを指摘する。「さまざまな観衆の前で演奏する機会の多さと、子どもたち自身の効力感には相関があります」。たとえば高齢者施設で演奏会をする場合、お年寄りに楽しんでもらう演奏の場に自分がいるということを、子どもたち自身で認識しあえる環境がたいせつだというわけだ。機会と環境のプラスの循環。この循環が相馬子どもオーケストラ&コーラスの活動の特長ではないだろうか。

相馬市では喫緊の課題として、被災した子どものメンタルケアが掲げられているという。そんななか、相馬子どもオーケストラでは、子どもたちのしなやかに育つ姿が見られた。いろんな人々と関わり、なかよくする。落ち着いて課題に取り組む。来訪者を歓迎し、未知の分野に挑戦する。それは大人の社会でも同じことだろう。エル・システマジャパンの3年半の活動が育んだ「生きる力」「豊かな土壌」が、子どもたちを通じて垣間見えた。

© FESJ/2014/Yutaka Kikugawa
© FESJ/2014/Yutaka Kikugawa
 
うなずき、寄り添い、ともにいるフェロー。
国際経験、芸術経験、社会経験をわかちあう。

渡辺更さん。 社会人フェロー。

福島県相馬市で指導ボランティアにあたる。東京では残業も休日出勤もある会社員だ。大学で語学を学び、シンガポールに一年、オーストラリア、カナダにも滞在し英語を学んだ国際派。高校、大学、社会人オーケストラではヴィオラを続けてきた。2014年2月からフェローとして活動に参加、月に二回東京から相馬を訪問し、子どもたちに寄り添っている。渡辺さんは、練習中はもちろん、休み時間にはいつも子どもたちのそばに佇む。学校であったこと、友達のこと、どの話にも耳を傾ける姿があった。室内ブランコに乗って遊ぶ子どもたちに、渡辺さんも笑顔を返す。練習中は、膝を曲げ、腰を落として子どもと同じ高さで目をあわせる。子どもの肩から腕を回し、子どもの手のひらに自分の手のひらを重ねて指の位置を探り当てる。渡辺さんは、ピアノを習った経験や、学生オケの学び合いの経験から、器楽指導とはこのように近い距離で触れながら言い含め、ひたすらに待つこと、ともにいることがたいせつだと、感覚的に掴んでいるようにみえる。

渡辺さんが活動に参加して8ヶ月が経った。楽器を始めたばかりの子どもにも力がついてきたと、渡辺さんは実感している。とくに初級者クラスから進級した子どもは、嬉しくて弾きたくてしかたがない様子だ。演奏技術ばかりでなく、意欲も育っている。

「ここでは年齢も進度もばらばらなんです。だからこそ子どもたちが教えあうシーンが見られます。菊川さんや、東京から来る私たちフェロー、アドバイザー、地域の方々、保護者の方々。まわりの大人たちみんなで子どもを見守るムードが、相馬にはありました」。

寄り添い、共感し、耳を傾ける。そんな人がそばにいてくれると、なんだかやる気がわいてくるんだ。
寄り添い、共感し、耳を傾ける。そんな人がそばにいてくれると、なんだかやる気がわいてくるんだ。
支援の考え方を持つ楽器指導者。
けっしておしつけない。人々の痛みを忘れない。

山本綾香さん。 初代フェロー。相馬に続く第二の拠点・ 岩手県大槌町で指導する。

2014年2月末、 青年海外協力隊の短期派遣でベネズエラに渡り、現地の子どもたちに弦楽器を教えていたとき、菊川さんからメールが届いた。「大槌に弦楽器指導講師として赴任しませんか」。帰国後は国際支援にあたるつもりだった山本さんの心は揺れた。翌3月、アドバイザーとして関わる予定だった指揮者が釜石の病院で急逝する。志半ばに倒れたリーダーの悲運にだれもが意気消沈するなか、それでもやりましょうという大槌町の声があった。だが、だれが? 東京から新幹線と釜石線で片道5時間。大槌へは移住することになる。大槌の人々の絆は濃く深く、被災の傷もまた深い。肝に銘じていないと、支援のはずが「ヨソ者のもたらす脅威」になってしまうだろう。楽器指導だけでなく、人々と対話し、共に暮らし、支援する側とされる側を着実につないでいく役回りだ。国内外で支援の考え方を深めてきた山本さんならきっとできる。菊川さんはそう伝えた。山本さんはついに赴任を決意し、7月、大槌町内の仮設住宅に移り住んだ。

9月からヴァイオリン指導にあたっている。当初はとにかく同じ志の仲間がほしかった。吉里吉里小学校と大槌町子どもセンターの二カ所を車で行き来し、十数台の楽器を運びこむのもひとり。外へ走り出す子どもと、我こそは弾きたい子どもが混在し、まるで練習にならない。どちらも認められたい、満たされたいという気持ちの現れだ、受け止めよう。そう感じた山本さんは、個人指導を盛り込み、合奏とソロを組み合わせた練習に変えた。ひとりずつコミュニケーションがとれるようになると子どもも落ち着き、練習が軌道に乗ってきた。 楽器を持っていられなかった6歳の女の子が、自分も弾けるようになったから聴いてほしいとやってくる。斜に構えていた小学2年生の男の子は、うまく弾けないパッセージに悔しさのあまり涙をこぼした。初めてのコンサートに向けて、子どもたちも山本さんも練習に熱が入る。

今、山本さんの心に浮かぶのはベネズエラのエル・システマで見た光景だ。森のようなオーケストラのなかに、今日来たばかりの五歳児がずっと佇んでいる。弦が錆びていても、音が間違っていても、子どもたちは楽器を奏でる喜びに溢れ、仲間と弓を動かすのが楽しくてたまらない。のびのびした学び合いの環境を創り出そうと、山本さんは大槌の人々と一緒に、ゼロから始めたところだ。

 
楽器を構えたら子どもたちが近づいてきた。和室という空間もなごやかでいいね。
楽器を構えたら子どもたちが近づいてきた。和室という空間もなごやかでいいね。
対話型リーダー。子ども、巨匠、プリンセス、学生、役人、社長。
誰とも等しくコミュニケ—ション。

菊川穣さん。 エル・システマジャパンの代表理事。ピアノ、陸上、バンド活動、サックス、学生指揮と、なんでもやってみた子ども時代。吹奏楽に夢中になったが、大学からは音楽とは離れた道を進んだ。ロンドン大学と大学院で教育を学び、帰国してシンクタンクに就職するも、想いは国際協力と世界の子どもたちに向けられていく。ユネスコで2年間、ユニセフで7年間、アフリカで働いた。2011年3月、日本ユニセフ協会から東日本大震災緊急支援本部チーフコーディネーターとして東北に入る。このときベルリン・フィル奏者と相馬の小学生のことばに動かされ、エル・システマジャパン設立を志すことになった。

「手応えは感じています。100人の子どもがそこにいて、ひとつの曲の形ができていく。敬老会などの地域社会の舞台は、音楽ホールの舞台以上に大事だと思っています」「ドゥダメルやストルツマン夫妻など、訪日する芸術家の来歴を、子どもたちはよくわかっていないと思います。でもわからせなくていい。子どもも地域社会も、気長に見ていくといいところが出てくる、それでいいんだと思います 」「オーケストラ活動は、福島県が50年手がけた器楽教育をベースにしています。一過性の支援ではいけない。地元のみなさんのペースで、地元の資源や伝統を活かして活動を続けていくことを考えています」。

菊川さんに話を聞くと、最後はいつも子どもたちのことばかりだ。子どもたちの取り組みを毎日のように喜び、ともに支えようと世界に訴える。設立以降そのエネルギーは絶えることがない。それでも菊川さんはこうも語るのだ。「まだまだです。まだまだ見えない」。菊川さんがそう口にするとき、形の見えないことへの不安はない。着地点を安易に定めずに、対話と調整を重ね続ける、支援の専門家としての粘り強さを感じる。

 
 

次回予告

ハル「本当に誰でも楽器弾けるようになるのかな。」

ピート「今日からチェロを弾くって子もいたね。」

黒猫「きっとへいきだよ。ゆっくりやろうよ。」

ハル「じゃあオーケストラに入る!」

B「楽器はなに?」

ハル「指揮者!」

全員(いるいる、こういうやつ……。)

学者「 ところで弦楽器について、ここでいちど確認しておきませんか。 弦楽器はこすって音を出す擦弦楽器です。本体は木製。にかわという接着剤で張り合わせています。4本の太さの違う金属製の弦を張ってペグという木ねじで留め、弓か指で音を出します。弓には馬のしっぽの毛が張ってありますが、弾いていくうちに切れ、いわば「薄毛」になっていくものです。時々技術者に替えてもらいましょう。」

***

次回は相馬子どもオーケストラの先生や子どもたちと一緒に、初めての弦楽器にチャレンジ!? ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス。あなたならどれにしますか?

編集チーム BSYO ハルによるコラムはこちら。

BSYO / 黒猫 プロフィール:メーカー人事、ネットコンテンツ&コミュニティ開発を経てサイト企画制作へ。ライフワークはピアノ指導。)