『Age(アージュ)』特別取材! ブロードウェイミュージカル『ザ・ミュージックマン』に出演する彩乃かなみさんのロングインタビュー。

(2010.03.16)

宝塚歌劇団出身、というと、幼少時代から順風満帆な人生を送ってきたと想像する人は多いことだろう。私もそうだった。しかし、16歳で宝塚の舞台に初めて触れたという彼女は違った。華やかで誰をも魅了するその笑顔の下には、直感を信じて、努力を続ける1人の女性がいた。それは、私たちビジネスウーマンと何ら変わりのない、等身大の姿だ。春のある日、彼女にじっくり話を聞く機会があった。

PROFILE
彩乃かなみ(あやの・かなみ)
群馬県前橋市出身。1997年宝塚歌劇団にて初舞台を踏む。1999年『ロミオとジュリエット’99』のジュリエット役や2001年『マノン』のマノン役などのヒロインを好演。2005年『Ernest in Love』で月組主演娘役に就任。確かな歌唱力と情感豊かな演技で様々な役柄を演じた。2008年 7月『ME AND MY GIRL』で宝塚歌劇団を卒業し、歌手・女優として活動を開始。2009年10月、ユニバーサルミュージックよりアルバム『Love Story〜ひかりのみち〜』を発売。
彩乃かなみオフィシャルウェブサイト:http://www.copa.ne.jp/ayano/index.htm

インタビュー・文 池田美樹
写真・小堀篤信
取材協力・遠藤眞実(m.truth)

「宝塚」との電撃的な出合い

16歳。志望していた進学校に入学したにもかかわらず、その先の目標が見つからない。大学に進学するにしても、文系、理系、どちらを選ぶのか……と、日々悶々と暮らしていた夏休みのある日。彩乃かなみさんは、BS放送で宝塚歌劇団の舞台と電撃的な出合いをする。

「それまで、オペラやミュージカルなど様々な舞台を見に行ったのですが、自分があちら側に立ちたいと思ったことは一度もなかったんです。それが、テレビの中の宝塚歌劇団の舞台を見た瞬間に、“私のいる場所はここだ!”と直感してしまったんですね」

すぐに104に電話をかけて「宝塚の電話番号が知りたい!」と言ったのだという。その時、なんと、宝塚の正式名称が「宝塚歌劇団」であることも、「宝塚」が地名であることも知らなかった。

「オペレーターさんも困ってしまって、『「宝塚」とつく電話番号はたくさんありますけれど…』ということだったので、『じゃあ一番上の電話番号を教えてください!』と。今、考えると、すごく行き当たりばったりですよね(笑)」

そこが彼女の運命の分かれ道だった。

「たまたま、教えてもらった電話番号が宝塚出身者の芸能プロダクションだったので、丁寧にいろいろ教えてもらうことができました。電話をかけたのは8月のことだったのですが、4月に試験が終わっており来年までないことなど…私、随時募集しているんだと思いこんでいたんです」

 ひとまずバレエのレッスンを受けることにしたが親に言い出せず、こっそり自転車で片道40分かけて通った。学習塾も辞めてしまった。本格的なレッスンを受け始めたのは試験の3か月前。ようやく、本気でやってみたいと両親を説得した。

「4月になり、試験会場に行ってみたのですが、時間をかけて宝塚を目指している人は見ただけでもう、全く違う。皆、受験生なのに洗練されている。もうダメだ、と思いました」

 一度目は落ちても仕方がないと観念した。そして家族の協力のもと、養成スクールに通い続けて受けた二度目も不合格。自分では本腰を入れて受けたつもりだったので、かなりショックだったという。三度目の試験で、見事、合格通知を手にした。1995年のことだった。

その間、通い続けた高校は普通の進学校。周囲にはなんと話していたのだろう?

「やっぱり言えなかったです。みんな進学を目指してがんばっているのに、私だけが叶わぬ夢を追っている、と思われるのがいやだったんでしょうね。支えてくれたのは小・中学時代の友人たち。だからか、高校時代の学校の記憶があまりないんです」

タカラジェンヌとしての日々

いよいよ待望の宝塚への入学。同期はたった40人だ。とても厳しい校風だと聞くけれど、実際は?

「すごく厳しかったです(笑)。でも、そのことも含めて、入学したからには経験してみたいと思っていたことでしたし、私はこの席を勝ち取ったんだ、という喜びの中で最後までがんばれました」

 宝塚音楽学校は、予科1年、本科1年の計2年。タカラジェンヌの神髄を学ぶところだ、と彼女は表現する。

 そして2年後の1997年、宝塚歌劇団に次席入団。初舞台は『仮面のロマネスク』だった。同級の40人が一緒に舞台に立つのはこの日が最初で最後とあって、こみ上げてくるものがあったという。

「これまでがんばってきたこと、喜多弘先生の最後の振り付けということ、そして、何よりも、私が合格した年が阪神・淡路大震災だったこと。あまりにも被害が大きかったので、その年は新入生を取らないのじゃないか? という話もあった中でチャンスがもらえた。そんな、いろんなことに対する感謝の気持ちでいっぱいになりました」

 舞台に立ったのは不思議な経験だった。

「これは現実の世界なの? と思いました。ライトを浴びる心地よさ。すべてが別世界で、私はついにこちら側に立ったんだ、という達成感がありました」

 最初に配属されたのは花組。数々の役を演じたのち、2001年に宙組へ異動。当時のトップ娘役、花總まりに次ぐ2番手として活躍。2005年に月組へ異動し、同年トップ娘役に就任。順風満帆の舞台人生を歩んできたように見えるが、わずか3年後に引退という道を選んだ。

「トップ娘役は、宝塚の娘役としての最高到達地点。ああ、ここに来てしまった、ここから先はもうない、と感じて、私、いつ辞めるのかなあと漠然と思い始めていたのだと思います。宝塚という場所をとても愛していたので、ずっとここにいたいなと思っていたのですが、充実している時期に辞めるんだろうな、と直感したんですね」

その心の声に従うのか。このまま続けたいという理性に従うのか。悩む日々が始まった。当時の相手役の瀬名じゅんさんは信頼している先輩でもあったので、相談もした。辞めるなら相手役と同じ時期に、と思っていたけれど…。

「最終的には直感に従うことにしたんです」
でも、辞めたら何をしようかということは、ほとんど考えなかった。

「今いるこの場所を全うして次に行くべきだと思って。私の愛してきた場所に感謝を込めて、どう終止符を打てるのか、と考えていました」

2008年7月、「ME AND MY GIRL」の東京公演をもって退団。

「退団公演の間、帝国ホテルに泊まっていたのですが、千秋楽を終えた翌日の朝、通い慣れた宝塚の劇場が、引っ越してしまった後の自分の部屋のように見えて……もちろん寂しかったのですが、同時にすがすがしさもありました」

それは、「宝塚歌劇団の娘役たる者はこうあるべき」という自分自身で背負っていた何かを下ろした後のような気持ちだった。

ヘア&メイクアップアーティストの山本浩未さんとは宝塚歌劇団に所属していた頃からの仲良し。
「ヘアやメイクのことを教えていただいています!」

歌手として、女優として。

現役時代は走り続けてきたので、しばらくはゆっくり過ごした。大好きなコトの風情を楽しみにパリやヴェネツィアなどヨーロッパへ旅をしたり、思い切り遊ぼうと決めてハワイに行ったり。友人たちとご飯を食べたり。生き急いできた自分を取り戻すかのような時間。

その後は、主に歌手として活動を始めることにした。歌には宝塚時代から定評があり、退団時に名曲『千の風になって』をオリジナルCDとしてリリースするという異例の経験もしていたので、彼女にとってはそれが自然な道だった。そして、2009年10月にファーストアルバム『Love Story〜ひかりのみち〜』をリリース。

「退団してからこんなにも早くアルバムが出せるとは思っていなかったので本当にうれしくて、ありがたいなあと思っていたところ、さらに思いがけないことが起こりました」
『Love Story〜ひかりのみち〜』はカバーアルバム。その中に1曲だけ入れていたオリジナル曲『ひかりのみち』が、伊勢神宮の第62回神宮式年遷宮に先立ち行われる、『宇治橋渡始式』奉祝行事の奉納歌に選ばれたのだ。
「ご縁があったとしか言いようがない出来事でした。私自身も、スタッフも、とにかくびっくり! とても大きなギフトをいただいた気がします」

同年11月3日には『宇治橋渡始式』が行われ、神域で生歌を披露するという経験も。

「提灯行列、満月、美しい空気……魂が震えるというのはこういうことなんだろうな、と思いました。自分自身の力だけで歌っているのではない。宇宙を感じた瞬間です」

もともと、歌う、踊る、奏でるといった芸術は神事。神に捧げるというのはこういうことなのか、と思ったという。

「私は恵まれている、周りの方に支えられてここまできたんだ、と、感謝の念が湧いて止まりませんでした」

4月からはいよいよブロードウェイミュージカル『ザ・ミュージックマン』にチャレンジする。

「先日、初めてニューヨークに行ってきたんです。これまで、ショーではさんざんニューヨークを舞台に演じてきたのに『わあ、私、ブロードウェイに来た!!』と感激しちゃいました(笑)」

今回の目的は、リンカーン・センターで以前の『ザ・ミュージックマン』の舞台のVTRを見に行くこと。

「閲覧許可を取るのがとても難しくて半ば諦めかけたんですが、なんとか日程の最後で見ることができました。感激しました! 『ザ・ミュージックマン』はディズニー映画にもなっていますし、今回出演する日本バージョンは振り付けも変わるようなので、一度どこかで見たことがある方にも楽しめる内容になると思います。西川貴教さん達との共演も楽しみ!」

夢は映画に出ること。1人でも多くの人に何かを伝えたい。

「私は変わり続けたい」と言う彩乃かなみさん。「自分の引き出しだけでは世界が狭くなってしまう。新しい人と出会い、いろんな人の作品に出て、知らない自分に出会いたいんです!」

何かと縮こまってしまいがちな時代にあって、心強い言葉だ。

これからの夢は? と聞くと、「映画に出ること!」と元気に即答して目を輝かせた。絶対に実現させたいのは、憧れの演出家・三谷幸喜さんと仕事をすること。

「三谷さんのお芝居や映画が大好きなんです。特に好きな作品は、中井貴一さんと戸田恵子さんが出演された『グッドナイト スリイプタイト』。夢は宣言すると叶うと言いますよね。だから、ここで宣言しておきます!」

今後、「彩乃かなみ」という人はどうなっていきたいですか? という質問には、しばらく考えた後で、ゆっくりとこう答えた。

「私は言葉そのもので伝えることが少し苦手。でも歌を歌うことで自分が表現できるし、舞台に立ったら作品全体のメッセージも伝えることができる。自分に与えられたこの場所で、1人でも多くの人に何かを伝えられたら、と思います」

 

ブロードウェイミュージカル
ザ・ミュージックマン

楽譜も読めない詐欺師のハロルドが、小さな田舎町に音楽を持ってやってきた。音楽を知らなかった子どもたち、心を閉ざしていた大人たちが彼と音楽とのふれあいで心を開いていくハートウォーミングストーリー。1957年にブロードウェイで初演、1958年にトニー賞9部門受賞、1962年にロバート・プレストン主演で映画化、2003年にディズニー制作で映画化など、上演回数2000回を超える名作コメディ・ミュージカル。

演出:鈴木裕美
翻訳:山内あゆ子
上演台本:鈴木哲也
振付:前田清実
出演:西川貴教、彩乃かなみ、植木豪、竹内郁子、今井ゆうぞう、佐渡稔、うつみ宮土理ほか

日程:2010年4月23日(金)〜5月5日 (水)東京芸術劇場、5月8日(土)〜5月20日(木)新国立劇場中劇場、5月22日(土)愛知県芸術劇場大ホール、5月25日(火)〜30日(日)森ノ宮ピロティホール、6月5日(土)札幌市民ホール
URL:http://the-musicman.jp