仕掛けの新しさが魅力。
狗飼恭子さんのデジタル恋愛小説。

(2011.06.01)

ひとつの恋をふたつの側面から描く。

恋愛とは最低限、2人の人間がいて初めて成立する出来事だが、読者の皆さんもきっと嫌になるほどご存じのように、関わる人、それぞれが見る光景や感じ方は、まったく異なるもの。一緒に時間を過ごしていても、見ている/見えている光景が全然違ったことに後から気づき、驚いた経験をお持ちの方は多いだろう。

そんな「ひとつの恋のふたつの側面」を別々かつ同時に(!)描いたのが、マガジンハウスの『マガジンワールド』と、ジョンソン・エンド・ジョンソンのコンタクトレンズ『アキュビュー オアシス』という、2つのウェブサイトで発表された狗飼恭子さんのデジタル連載小説だ。メインストーリーであるマガジンワールドの『砂漠に雨の降るように』は女性視点から、サブストーリーであるアキュビュー オアシスの『たった十四日の奇跡』は男性視点から、28歳の2人が織りなす、重なりそうでなかなか重ならない、ひとつの恋の行方を描く。

OL・珠里と犬嫌いの鞄職人見習い・真吾の物語。

OL・珠里は、5年も付き合った恋人の信也に「すごく普通だよね」(=だから、つまらない)」という理不尽な理由で振られてしまう。迷わずまっすぐ「普通」の未来に向かって進んでいる気でいた珠里は、途方にくれる。途方にくれた彼女は、最新のランニングウェアとスニーカーを買って、「つまんないわたしと、さようならをするために」走り出す。

一方、犬嫌いの鞄職人見習い・真吾は長い間、恋をしていない。まだまだ自分ならではの作品を作るまでにいたらない真吾は、尊敬する師匠・中島さんのもとで働きながら学び、お得意様のお客様に笑顔で接する毎日だ。そんななか、犬嫌いのうえに「走るのも歩くのも散歩するのすら嫌い」な真吾に、中島さんは愛犬「イメルダ」の散歩を申し付ける。体の大きいイメルダに、決して大男ではない真吾は引っ張られるようにして、しぶしぶ散歩に出かけていく。

そんな2人の「普通」の毎日に訪れた、ささやかだけど奇跡的な14日間を、珠里と真吾、双方に共感し、肩入れしながら読める物語だ。

それにしても、珠里の恋愛模様と気持ちの揺らぎを「他人事ではない」と感じる読者は多いのではないだろうか。世間的にスペックが高く、ぐいぐい引っ張ってくれる信也との恋は「普通」に幸せな未来が見える、いわば安心できる恋だった。しかし、その「普通」の未来へと続くはずの糸を、「普通だから」という理由で、信也にプツリと切られてしまうのである。動揺するに決まっている。一見、安定した恋だって、まったく信用ならない。「それなりに幸せだけど、ありきたりで、なんだか退屈そうな未来」など、実は幻想にすぎない。「普通」なんてものは、この世の中に、ありはしないのである。

人生は、次の瞬間、何が起こるかわからないのだから、安定している恋愛に、ゆめゆめ安心しきってはいけないし、恋愛に絶望していても、絶望し続ける必要はない、ということだろう。よく考えれば当たり前だが、そういう「当たり前のこと」は、渦中にいると、うっかり失念してしまうもの。希望と絶望は隣り合わせ、という事実をこの物語は再確認させてくれる。

2つのサイトを行き来しながら、物語に入っていくのが楽しい。

このふたつでひとつの作品からは、恋の終わりと始まりのセンシティブな感情が、手に取るようにストレートに伝わってくる。その理由のひとつに、発表媒体がデジタルな場であることによって、紙の本とはひと味違った魅力がトッピングされている、という「仕掛け」の効果がある。なぜなら、リアルな恋愛模様を描くのが得意な狗飼さんらしく、いつにもまして細かなディテールが冴えわたっているのに加え、折々に挿入される美しい写真が、文章で描かれたディテールの手触りを立体的に伝える役割を果たしているし、2つのサイトを行き来しながら、物語の全容をつかんでいく行為そのものが、単純に楽しいからだ。

2つのサイトを行き来するということは、極めて能動的な行為である。積極的に物語の世界に入っていこうとする、読者の前向きな気持ちがなければ、なかなかクリックしてはもらえない。だからこそ、「仕掛け」と「見せ方」が非常に重要なのだ。

見知らぬ人と出会い、恋に落ちていく過程には、謎が多いものだが、読者は2つのサイトを行き来して、2人の主人公の真相を徐々に知る。真相が明らかになる「場」が別々であるがゆえに、同じであるはずの1シーンの、立場によってまったく異なって見える風景を、登場人物と共有しやすい。この「仕掛け」は物語の世界にどっぷり浸るための一助となっている。

PCだけではなく、iPhoneとiPadからも読める「仕掛け」も、これだけモバイル化が進んだ日本、アクセスしやすい環境を整えるという意味で、「紙媒体から電子書籍へ」という議論はさておき、時代に即した、極めて使い勝手の良い方法であると思う。だって、仕事の合間にちょこっと現実逃避できちゃうし(頻繁に現実逃避してはダメですよ!)、混みこみの通勤電車内でページをめくらずに片手でサクッと読めるし、すっごく便利だもの。

企業の広告活動と小説の表現との関係にも注目。

まったく別の角度からの楽しみ方もある。この作品は、冒頭に書いた通り、ジョンソン・エンド・ジョンソンのコンタクトレンズ『アキュビュー オアシス』の広告活動の一環だ。つまり、あくまでも広告の一環だから、どこかに商品とリンクした「何か」がある必要がある。

とはいえ、主人公2人がメガネを落とし、「メガネ、メガネ」と探しているうちに、なぜかぶつかって出会い、恋に落ち、仲良くコンタクトレンズを買いに行く、みたいなベタな(?)ストーリー展開だったら興ざめだろう。まあ、それはそれでベタすぎて面白いストーリーになる可能性もなくはないが、とにかく、サジ加減が難しいところだ。恋愛小説の旗手、狗飼さんが、企業広告としての一面を持つ作品を、どう料理するのか? そういった「ひとひねりした読み方」も可能。ちなみに、『アキュビュー オアシス』のキャッチコピーは「乾いた環境でも、つけた瞬間から違う。それが、オアシス」。一度目は、まっさらな頭で読んで、その後、この言葉に注目して読み直すと、ひと味違った面白さを発見できると思う。

デジタルでも小説ならではのお楽しみの本質は普遍。

狗飼さんのインタビューによると、岩手の被災地の20代の女性から、「震災後、物資の不足でラジオと自宅に残った本しか楽しめるものがなかったのですが、携帯で新しい連載小説が読めて本当にうれしいです』というメールがブログ宛に届いたそうだ。

デジタルであったからこそ、届けられた楽しみ。この作品が生み出される過程にまったく関わっていない私が、こんなことを言うのもおかしな話だが、過酷な状況を乗り越えようとしている女性に「楽しさ」という「希望」を届けられたこと。それだけでも、このチャレンジングなデジタル小説が生まれてよかったなあ、と思う。そして、斜陽産業と言われて久しく、「絶望」しかけている出版業界だって、まだまだ出来ることはあるんだと、「希望」の光が見えた気がしてうれしかった。

小説を読むということ。それは、いつの時代も読む人をワクワクさせてくれる、人間らしくて創造的な、とっておきのお楽しみだ。

描かれる世界に耽溺する、という小説ならではのお楽しみの本質は、今までも、これからも不変と思う。しかし、「楽しみかた」は時代に沿って変容していく。「きゅん」とした気持ちを共有させてもらえたのも楽しかったが、小説は紙の本で読まないと気分が乗らないという頑固タイプの私に、デジタルもまた良し、と心から思わせてくれたことも、この作品に出会って得た大きな収穫だった。

 
 
 
 
★ところで、主人公の珠里に追伸★

ねえ、珠里ちゃん。「八歳下、とかだったりしたらさすがに無理」なんて決めつける必要ないと思うんだけどなあ。八歳ぐらいの年齢差、全然どうってことないのに。お姉さんが力強く保証するよ。

 

 
 
 

『たった十四日の奇跡』

恋人にふられたばかりのOL・珠里と、犬ぎらいの鞄職人見習い・真吾。接点のない28歳の男女が、ある日ばったり出会うことから物語は始まり、珠里と真吾のそれぞれの視点で14日間の出来事が展開していく。珠里のストーリーであるSIDE-A『砂漠に雨の降るような』は「マガジンワールド」で、真吾のストーリーであるSIDE-B『たった十四日の奇跡』は「アキュビュー オアシス」ウェブサイトで、それぞれ同時に連載中。

期間:2011年4月11日〜6月2日(各全14話)
 

「アキュビュー オアシス」ウェブサイト
SIDE-A『砂漠に雨の降るような』
SIDE-B『たった十四日の奇跡』

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