田んぼの真ん中の小学校に グラミー賞受賞クラリネット奏者がやってくる。エル・システマジャパン訪問記 by BSYO ハル。

(2014.12.05)
リチャード・ストルツマンさんの演奏がはじまりみるみる緊張していく子どもたち。だいじょうぶかなあ。© 2014 by Peter Brune
リチャード・ストルツマンさんの演奏がはじまりみるみる緊張していく子どもたち。だいじょうぶかなあ。© 2014 by Peter Brune
ベネズエラが生んだ画期的な音楽教育システム エル・システマの活動と音楽のある生活を提案する連載『世界を驚かせる音楽教室 エル・システマのキセキ』。もう読んでいますよね! こちらはそのスピンアウト版です。日本にもエル・システマがあるのをご存知でしょうか? 連載担当チームBSYOの編集担当 ハルによる福島県相馬市のエル・システマジャパン訪問記をどうぞ。

「エル・システマジャパンと福島県相馬市の教育委員会が協力して取り組む音楽鑑賞教室があるよ」と小耳にはさんだのは、9月の上旬のこと。その様子を見学しようと、相馬市立大野小学校を訪問してみることにしました。

9月の末とは思えないほどの強い日差し。日中は半袖でじゅうぶんと思えるほど福島の秋は暑かった。聞いたところによれば、大野小学校は田んぼの真ん中にあるらしい。東日本大震災の影響で、頼みの常磐線は相馬駅以北には走っていない。レンタカーのカーナビを頼りに市内を走る。太平洋沿岸の道路には突如として「立ち入り禁止」の標識が飛び出してくるし、よくよく見てみると、走行している車両の多くは復興資材を運ぶダンプカーではないか。海を背に、稲刈りの進む田んぼの中を走らせていけば、見えてきた! あれが大野小学校か。背後にそびえるのは阿武隈山脈、大自然の中の小学校だ。「おじゃましまーす」。

先生に案内されるまま校内を通り抜け、体育館へと繋がる渡り廊下を進みます。途中、だれもいない教室をのぞけば小さな机がゆったりと並んでいる。どうやら子どもたちはすでに、体育館に移動したみたい。板張りの廊下からはぬくもりを感じる。いまにも子どもたちの声が聞こえてきそうだ。

体育館に足を踏み入れると、笑顔の子どもたちが振り向いた。こんなにリラックスしてだいじょうぶ? これからはじまるのはアイドルのコンサートではなく、クラリネットとマリンバの演奏なんだよ。

教わったとおりだ! 田んぼの中に突如として現れた! 相馬市立大野小学校。
教わったとおりだ! 田んぼの中に突如として現れた! 相馬市立大野小学校。
クラリネット奏者 リチャード・ストルツマンさんと妻でマリンバ奏者のミカ・ストルツマンさん。
クラリネット奏者 リチャード・ストルツマンさんと妻でマリンバ奏者のミカ・ストルツマンさん。
プロフェッショナルな演奏の洗礼
「なに、これ!?」が笑顔に変わるとき。

体育館の中で知っている顔を見つけた! 前日のエル・システマジャパンの練習にもきていた男の子だ。エル・システマジャパンの代表理事の菊川穣さんの姿もある。いよいよ音楽鑑賞教室のはじまりだ。

リチャード・ストルツマンさんは過去に2度もグラミー賞を受賞したクラリネット奏者。今日は、マリンバ奏者のミカ・ストルツマンさんとの共演だ。いったいどんな楽しいコンサートになるのだろう?

きっと子どもたちの知っている曲を演奏するのだろうというぼくの推測は、開演間もなくあっけなく崩れ去った。ストルツマン夫妻が奏でたのは、ほとんどが彼らのオリジナル曲だったのだ。耳慣れないメロディーに子どもたちの反応は……。やっぱり少し落ち着かない!? そんな様子を感じ取ったのか、演奏の合間にリチャードさんがクラリネットの紹介をはじめた。顔を赤らめ、クラリネットを息長く吹く。子どもたちの目に好奇心の輝きが戻る。10秒、20秒、30秒……、かすかな音が静かな体育館に信じがたいほど長く残る。(すご~い!)息をのむ子どもたち。拍手が自然と起こり、表情にも明るさが戻った。よかった~。奏者と子どもたちの緊張も吹き飛んだみたい。笑顔、拍手、そして最後にはアンコールまで飛び出した! 最初の緊張が嘘みたい。

知らない人が知らない曲を演奏しても、緊張しないときっと楽しい。大野小学校の子どもたちは、そんなことを知らず知らずに学んだのかもしれない。

菊川穣さんとミカ・ストルツマンさん。
菊川穣さんとミカ・ストルツマンさん。
「そ、そんなに息を吐き続けてだいじょうぶ!?」。子どもたちは真剣な表情になっていきます。
「そ、そんなに息を吐き続けてだいじょうぶ!?」。子どもたちは真剣な表情になっていきます。
エル・システマジャパンはなぜ“教育”なのか
身近に音楽があるってどういうこと!?

音楽鑑賞教室が終わると、自然とミカさんの周りに子どもたちが集まってきたぞ。どうやらマリンバという、長~い木琴のような楽器が気になっていたみたいだ。ミカさんが愛おしむように子どもの手を取り、いっしょにたたいてみせる。

今回の鑑賞教室を、エル・システマジャパンとともに進めてきた教育委員会の志賀さんも満足そうな笑顔を浮かべている。「モノの支援から人の支援へ。震災から3年たって、支援のあり方が変わってきているんです」。志賀さんは相馬市の状況をそう言い表した。そして、大野小学校には、少ないながらも、他市からの避難者が仮設住宅に暮らしながら通っているのだと阿武隈山脈の方を指差した。

学校教育を通して支援をつなぐ立場にある志賀さんは、エル・システマジャパンを心強いパートナーだと表現する。なるほど。エル・システマジャパンを通じてやってくる音楽家を、小学校の教育の場にまでつなげていくためには、よほどの信頼関係がなければ難しいだろう。今回の鑑賞教室も、ストルツマン夫妻がエル・システマジャパンを訪問するのにあわせ、企画したのだという。

エル・システマジャパンに通わなくても、地域の子どもたちに音楽にふれる機会を提供していく。暮らしの中で音楽にふれる時間を増やし、音楽によってつながる関係を作っていく。ゴールも、満点も必要としない。エル・システマジャパンが学校教育と提携している意味がなんとなくわかった気がした。

相馬市教育委員会の志賀拓広さん。鑑賞教室もうまくいってひと安心です。
相馬市教育委員会の志賀拓広さん。鑑賞教室もうまくいってひと安心です。
演奏が終わってごあいさつ。ありがとうございました!
演奏が終わってごあいさつ。ありがとうございました!
鑑賞教室が終わったら、マリンバに興味をもった子どもたちがやってきた。
鑑賞教室が終わったら、マリンバに興味をもった子どもたちがやってきた。

(BSYO / ハル プロフィール:おもむくままに生きる。職業は書籍編集。最近のモットーはチームを作って活動すること。この秋、驚いたことはムーミンが考えていた以上に小さな生き物だと知ったこと。)