性別、ジャンル、国籍、国境超える
ポップ・デュオ レ・ロマネスク。

(2011.11.21)

「コマンタレヴー、マ ジョリイ プティ フィユ、マドマゼール」フランス語で歌いながら両腕を高々と上げ手首は前方直角曲げ、指先を右往左往させる振付。「ニッポン ヌのミナサン ヌ、ボンソワール」とフランス語訛りの日本語でご挨拶、するのはピンク・ブロードのブルボン朝宮廷風衣装に身を包んだTOBI王子とそのメイドMIYA。フランスでビートたけしよりも有名といわれる日本人ポップデュオ、レ・ロマネスクです。12月22日、新宿BLAZEでの公演を控えたレ・ロマネスクTOBI&MIYAに、ひと目見たら悪夢のように蘇るルックス、ダンス、キラー・チューン、その創作の原点、バイオグラフィについてインタビュー。

■Les Romanesques プロフィール

ポップ・デュオ

(レ・ロマネスク)王子TOBIとメイドMIYAの歌、ダンスを中心にステージを繰り広げる。’00年渡仏と同時にデュオ結成。’07年( ’08SS)パリコレ・アフターパーティーで公演したことからファッションピープルの間で話題になり、フランスのみならずヨーロッパ諸国、アメリカの名だたるクラブイベント、ボードビルシアター、バーレスクフェスティバルから招かれライブ活動を行なっている。’09年、フランスのオーディションTV番組『La France a un incroyable Talent』に出演、『Zoun -Doko Bushi』(レ・ロマネスクのズンドコ節)を歌った時の映像がYOU TUBEに投稿され、そのアクセス数がフランス国内1位、世界ランキング4位を記録。フランスで最もよく知られる日本人となる。’11年夏にはFUJI ROCK FESTIVALに出演。合わせてミニ・アルバム『Dandysme!(ダンディズム!)』を発表。増刷に次ぐ増刷で話題を呼んでいる。

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Les Romanesques『Dandysme!』
                 


左・TOBI(トビー) シャンパン好き。ライブで訪れる世界各国の都市では綿密にロードマップを熟読、必ずバスに乗り車窓の外を流れ行く景色を眺めつつ居住区巡り。 右・MIYA(ミーヤ)好みのワインはブルゴーニュ。公演先では必ず肉、魚、青果市場を巡る。実は腕のよいシェフでもあり、オーブン料理が得意。弱点は子猫の鳴き声。© Les Romanesques 2000-2011 All rights reserved


カラオケをバックに、ある時はバンドを率いて
歌い、踊る王子&メイド。

ー9月の青山CAYでのワンマンショーでは、ジャンルの広い楽曲を演奏されていました。『シルヴプレ初恋』『サムライダンディ』『宅急便の魔女』いちいち笑えるタイトルや楽曲、衣装、振付はTOBI&MIYA、おふたりで考えるのでしょうか。

TOBI ふたりで相談、どっちかがリーダーシップをとりながらアイディアを出し、まとめていきます。曲調のアイディアを出して曲を作って、その上に歌詞を乗っけることが多いです。あんまり曲にぴったりシンクロする歌詞はつけないです。ちょっとズラすのがレ・ロマネスク調。

MIYA 『Mademoiseeelle』のときはこんな感じでとイメージをTOBIに伝えて、TOBIがピアノに落としました。

TOBI 振り付けも衣装も音楽もフランス語もなんですがラボや学校で学んだものではないもので表現している。それが新鮮、っていってもらえているのかなと思います。
 

持ち歌の数は多くないです。新曲を量産して演りっぱなし、というよりかは作った曲を、どういう風にパフォーマンスするか。一度演ってからもっとこうした方がいい、というのを考えるのにも興味があるので。1曲作ったらそれを3年、4年やる、というのがけっこうあります。4年後に突然振り付けを変えたりして。

ダンスに関していえば、お客さんが簡単にできて、楽しくできることを意識します。ライブでお客さんの反応見て、より楽しく変えていきます。


’11年9月、青山CAYで行われたワンマン・ショーより。

魂はもっと自由でいいんじゃないか、
レ・ロマネスクに国境はない。

ーカラオケやバンドをバックに、歌い踊る華々しい王子と無愛想なメイドというスタイルはいったいいつから? 結成のきっかけは?

TOBI ’00年に渡仏して『レ・ロマネスク』の活動を始めましたが、実は音楽活動を始めたのは’96年の東京です。アマチュアの音楽ユニット「ロマネスク石飛と揉みあげホテル」として、最大時には10名のメンバーがいました。

もうその当時から『愛の無人島』などのナンバーをやっていて、王子とメイドのファッションこそありませんでしたが、カラオケをバックに歌って踊るスタイルはすでにありました。

ージャンルが広すぎて、なんと呼んだらいいのかわからない音楽性ですね。歌謡曲、ディスコ、応援歌、シャンソンもクラブミュージックもやるし劇場的な要素もある。そもそもミュージシャンですか? パフォーマー? 

TOBI よくパフォーマーといわれるのですが自分たちではそう思っていません。レ・ロマネスクのステージは音楽を使ったパフォーマンスですが、音楽だけではない。ミュージシャンやパフォーマー、クラブミュージックやポップス、といったジャンルをとっぱらいたいと考えています。

ロックは、もとは規制の概念を壊していく新しい音楽だったけど、今となってはロックっぽい服装や、ロックな歌い方、音というのがあって、その型にハマっています。レ・ロマネスクはロックをやっているという意識はありませんが、既存の枠を叩き潰していきたいという魂は同じです。

MIYA エスプリ(精神)はロックと同じなんですね。ジャンルは重要でなくて、ふたりが楽しいと思えることをやってきて、たまたま今の形になっています。自分たちが好きなこと、楽しいことを全部を入れていきたいです。

TOBI 肩書きや音楽だけでなく性別、国籍、国境、すべての境界線を超えていきたいと思っています。

MIYA 移動の多い暮らしをしているので、ビザや住民票や国籍など、便宜上あるシステムがわずらわしいと感じることが多いんです。

TOBI 暮らしやすくするために「便宜上」作られたシステムに、人々はしばられすぎているのではないかという思いがあります。システムが悪いと言っているのではなく、魂はもっと自由でいいんじゃないかというメッセージを発信していきたいです。 

ボードビルの劇場で4ヶ月
ロングラン公演で鍛えられる。

ーホームページにあるこれまでのバイオグラフィを見ると、フランスだけでなく、世界各国で公演している記録に驚きを禁じえません。’04年 ヨーロッパ最大のアニメとマンガの祭典”Japan Expo”、’06年 コンラン卿の超高級ラウンジバー “ALCAZAR”でライブ、’07年 パリコレ会場、’08年 フランス5月革命40周年記念イベント、スイス&ベルギー、ドイツ遠征。’09年 ジュネーブ、アムステルダムのクラブイベント、NY遠征、グラスゴー国際キャバレーフェスティバル、ストックホルム レインボーウィーク。’10年 ロンドン国際バーレスクウィーク、7月にはパリ国際映画祭の広報大使にも選ばれています。今年はFUJI ROCK FESTIVALに出場しました。ロックフェス、クラブイベントにも呼ばれるし、キャバレー、バーレスクのフェスティバルからも声がかかる。これほど多岐にわたって活動しているアーティストは今までにないのでは?
 

TOBI 好きなことをやる、楽しいと思えるところでしかやらない、という姿勢でずっとやってきました。日本で「バーレスク」というと、ヌードダンスのイメージがひとり歩きしていますが、フランスでは大人のエンターテイメントとして一般に認識されている芸能です。そういったところで公演できるのは自分たちもやりやすいです。


’10年4月、ロンドン国際バーレクスク・フェスティバルに正式招待された。

***

ーこれまでの活動の拠点パリでは”La Bellevilloise”、”Divan du Monde” 、 “Senterier des halles” というところでよく公演を行なっています。どのようなスポットなのでしょうか?

TOBI ”La Bellevilloise”(ラ・ベルヴィルワーズ)は1Fはライブハウス、地下はクラブになっているところです、よく「ニュー・バーレスク」のイベントをやっている。Paris Divan du Monde(ディヴァン・デュ・モンド)はよく外タレなんかが来るクラブで、”Senterier des halles” (サンティエ・デ・アール)は老舗のライブハウス。もともとワインカーヴを改造したところで、東京でいえばリキッドルームみたいなオオバコ。そのほかレ・ロマネスクは、’02年に”Cafe Theatre Au Bec Fin”(カフェ・テアトル・オー・ベック・ファン)というところで4ヶ月ロングラン公演をやりました。

MIYA ”Cafe Theatre Au Bec Fin”はオペラ座の近くで、1Fはレストラン、2Fは劇場になっているところ。1Fでディナーして、ドリンクを持って2Fに見に行くという、ちょっと日本にはないタイプのところですが、フランスのみならずヨーロッパには伝統的にそういったカフェ・シアター文化があります。日本でいうと寄席みたいなところで、スタンダップコメディや一人芝居が観れる。だいたい夜の7時〜、8時30分〜、10時〜と、ひと晩3組出演です。レ・ロマネスクは毎週木〜日曜日の夜7時から、1時間の持ち時間で4ヶ月に渡ってやらないといけなくなってしまった。

ーどのような出し物をやっていたのでしょうか?

TOBI 芝居をして、音楽を演って、ミニレビューショー、という感じで『愛の無人島』などの持ち歌のほか、キャラクターを設定して寸劇もやってました。その時のキャラ設定が午後の王子、夜の王子、そして無愛想なメイド、というもの。今の王子&メイドスタイルの原型になっています。

ーなぜ、王子なのでしょうか?

TOBI 好きなものを全部やろうということでグラムロック、クイーン、プリンス、ビートルズ、そしてちょっと宝塚の要素をプログラムや衣装に取り入れました。王子とメイドは、愛と平和を歌うジョンとヨーコがモデルです。

ーでは、メイドMIYAのファッションルーツは?

TOBI MIYAはカブキだよね。女性美を過剰に表現した「ドラァグクィーン」風ともいえる。

MIYA 心理学を勉強していたので、メイクにはロールシャッハテストの画像を取り入れています。フフフ、フ。

「将来は何になりたいの?」
という質問に困る子供時代。

ージャンル分けされたくない、性別や国籍を取り払いたい、という考えを見事におふたりで共有していますね。

TOBI ジャンル分けされたくないのは、子供の頃からそうでした。よく大人が子供に「将来は何になりたい?」ということを聞くでしょう、将来の夢、とか。そういわれると困ってしまう子供でした。

MIYA 私も、何になりたいかと聞かれて職業を答えられない子供でした。そんな人は案外多いんだと思います。

TOBI 大人になったらハッピーで、お金に困らない暮らしができればいいなと漠然と考えていました。「パイロット」とか「医者」とか、職業名で答えなきゃいけないのには違和感があった。パイロットなら、どんなパイロットになりたいのか、というのはあまり話題にはならなくて職業が重要とされる。

MIYA 人として、どんなパイロットになりたいのか、とは聞かない。

TOBI 「将来の夢は?」ときかれて「人間として、道徳心のある、やさしいパイロット」とか「やさしい人」「人の痛みがわかる人」という答えは求められないでしょう。そういうのがイヤでした。それが今も、ジャンル分けされたくない、ということに繋がって来ていると思います。

***

ーおふたりとも大きくなったら「歌手」になりたいとか「俳優」になりたいと考える子供ではなかったんですね。レ・ロマネスクの楽曲の振り付けには日本の歌謡曲の影響を感じるのですが、子供の頃の憧れの歌手や、好きだった歌や曲は何でしたか?

TOBI 実家があったのは、広島の本当に山奥でラジオの電波が届かないようなところ。だから子供の時にロックやポップス、洋楽なんて聞いたことありませんでした。音楽的な情報源はテレビだけ。しかも家にはテレビが1台しかなかったので、家族で見ていた歌謡番組です。ゴダイゴ、三原じゅん子、佐野元春が東京のイメージでした。ゴダイゴはボーカルのタケカワユキヒデを含めてみんな外国人だと思ってました。

あまりに田舎過ぎて、近くに学校がないので、高校時代から下宿して一人暮らしをしていました。カラオケで歌うのはフランク永井の曲、というような高校生でした。声変わりした結果、かなり低音域が出るようになってたせいもありますが。 
 
 

MIYA 私の家は、厳しくてテレビが禁止。だから歌謡曲も何も知りません。家で流れていたのはいつもクラシックのレコード。ドビュッシーやショパンなんかがかかっていました。兄がヴァイオリン、姉がピアノをやっていたので私もピアノをやっていました。基本的には、人前に出るのはあまり好きではない方。時間があると本を読んだり、絵を描いているような子供でした。

TOBI ふたりともどちらかというと人前に出るのは苦手。恥ずかしいからメイクや衣装に凝ってしまうんでしょうね。最近の日本のハロウィンシーズンの騒ぎを見ると、日本人はもともと非日常的な感覚を衣装で楽しむのが好きなんじゃないかと思います。

ーそんなおふたりが、ステージに立つのは?

TOBI なぜステージに立つのか、といったら人を楽しませたいからでしょう。たまに、自分が練習した成果、テクニックを見てくれー、というタイプの人もいますけど。お客さんも楽しくて、自分も楽しめるハッピーなグルーヴが出る方がいい。

不運の連続。新天地を求めて
フランス・パリへ。

ーTOBI&MIYA、おふたりの出会いは?

TOBI 大学を卒業して働いていた’96 年に、仲間内で活動をはじめました。その後、勤めていた会社が立て続けに倒産。不運続きで、あまりによいことがないので、これはどこかで心機一転したい、と考えて’00年、フランス・パリへ行くことにしました。

ーどうしてパリだったのでしょう?

TOBI 一番自分に似合わないところに行ってみようかな、と。

ー????

TOBI 人生を大きく変えるには……

MIYA TOBIは、何か難しい局面にぶちあたると、あらぬ方向に飛んでいきますよ。ラグビーボール的に。

TOBI ……パリで成り行きで人前で歌うことになり、ひとりだと恥ずかしいのでパリに心理学を勉強しにきていたMIYAに声をかけました。

MIYA 当時私は大学で学んだ心理学をもっと勉強しようとパリに来ていて、フランス語の語学学校に通っていました。なぜか「変なガイジン二人組」としてのオファーが相次いで入り、いつしかこれが本業になっていきました。

パリコレのアフターパーティで
ファッションピープルからラブコール。

ー’02年”Cafe Theatre Au Bec Fin”の4ヶ月ロングラン公演はじめ、フランス国内でのライブハウスや劇場で鍛えられたことが、他のヨーロッパ諸国での活動の足がかりになったのでしょうか?

TOBI ’07年、パリコレのアフターパーティに出演したのがきっかけで、フランス以外の国からも声がかかるようになりました。

MIYA 世界からジャーナリストやDJがたくさん来ていて、彼らが気に入ってくれた。パリに面白い人たちがいるよ、と口コミで広めてくれて。’08年のベルリンが初の非フランス語圏の公演です。

ー各国でライブをやるようになって明らかにお国柄の違いを感じることってありますか? たとえばフランスではこの曲が受けるけど、イギリスじゃダメ、というような。

TOBI レ・ロマネスクが、どの国でも田舎ではウケが悪い傾向があるみたい。ロンドン、NYなど、都会ではレ・ロマネスクはやりやすいです。こっちがどんなことをやりたいのか瞬時に察知してくれる。

MIYA ここは笑うところなのか、踊ってみんなで楽しむところなのか、反応が早い。反対にまったくウケなかったのは、フランスの田舎の村まつり。男か女かわからないし、日本人か中国人かわからない、なに? という感じでみんなキョトンとしたままで終わってしまった。

***

TOBI 持ち歌のひとつに日本語の「おシャンソン」を風刺した曲で『ジャン・フランソワの女』という歌があります。捨てられた女が男に、笑い話になるほどジトッとした復讐する歌です。これを仏語に翻訳してフランスでやってみたことがあるけれど「なんだかかわいそう……」と本気で同情されてしまったり。フランスでやる時は、変わった外国人という枠の中で演らないといけないですが、日本では一歩踏み込んだことができると考えています。

お国柄の違い、ということだと日本ではヒットチャートが毎週発表されて新曲が常に量産されていますが、フランスはまったく逆。新曲にはあまり興味がない。よく保守は停滞すること、革新は動くこと、といいますが、フランスは保守、停滞を感じます。

MIYA好きなものを長くやるのがフランスです。だからヒット曲のカバーなんか大好き。オレのこの歌い方を聞いておくれよ、といった感じでどの歌手もカバーをやりたがる。同じ曲を長く歌うのは悪いことではないし、むしろ好まれる。よく、フランス人はケチとかいわれますが、あれは、好きなものを大切に長く使っている、という面もあるんです。そういう意味ではレ・ロマネスクはフランス的かも。持ち曲の数は多くないけど、長く大切にやっている。

ー『ヨコヅナ』などの振り付けは、ロンドンやNYの観客は一緒に踊りますか?

TOBI 踊ります。日本も以前は恥ずかしがってなかなか踊らなかったけど、最近は変化を感じます。

’10年7月、パリ国際映画祭"PARIS CINEMA”のマスコットに選ばれた。
’10年7月、パリ国際映画祭"PARIS CINEMA”のマスコットに選ばれた。

ベルサイユ宮殿内にてカクテル・パーティ。いや、パリ市庁舎にて。
ベルサイユ宮殿内にてカクテル・パーティ。いや、パリ市庁舎にて。
テレビ番組のブーイングにショック
しかしYOU TUBEで大ブレイク。

ー’09年、フランスのオーディション番組に出た時のYOU TUBEが再生回数フランス1位になりました。イギリスでスーザン・ボイルがブレイクした番組『Britain’s Got Talent』のフランス版ですよね?

TOBI 『Zoun -Doko Bushi』を歌ったのですが、最初300人の観客のうち280人くらいが立ち上がっているので、ウケてるなあ、でも観客がうるさくて音楽が聞こえないなあ、と思っていたんです。そしてちょっとすると気が付きました、これはウケているのではなく、ブーイングを受けていと。よく見ると、みんな手の親指を下に向けて騒いでいた。

MIYA それまで劇場でいくらお客さんが少なくても、ブーイングを受けたことはありませんでした。みんなお金を払ってわざわざ見に来てくれるので、なるべく楽しもう、という意識で見てる。でもあの番組は違った。

TOBI レ・ロマネスクのひとつ前に登場したのが象使いの少年で、少年が「はい、右!」というと、象が右足を上げ、「左!」というと象がちゃんと左足を上げる。こんな小さな子が! すごーい! カワイイ! というハートウォーミングな雰囲気に会場は包まれていました。そんな中で司会者が「次はもっとすごいですよ、みなさん、目を閉じて……」とちょっとした演出をした。そこへ出てきたのが、レ・ロマネスク『Zoun -Doko Bushi』で……。

MIYA ええっ、何これ、わからない、こわいっ! という拒絶反応がすごかった。

TOBI でも途中でやめることはできないので、やり続けた。すると、途中からわかってくれて、ラストには会場にいた人のほとんどが一緒に踊ってくれました。番組内では大ブーイングでしたが、その映像がYOU TUBEにアップされると、ずっとフランスYOU TUBEのトップページに掲載されて、温かい意見の書き込み、支持のコメントがズラリと並びました。そのうち「フランス人はレ・ロマネスクを理解できないクソ野郎」というような過激な発言ばかりになっていきました。

MIYA 『Zoun -Doko Bushi』の歌詞の内容は「パリに憧れてやってきました、公園でお散歩、鳩に餌をやっていたら、犬のウンチを踏みました、クソ」というもので、確かに犬の落糞が多いパリの街、人々を皮肉っている内容。でもそんなパリを愛しているよ、という気持ちを込めて作った歌詞です。でもそれをフランス人批判、ととる人もいて、議論に議論を呼んで番組のYOU TUBEチャンネルは炎上、3日間で閉鎖してしまいました。

***

ーYOU TUBE一件で一気に認知度が上がりました。’10年はパリ・シネマ映画祭のマスコットにジェーン・フォンダとともに選ばれ、世界を舞台に、ますます活動の幅が広がりました。

MIYA レ・ロマネスクの ”Romanesque” の “Roma”=「ロマ」とはジプシー、放浪の民のことです。今の私たちの生活を思うとロマ、そのもの。意識してそうしているわけではないけれど、なぜか移動の多い暮らしになっている。留まることがない。世界を巡って、歌って踊って、楽しませる。

TOBI 日本に帰ってきても、東京に行ったり、京都に行ったり。レ・ロマネスクは、衣装と音源のCD、もしくはMacBookがあれば、どこでもできるので、世界のどこへでも行きます。

MIYA 衣装がいちばん大きい荷物の「国境なきアーティスト」。フフフ、フ。

変化した日本人は
自分が本当に好きなものを取捨選択。

ーこの7月FUJI ROCK FESTIVALでは数百人の観客を前に公演、大喝采を受けました。テレビ番組での観客総立ちブーイングと、FUJI ROCKで観客全員が踊って会場を揺らす、この対照的な2つの体験は貴重なのでは?

TOBI FUJI ROCKでは、みんなこちらのレクチャーを聞いて、素直に踊っていました。これを見て、日本も変わったものだと感じました。

ひと昔前の日本だったら、恥ずかしがってなかなか踊らない。クラブでも、人気DJのかけているその曲で踊っていることがカッコイイかどうか、まず最初に考えてから踊っていたと思うんです。自分が好きかどうかはあまり関係なく。たとえば本当はTUBEが好きなのに、対外的にはピチカートファイブが好き、と言ってしまうところがあった。

でも、最近、変化があったと思います。自分の好きなもの、本当にいいものをわかっている大人が、自分の意志でちゃんと踊るようになってきている。○○がカッコイイんだ、これを聴かなきゃ、というような流行本位ではなく、ひとりひとりが自分の好きなものを追求しながら突き進んでいるという感じを受けました。

情報量が以前とは比べものにならないほど多くなってきているせいか、みんな自分が本当に好きなものを、積極的に取捨選択しはじめたんでしょうか。あまりに悲劇的なことが多くてみんな、げんなりしているのかもしれません。そこで楽しむことに対して、とっても前のめりというか、以前とは違う姿勢を感じます。ライブでも踊ることに対して、能動的な大人が増えたきた。世の中は悪い方向には進んでいない、と感じます。

松尾芭蕉 レスペクト。

ー尊敬するアーティストは? このようなステージをやりたい、と目標にしている人は?

TOBI 本当に尊敬しているのは松尾芭蕉です。BASHOはね、国境を超えて、当時でいえば相当なワールドツァーを行なっている。作品の完成度、フットワークの軽さ、スピード、どれをとっても素晴らしい。

MIYA 本当は忍者だった、ともいわれています。もしそれが本当だとしたら、幕府からお金をもらってミッションを果たしつつ旅して、作品を残して、常に作品を発信していた。

TOBI 日本ではじめて本格的なワールドツァーを行ったアーティストですね。松尾芭蕉と対バンでやりたいですね。

MIYA 対バンはムリですけど、ワールドツァーは、ぜひ、やりたいです。 

ー12月22日の新宿BLAZEの公演は、9月のCAYで演った時のように、バンドやダンサーも入るのでしょうか。

TOBI 来年は日本での活動も増やしてこの「愛の劇場」シリーズを年に4回くらい、定期公演できればいいと考えています。そこに行けば、レ・ロマネスクが見れる、という。基本的に座席指定で、みなさんゆっくり座ってステージを楽しんでほしいです。『ジャン・フランソワの女』のようなセリフのある聴かせて楽しめる曲中心に、クラブ・ミュージックには寄り過ぎない選曲で大人も楽しめるようなステージにしたいです。それプラス、『ヨコヅナ』のようにみんなで踊ったりできる曲も入れていきたいです。

***

ー最後にこれからの夢は?

MIYA 来年は日本での「愛の劇場」シリーズのほか、海外公演もいれつつ、CMなんかにも出てみたいです。

TOBI 日本では紅白歌合戦に出ることかな。日本のみんなにもっと広く知ってもらいたいです。

ー何組で出場ですか?

TOBI 衣装は女装ではないので……し、しろ組なんじゃないですか。

MIYA ええ? 白組なの?

TOBII ……い、いや、ピンク組。もう! 赤とか、白とか、そういうジャンル分けが一番イヤ! もしかしたら紅白歌合戦には向いていないかもしれない。

MIYA 紅白ピンク組歌合戦。フフフ、フ。



地球が舞台の放浪の民ロマ・TOBIとMIYAにとって世界は小さい。

●●●レ・ロマネスク 愛の劇場●●●
~クリスマス編~ 
「長い夜、やはり私は愛される」

会場:新宿 BLAZE
時間:開場 18:30、19:00スタート
指定席:3,800円、 立ち見3,000円
キョードー東京 Tel:0570-064-708
http://kyodotokyo.com/romanesques