土屋孝元のお洒落奇譚。琳派の屏風絵に
秋の気配を見る。

(2012.08.28)

シオカラトンボ、赤トンボ……。

今年の夏は、蝉の声が聞こえないな~と思っていたら、最近、よく耳にするようになりました。

先日、庭のゴムの木の枝にシオカラトンボ(一般的に青い色のオスをさす。茶色はメスでムギワラトン))を見かけて、久しぶりに見かけたなと思いそっと近づいて写真を撮りました、ずっと見ていてもまったく逃げませんでした。その後、数日たち運転中のクルマのボンネットの上に赤とんぼを見かけて、季節は確実に変化しているのだな、と、自分的にも盛り上がったオリンピックの喧騒の後とあいまって、季節の変化に少し寂しさを感じます。

芋月と秋草。月が芋のように見えることから芋月。
季節の移ろいに心を動かす日本人。

清少納言の枕草子に「春はあけぼの、夏は夜、秋は夕暮れ、冬はつとめて。」とありますが、まさに このように季節の移ろいに心を動かすのは、日本に四季があり、それぞれの季節の良さを感じるからか、日本人には特有の感情の一つといえるのではないでしょうか。琳派の屏風絵などには秋の草花を描いたものや、野山の紅葉などをよく見ることができます。

特に秋草や月、虫達の絵を見るとその描かれた場所の温度や湿度、風の音、虫の声までも感じるような気がします。酒井抱一作、銀箔地に描かれた重要文化財「夏秋草図屏風」などはその代表作です。

銀箔と緑青(ろくしょう)の対比が素晴らしく、銀箔の錆具合もいい味を出していて画面右上にある群青(ぐんじょう)の色もアクセントになり画面全体に緊張感があります。

同じような構図で俵屋宗((宗達ではなく、江戸時代の作家)の金屏風に秋草図もあるのですが、酒井抱一作のこちらのほうが僕は個人的に銀箔地に秋らしい季節感をより感じます、いかがでしょう。

酒井抱一の弟子に鈴木其一がいて、明治期まではあまり重要視されておらず、海外へ多くの作品が流出したと言われています。最近の研究では近代日本画へと続く系譜とされ、作品もかなり注目されています。

その鈴木其一作の夏秋渓流図(根津美術館蔵)は構図的にも珍しく、森の木立の中を流れる渓流が斬新でまるで生きているように見える表現です。群青(ぐんじょう)の青が目を引く渓流の斬新なシルエットにも驚きます、個人的には葛飾北斎の浮世絵、諸国滝廻り(アダチ木版研究所作のレプリカは購入できます。)の水の表現にもにているかなと思います。

根津美術館収蔵ですので見れる時にはぜひご覧ください。他にも朝顔図や向日葵図などは現代デザインにも通じる構成でモダンな表現です。

確か、向日葵図は畠山記念館収蔵で季節により常設展示で見れると思いますので、こちらもぜひ本物を見てください。

リンドウ。
秋の七草、わかりますか?

今では、秋の七草と言われてもスラスラと言える人も少ないのではないでしょうか。

秋の七草は鑑賞用の花々で、いち早く秋を知らせるものたちです、春の七草の様に感方や薬としての効用があるものとは少し違い、秋の気配を感じるための花々です。ハギ、ススキ、クズ、ナデシコ、オミナエシ、フジバカマ、キキョウ、最近では葛の花は見かけることが少なくなりました。葛粉があるくらいですから、昔は一般的な花だったのでしょう。萩や尾花(ススキ)、撫子、藤袴、桔梗、女郎花(オミナエシ)は今でも和花を扱う花屋さんでも見ることができますね、特に最近は撫子は女子サッカーチームの活躍もあり、大人気です。

僕は桔梗には愛着があります、父方の家紋(子持亀甲に桔梗)が桔梗です。我が家は珍しく父も母も同じ苗字なのですが、母方は出身地もまったく違い、九曜紋です。

この桔梗紋で歴史的にも有名なのは、明智光秀で、茶の湯や連歌をたしなみ織田家中において朝廷との調整役として有能と言われた光秀が京都本能寺にて天下統一に近づいた主君織田信長を謀反にて破り天下を取ります。その後、中国大返しで戻った羽柴秀吉軍に、山崎の合戦で敗れます。落ちてゆく途中、農民兵に打たれ、三日天下と歴史的には伝わります。

この本能寺の変には黒幕がいたとかいないとか。その後、時代は進み、家康から家光までの江戸幕府時代初期、謎の天海僧正が江戸の風水による都市計画(目赤、目黄、目白、目黒、目青五不動の配置や江戸の鬼門封じのための東叡山寛永寺の造営)を実行していますが、この天海僧正こそ明智光秀だったという説もまことしやかに噂されています。さて、どうでしょうか。

秋の七草、桔梗と話がそれましたが、ここ数日で日の入りも早くなり、秋の気配を感じます。この時期らしい琳派の作品はぜひ本物を見ることをお勧めいたします。

桔梗。