『Age(アージュ)』特別インタビュー! 池坊美佳さん 守るべき伝統があるから新しいことにチャレンジできる。

(2010.09.22)

伝統ある家に生まれた美しい“次女”は、葛藤を乗り越え、今年40歳を迎えた。「肩の力が抜けて楽になれた」と語る、その心境を聞いた。

Age 「いけばな」と聞くと、とても難しいこと、というイメージがありますが、美佳さんの作品は自由で大胆なものが多いと感じます。その作風も伝統的ないけばなの範疇に入るのですか?

池坊美佳(以下美佳) いけばなの発祥は仏様に捧げる花=供花(くげ)。薬がなかった時代に祈りを込めて捧げた花がはじまりです。

池坊はそんな伝統的ないけばな文化を継承しているわけですが、伝統の素晴らしさとは、大切なものを守りながらも必ずその時代の生活様式や生きている人たちのニーズをプラスアルファしていくところ。

たとえば以前でしたら、いけばなは日本間、床の間に飾っていたのですけれど、こんなに人々の生活様式が変わって、いや、我が家に床の間はないからと言われたら見てもらうことすらできません。

ですから、リビングにも置けます、玄関にも置けます、と提案して、初めて、あ、いけばなってこんなところにも置けるんだ、と思っていただける。難しいのではないか、と言われることが多いのですが、新しいものを取り入れながら、それを検証できるのが伝統文化だと思うんです。

私も、守るべき伝統があるからこそ、逆にいろんな切り口でお花が生けられるんじゃないかなと思っています。

より入りやすい入口を提供することが大切

Age なるほど。伝統とは新しいものを加えながら発展していくことなのですね。そのための美佳さんの感性の磨き方を教えてください。

美佳 旅と食べることが好きで、その2つがあれば幸せです。たとえば小さいときに父と旅に行っても、いつも花ばかりを見ているのではなく、あ、これ、今度の作品に使える、というものはインドの街の露天で売っている絵はがき一枚だったり、ネックレスのひとつの石だったりしました。

そんな経験もあり、自然でも人でも絵でも、どこかでピンと自分に響くものがあったらそれが自分の中にたまっていくのではないかと思うんです。どこかに袋があって、その中に少しずついろんなものがたまっていき、「次の作品はどんなものにしようかな」と思ったときに「そういえば昔、あんなものがあった、この袋に入っているかもしれない」みたいに探して、「あ、あったあった」と見つかる感じですね。

Age 小さい頃からたくさん旅をなさってきたのですね。

美佳 父がとても旅好きで、出張に連れていってもらっていただけでなく、ちょっと時間があると「北海道に行こう」「台湾に火鍋を食べに行こう」という人だったので、フットワークが軽いのは父似だと思います。

最近は、年末にエジプト、春先にはモロッコに行ってきました。もちろんヨーロッパも好きなんですが、もう一歩、なかなか行けないところに行きたいなと思って。

伝統文化もそうですけれど、経験してみて、肌に合わなければやめてもいいと思うんです。エジプトも、行ってみて肌に合わなかったら、もう行かなければいい。

だから、私は、より入りやすい入口をみなさまに提案して、できることなら一度触れていただくことが大事だと思っています。経験したうえで、やっぱり合わなかった、ということでしたらいいんです。

でも、最初から「あ、難しい、だめだ」と思ってしまわれるのは少し残念。いろんな提案をして、まずは触れていただきたい。その入口づくりが私の一生の仕事だと思っています。

Age 食べることもお好きだということですが。

美佳 両親の出張についていく時、父はいつも、ごちそうじゃなくていいので地元のものを食べたいと言っていました。ですから、私もどこかへ行ったらその土地のものをいただくのが大好きなんです。ありがたいことに好き嫌いはありません。

いろんなものをいただいた経験がいけばなの表現に活かされているかどうかはわかりませんが(笑)、先ほどお話しした「袋」には入っています。ああ、この土地はこうだったなあ、と。それがどこかで活かされるときがあるのだと思います。

家元の次女として居場所を探していた時期があった

Age お姉様が次期家元というお立場なのですが、美佳さんは次女。池坊という華道家元における美佳さんの立ち位置はどこにありますか。

美佳 実は、ずっと葛藤していた時期がありました。父は家元、姉は次期家元。その中で、次女である私もいけばなに携わらなくてはならないのは当然。でも何をしていいのかわからず、もがいていた時期があったんです。

いつも自分の居場所を探していました。若い頃は、会社に就職して、同僚がいて、みんなでランチをしたり飲み会に行ったりしている友人がうらやましかった。

ここ(華道家元池坊)にいると、もちろん家元の娘なので大切にはされますが、孤独との闘いみたいな感じもありました。自分の居場所がないと思っていたことも…。

そんなある日、外部からの依頼をいただいたんです。「ここにこういう感じのものをいけてください、でも形にとらわれず、美佳さんらしいものを」と言われたとき、何かストーンと納得するものがあったんです。あ、自分の居場所は自分で探さなきゃいけなかったんだ、と。

これまで、少しずつでもがんばってきたから、自分の作品として花をいけてもいいよ、というごほうびがもらえたのかもしれない、と、悲劇のヒロインから脱出し、ふっきれましたね。27歳くらいの時でした。

いろんなことがわかるようになったのは、他のかたに比べてちょっと遅かったのかもしれませんね。

Age 伝統ある家に生まれて育って、というのはどんな経験なのでしょうか。
美佳 ああしなさいこうしなさいとは決して言われなかったので、すごく気楽な家だったと思います。姉が家元になるときが来たらその時はサポートしてあげなさい、とだけ。

ただ、名字が池坊なので、名前を言うと先方が両親をご存じだったり、池坊さんって、お花の? みたいに聞かれる。それが苦しかった時期はありました。私自身を見て! という気持ちがあったんだと思います。

だから大学生の時などは、池坊を名乗らなかったりもしました。友達も私が名字を名乗るのが嫌いなことを知っていたので、時には偽名を使ったり。「池田美佳」とか(笑)。

Age 合コンの時などですか?
美佳 合コン、1回しか行ったことがないんです。それがちょっと青春の心残りかな(笑)。

永田町で知り合った意外な結婚相手

Age ご結婚について伺います。伝統ある家の娘である美佳さんと知り合い、恋愛をし、結婚されたのはどのような人だったのでしょうか。

美佳 私は30歳で結婚したのですが、その2年くらい前からお見合いをしていました。お見合い慣れするくらい…6、7回はしたと思います。昔のお見合いと違って本人同士だけで会うんですけど。

その頃は、母が1996年に国会議員に当選したのですが、上京して東京で秘書をやっていました。母に、お見合いした方とは必ず二度会いなさいと言われていたんです。一度目は緊張しているでしょうけれど、二度会ったら、お断りしてもされても双方納得できるからと。

ですが、なかなかご縁がなくて…漠然と、こんなものなのかな、結婚って恋愛じゃなく生活なんだなと思っていました。

そんな時に知り合った今の夫は、政治部の記者だったんです。偶然、母がいる党の取材ヘルプでほんの少しの間だけ近くにいたんですよ。年齢も近いので、普通におしゃべりをして、友達としてご飯を食べにいくようになって、一緒にいて楽しかったんですけど結婚はまったく考えていませんでした。

でもだんだん、おいしいものを食べたり旅行先できれいな風景を見たりしたときに「あの人に食べさせてあげたい」「この景色を見せてあげたい」と思うようになったんです。

夫は池坊保子という政治家は知っていたけれど、華道家元池坊に関してすごくうとかったんですよ。少ししかわかっていなかったみたいです。夫が、彼のお母様に「今、結婚したい人がいる、お花の家元で池坊という家の娘で…」と話したときに、お母様は「ああ、華道をやっている方なのね」くらいしか思わなかったと。

そのうち、実は父親が家元、母親が国会議員なんだということがわかり「あなた、何を考えているの、そんな人と結婚してもうまくいかないわよ」とおっしゃったそうです。

私の家のほうは、父親は賛成しましたけど母はもちろん反対。あれだけお見合いしたのに、なんで永田町で出会った報道記者と結婚するの? と言いました。

でも、もしいやになったとき、母に「お見合いしろって言ったからでしょ」と言わずに、「私の見る目がありませんでした」と言ってやめたほうがいいなと思って(笑)、とりあえずこの人と結婚して、後悔することがあったらその時はごめんなさいと言えばいいかなと思ったんです。

母は結婚した後もまだしばらくいろいろ言っていましたけれど。義母も、結婚後3年経ったとき「こんなに続くとは思わなかった」と本音をこぼしていました。もう結婚してから10年経ちました。

Age 普段の生活はどんな感じですか?

美佳 私は東京と京都を行ったり来たりの生活です。夫はこの7月まで3年間ロンドン勤務でした。

最初、ついていこうと思って向こうで家探しもしたのですが、主人は報道記者なので月の半分くらいはロンドンの家にいないんですよ。私は1か月くらいいたのですが、ずっとひとりぼっちだったんです。

友達も、仕事もない土地で、毎日気分がふさぎこんでいき…ロンドンはお天気もあまりよくないですし。このままひとりでここにいたらあまり良くないなと思っていたところ、主人もそれに気づきました。

そして、仕事も家族も友達もいる場所へ帰ってもいいよ、たまに来ればいいよということになり、元気に帰ってきました(笑)。そういう自由なスタイルが私達には合っていたんでしょうね。

今は夫が日本に帰ってきて東京で一緒に暮らしています。でも、なまじ3年間お互いひとりで暮らしてきたので、「あれ、こんな感じだったかな?」と、なんだかすごく不思議な感じなんです(笑)。

40歳、肩の力が抜けて本当に楽しくなった

Age 今年40歳になったわけですが、どんな感じですか?

美佳 私が小さかった頃の40歳はもっと大人でいい女だった気がしたのですが、自分がその年齢になってみると、「あれ、こんなものかしら?」と(笑)。でも「40歳、全然悪くないな、楽しいな」と感じています。だから、最近は若い友人達に「女性は若いほうがいいと思っているでしょう、でも実は40歳からがいいんだよ」と話しているんです。

友人達に結婚の相談をされたら「1回はしてみたらどう?」と答えています。結婚のために出会いを求める必要はないと思いますが、一度は他人と暮らして、幸せも大変さも知ったほうがいいと思う。だめならやめればいいのですから。

Age 美佳さんのこれからについて教えてください。

美佳 20代半ば頃には「これから仕事を続けていけるのだろうか」と不安でいっぱいでした。今ももちろん「明日仕事が来なくなったらどうしよう」「5年後はどうなるんだろう」といろいろ考えますけれど…でもいつも自分が前に進もうという気持ちがあればやっていける、と思えるようになりました。

どんな仕事でも人とのご縁だと思うんでよ。それに、すべてのことに意味があると信じているんです。仕事をしていたらいいことばかりじゃないじゃないですか。でも、痛みにも悔しさにも絶対に意味があると。

若い時って、すべてにおいてがんばってしまうじゃないですか。30代後半から40歳にかけて少し楽になれたのは、人との距離の取り方や仕事との向きあい方で、がんばるところと力をぬくところがわかってきたからだと思います。この年齢になってやっと、心穏やかな時間が持てるようになったんです。

清楚で上品な笑みをたたえていたかと思うと、話し始めればよく笑い、きっぱりと思ったことを言う。気持ちがいい。学生時代の友人達に「美佳のような彼氏がほしい」と言われていた、というエピソードにも納得がいく。彼女が葛藤の向こうに見つけた“自分”は、肩の力が抜けて、これからどこへ向かっていくのだろうか。これからも楽しみだ。

食べることが大好き! という池坊美佳さんの好きな店8軒

●東京編
◇B Bar Roppongi(六本木ヒルズ)
東京都港区六本木6-12-1 六本木ヒルズ けやき坂通り
Tel.03-5414-2907
※バカラのグラスを楽しみながらゴージャスな気分でお酒が飲めます。

◇ホテル西洋銀座ティーラウンジ「プレリュード」(銀座)
東京都中央区銀座1-11-2 ホテル西洋銀座2F
Tel. 03-3535-1111(代)
※とびきりおいしいスコーンをほうじ茶のロイヤルミルクティーでいただくのがお気に入り。
                             
◇天ぷら 由松(銀座)
東京都中央区銀座8-2-3
Tel.03-5537-5950
※こんなにおいしいサイマキ海老はここでしか食べたことがありません!
                               
◇レストラン バカール(松濤)
東京都渋谷区松濤2-14-5
Tel.03-6804-7178
※カジュアルフレンチ。コストパフォーマンスのよさも魅力。
                              

◇麻布六角(麻布十番)
東京都港区麻布十番1丁目5-5 4F
Tel.03-3401-8516
※大人にぴったりのぜいたくな居酒屋。海老コロッケが絶品。
                              

●京都編
◇ぎおん徳屋(祇園)
Tel.075-561-5554
※日本一、いえ、世界一おいしいと思っているわらび餅があります!

◇CREPE MAISON MOCK(北山)
京都市北区北山通植物園北門通87
Tel.075-711-7464
小学生の頃から家族で通っている、大好きなご夫婦が経営するクレープのお店。

◇doji house(北山)
京都市北区小山元町20-21
Tel.075-491-3422
つくりたての新鮮なフルーツジュースとタルトがおすすめ。

いけばな作品キャプション

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2006年11月 池坊旧七夕会全国華道展(京都・タカシマヤ)

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2008年5月 池坊アトリエ

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2010年6月 モーブッサン銀座店

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1994年、京都三大祭の一つである葵祭の第39代斎王代を務めた。

いけのぼう・みか 華道家元池坊45世池坊専永氏の次女として生まれ、「いけばな」の普及のため世界的に活躍する傍ら、日頃いけばなになじみのない人たちにもその魅力を伝える活動を積極的に行う。『京bizW』(KBS京都テレビ)メインキャスター、東京・八重洲『京都館』館長。

撮影・小松勇二 インタビュー・文 池田美樹