『SARAVAH 東京』こんにちは。- 2 - 店(ハコ)はヒトである! イベントはハートである!

(2010.10.18)

多くの、本当に多くの店で、ただ、お酒飲んで音楽聴いて帰る。ということがあります。もしかして、それが普通、と思っていませんか?

いくら素晴らしい音楽聴いて、演奏者と観客一体となってバイブレーションしたって、それじゃあなんか悲しいじゃあありませんか。感動を、時には失望や怒りやら何やらをその場に居合わせた人たちとぶつけ合いたい、と思っても、見知らぬ人に話しかけるのはかなり勇気が要ります。

そこで、ちょっと背中を押してくれる店長さんがいたら、話は盛り上がります。すごく楽しいです。同じ体験をしても人によって感じ方は様々。すごく変わったところに目をつける人や、やたら詳しい生き字引きさんや、「初めて生演奏聞きました。」という素朴な人の意見。演奏者はもちろん、我々もそんな話に加わることで、批評精神も味わい方も一層深くなります。良いアーチストというのは観客が作っていくものです。

以前、ブラジルのライブハウスでお客たちのレベルの高さにびっくりしたことがあります。演奏が始まるや「そんな曲は聞き飽きたぞー!」とか、じゃんじゃん声がかかって、演奏者たちも負けてない。なんだか楽しいバトルみたいなやり取りがあって、「これじゃあどうだ!」と始めると観客はやんやの声援。モントリオールでもありました。お待ちかねの曲が流れるとお客が全員で歌い始めるのです。叫ぶ者あり、踊る者あり。一方、つまらない演奏すると「やめろー!」のブーイング。これじゃあアーチストは鍛えられます。
 

『SARAVAH 東京』のスーパー企画者です。ソワレです。シャンソン歌手です。彼が企画したイベントはいつも文句なく楽しいです。忘れ難いプログラムを数々作ってきました。photos / Photographer HAL

そこで、ハコのハート:『SARAVAH 東京』ではうれしいことに最強のプログラミングマネージャーと店長に加わってもらうことに。ピエール・バルーは本国フランスがベースなので店に来るのはまれです。そこで、出動したのが、ご存じの方も多いかも。ソワレです。かつて、青山の『青い部屋』リニューアル時代、忘れがたいプログラムの数々を作ってきたスーパー企画者です。

性別不詳なその容貌に最初はかなりびっくり(失礼!)しますが、それも彼の個性、シャンソン歌手でもあります。彼が企画したイベントはいつも文句なく楽しいです。決してお笑い芸人でも、子供扱いしているわけでもありませんが、人の気持ちを汲むのがとてもうまくて、出演者を温かく受け入れる一方、お客様の温度を実に正確に察知します。一貫しているのは、彼の温かい人間性でしょう。

一方、店を守る店長は、今回のために岡山のライブハウス『サウダーヂな夜』から引き抜かせていただいた、ボボです。彼はひとりで『劇団ツベルクリン』、というおかしなパフォーマンスをやったり、とにかく笑わせてくれる人です。彼にかかると気取ったり、照れたりするほうがよっぽど変人に見えてくるから不思議です。しかも気使いがとても細やかで懐に踏み込むようなことはしません、安心できます、そしてまた彼に会いたくなります。岡山ではボボに会いに店に通うお客さんがたくさんいます。ボボが東京にきてしまうことで今、岡山の店の常連たちはパニックしているそうです。この分ではお客さんたちがバスを借り切って渋谷まで来てしまうかもしれません。大げさではなく……。

『SARAVAH 東京』店長です。ボボです。岡山のライブハウス『サウダーヂな夜』より抜擢。ひとりで『劇団ツベルクリン』をやったりもします。とにかく笑わせてくれる人。

 

伝説のイベント、SARAVAHの夕べ

かつてフランスのSARAVAHでは『SARAVAHの夕べ』を定期的にやっていました。24時間テレビではなく24時間イベントです。アドリブに強いカフェテアトル出身のブリジット・フォンテーヌやジャック・イジュランそして座長のピエール・バルーがコアな屋台骨となって、あとは飛び入りの人たちがステージに上がるのです。

大学教授が「若者よ立ちあがれ!」と演説したり、バックパッカーのアメリカ人がバンジョー弾いたり、高校生が自作の詩を朗読したり、エッジな連中から一般人でちょっと不思議な人、実験音楽、サーカス、ジャングラー。オーデイションがあるわけではないので、玉石混交。時には場がダレると、コアメンバーが割って入り、音楽で引き締めて、また飛び入りに入ってもらう。という風に延々と続くのです。とにかく面白いイベントだ、という評判になって多くの人たちが見に来ました。

特に70年代は毎週同じ劇場でやっていたので口コミが機能したわけです。その時代に通ってきた人たちは今60歳くらいになっているのですが、ある種、同窓生的な感覚があって、あの『SARAVAHの夕べ』に私も行ったことがある、という伝説を共有している感があります。私たち(日本)でいえば、70年代の天井桟敷でしょうか。あの時代、天井桟敷に惹き付けられていたか、無関心であったか。でネクタイ系とGパン系に色分けができてしまったりしませんか?

あ、おっといけない! 色分けなんかしていると自己満足のアングラ文化のゲットーに入ってしまう。違うんです。『SARAVAHの夕べ』に人は何か自由で威張らない、新しい芸術の息吹を感じ取ってくれたのです。だからずーっと続けられたのですよ。

 

『今』がおいしい

天井桟敷と言えば寺山修司さんは早くからブリジット・フォンテーヌの『ラジオのように』を聞いていて、彼の本にも歌詞を引用しているところからみると、つながるものが多いにあります。それは何だったのでしょう?

一言で言うと「今」感です。今、私たちが生きているところに感動があり、芸術があるんだ。という「今」を愛する姿勢です。そして、寺山さんがハプニングなどで普通の住人たちを巻き込んでいったように、誰だって参加できる、誰だって芸術家なんだ、という個人を大切にする思いではないでしょうか。過去の傑作に涙するのもいいけど、その傑作を作った連中だって当時は、無名で、変なヤツ、と思われていたのですよね。今、これ、ここなんだよ。目の前に未来の芸術家の卵が育っている瞬間なんだよ。とピエールも寺山さんも身をもって言いたかったのだと思います。

実際、そのようにして集まってきた多くの人たちがSARAVAHを通じてあるいはほかの国でアーチストとして活躍しました。

1970年代のSARAVAHコアメンバーによる夕べ。

我々はやもすると有名になった人に注目しますが、有名になる前が一番おもしろいのかも知れません。有名になった人はそれをキープするためプレッシャーと戦いながら頑張りますが、まったく自由で、無名な時の彼らにはよくも悪くもすべてが露見されています。その中の輝くものがうまく抽出できれば、彼らはビッグになっていきます。そんな過程を見守るのは最高にワクワクしますよ。

フランスのほうのSARAVAHのイベントは場所を変えてずーっと行われてきました。所属アーチストが増えるに従ってコアのメンバーも増えて、フリージャズのスティーブ・レーシー、ブルースのチック・ストリートマン。バルネー・ウイレン。シャンソンの大物、ジャン・ロジェ・コシモン……彼らは、SARAVAHの経営難の時も、ツアーバスでフランス全土を廻る、しかも無料のコンサートツアーなどまでやっています。かなり気合いが入っています。

 

ジャンルを超えて

ピエール・バルーがよくいうのですが、「ジャンルという考えはレコードショップのCDの並べ方の都合で編み出されたものである。」と。クラシックの作曲家がジプシー民謡を取り入れたり、ジャズがアフリカ音楽を取り入れたり、ということは自然に行われてきたのです。ジャンルなどという考え方自体がおかしいのです。心を揺り動かされれば良い音楽です。不安になる、というのもある種の感動。とにかく日常生活でこちこちになった感性をもみほぐしてくれる音、演劇、ダンス……すべてOKです。ここ渋谷の『SARAVAH 東京』では、あらゆる表現形態、ジャンルを受け入れていこうと思っています。