今年最高の本 ! インタビュー
『困ってるひと』大野更紗

(2012.02.03)

「今年最高の本 !」第1位に選ばれた『困ってるひと』の作者・大野更紗さんにインタビュー。『困ってるひと』はどのように生まれたのか。闘病の中での執筆に苦労はないのか。読者の反応をどう捉えているか。ズバリ聞いてみた。

大野更紗(おおの・さらさ)
1984年、福島県生まれ。上智大学外国語学部フランス語学科卒。上智大学大学院グローバルスタディーズ研究科地域研究専攻博士前期課程休学中。学部在学中にビルマ(ミャンマー)難民に出会い、民主化活動や人権問題に関心を抱き研究、NGOでの活動に没頭。大学院に進学した2008年、自己免疫疾患系(筋膜炎脂肪織炎症候群、皮膚筋炎)の難病を発病する。1年間の検査期間、9か月間の入院治療を経て、現在も都内某所で闘病中。左・著書『困ってるひと』 ポプラ社/1,470円
photo / MACH

「難」の観察者になりたいと思っていたが、
「難」の当事者に。

ー大野さんは大学院生の時、タイへのフィールドワークの出発直前に発病してしまったと『困ってるひと』の中で書いていましたね?

そうですね。発病前までは『困ってるひと』、ミャンマーの難民を助けたいと思っていたのに、まったく一変して、自分自身が日本社会の難民、『困ってるひと』になってしまった。本の中にも書きましたが、「難」の観察者になりたいと思っていたはずが、突然「難」の当事者となったわけです。

ー「筋膜炎脂肪織炎症候群」、「皮膚筋炎」という難病に罹患してからの七転八倒を書かれたわけですが、執筆のきっかけは何だったのでしょうか?

病室で、退院するための準備をしている最中、ある時、片手間にパソコンでラジオを聴いていたんですね。そうしたら突然、高野秀行さん(作家)の声がラジオから聴こえてきたんです。高野さんという方は、辺境を探検してノンフィクションを書かれる作家さんで、ミャンマーの辺境に関する本も何冊も出されています。学部生時代に一度、大学で講演会をしていただいたことがあるんです。

そのラジオはすごく長い番組で、1時間半くらいはあったと思います。その1時間半、高野さんはずっーと「UMA(未確認生物)」の怪獣の話をしていた。なんだかすごくなつかしくなるとともに、すごくうれしくなりました。「ああ、高野さん、まだこんなバカなことしてるんだ」って(笑)。

ラジオを聴いた後で、高野さんに、以前お会いしたとき以来のミャンマー話や自分の「難民化」した状況を綴って、不躾にもいきなり「何か書いてみたい」とメールをお送りしたんです。突然、偶然、思いつきです。

そうしたら、リュックをしょって本当にご本人が病室に「探検」に来てくださった。ボソボソと状況を説明した後で、「どういうものが書きたいの?」と訊かれて、「なんかこう、闘病記とかじゃなくて。おもしろいものが書きたいです」と。

その後退院し、在宅生活を始めたばかりの自宅に、編集者の方と高野さんとお2人がこれまた来てくださって。「とりあえず、なんか、書いてみて」と言われ、「はい」とパチパチいきなり第0回(本では「はじめに」の部分)を書いてお2人に送りました。そうしたらば「いいね、おもしろい!じゃ、これでいこう!」と。いわゆるプロット、などという単語すら知らず、本当に見切り発車で、Web上の連載がはじまりました。

最初は、主にTwitterのフォロワーの方が読んでくださって。徐々に口コミなどで広まっていったという感じです。

読者の反応に支えられて
最後まで書ききれた。

ー読者の方々の反応、ツイートで印象に残ったことはありますか?

『困ってるひと』は、1人で書いたという感じがあまりしないんですね。隔週で締め切りがやってくるんですが、わたし自身どういうものが出てくるのかわからず、その回ごと一気に書いていたので、わたし、高野さん、編集さんの3人で「何が出てくる」と戦々恐々としていました。2人のサポート体制はもちろんのこと、何より、隔週でポプラ社のWebサイトにアップされるたびに、何十件とTwitterや感想フォームから反応をいただいたことは大きかったです。

体調は悪いのが普通なので、書きながら、「もうだめだ~」と、当然ながら何度も思いました。身体的にもものすごく負荷がかかります。そういうときに、「わたしも困ってる」「実はわたしもそう思ってた」「自分もずっと堪えてきた」と読み手の方々から、言葉をいただいた。不意に、偶然に、さまざまな人と出会い、支えられ、そうやって最後まで書ききれたのだと思っています。

ー終わらない不況の中、昨年は東日本大震災がありました。大野さんは震災後に実家のある福島県に入られたそうですね?

2011年の10月に、福島県内最大の郡山市の書店さんが『困ってるひと』の出版記念イベントを開いてくださったんです。車を手配したり、薬やいろんなものを準備して、日帰りで強行突破で伺いました。もちろん大変ですが、行って本当によかったと思っています。

被災地の「内部」から見える風景と、「外部」から見える風景は違います。それは、難民キャンプを歩き回ってフィールドワークをしてきたころから、痛切に感じてきたことです。外部者や援助者は、その場から逃げられる。でも当事者は逃げられない。

わたしは代弁なんてする資格はないし、できないと思っています。ただ、話を聞かせてもらったり、言語化しにくいことやできないことは何なのかをじっと見つめることくらいしかできない。どうなるにせよ、ともかく長い時間のかかることだと思います。ただ、ふと寄り添うことくらいしか、できることはないけれども。それでもともかく、できることを続けることが大事なのだと思っています。

「あきらめない」ことの本質は
他者と語ることをやめないこと。

ー難病で困ってもフィールドワークは続けられるのですね。今後はどんな活動を考えていますか?

『困ってるひと』は退院したところで終わっているので、その後の「シャバ」の困難について、ひとまず準備中です。そのほか、主にWeb上などで、日本社会の「難」の現場のフィールドワークのルポなども、既にちまちまと書いています。予定は限りなく未定ですが、ただ書けるときに書くのみです。

「あきらめない」ということの本質は、自分とは異なる他者と語ることをやめないことだと思っています。誰にとっても困難だらけの現実はすぐそこにあるのだけれども。けれども、少なくとも、「あきらめない」でやっていこうと思います。