土屋孝元のお洒落奇譚。松田正平展にて思う。ホンモノのヘタウマとは……。

(2013.09.13)

松田正平風に。瀬戸内海の魚。

神奈川県立近代美術館 鎌倉
『生誕100年 松田正平展 陽だまりの色とかたち』にて。

なかなか行く時間が取れず、神奈川県立近代美術館 鎌倉で開催していた『生誕100年 松田正平展 陽だまりの色とかたち』をやっと見に行けました。

もう何年になるでしょうか、『阿曾美術』さんのところへお茶の稽古に通うようになり、「松田正平」と言う作家を知ったのは。飄々とした文字といい、まるで、80年代はじめにヘタウマが流行った頃の線描の様な線といい、僕は一目惚れしてしまいました。


七番目の次の犬でハチらしいです。

ある時に阿曽さんから、松田正平さんの手紙を見せていただき、その中で、筆を送って欲しいということが、あの文字で実に丁寧に書いてあるのです、なんでも山口の田舎では。良い筆が手に入らないようで、それで阿曽さんへのお願いとなったのでしょうか。

僕も阿曽さんから松田正平さんが使ったという鳩居堂の筆を教えていただき、その足で その日のうちに早速 購入しました。
その筆は穂先が長く、慣れないと使いづらい筆で、この力の抜け感で あの文字やあの線が描けるのだな、と納得したのです。

線を描く事やフォルムを描くことに
生涯をかけた人ではなかったか

松田正平さんの系歴を知ると東京美術学校、芸大の大先輩でした。あの白洲正子さんがアトリエを訪ねてひと言「アトリエはきたないけど、すべてが美しい」と言ったとか、伝説の現代画廊の須之内さん曰く「盗んでも欲しい絵」と言ったとか、言わないとか。


同じく祝島風景 雲がかわいい。

60歳を過ぎるまで、絵はまったく売れなかったといいます。売れることが全てではないのですが、自分の世界と向き合い、いろいろな挑戦をして、線を描く事やフォルムを描くことに生涯をかけた人ではなかったかと思うのです。身の回りのモノ達だけを描いた画家です。今回の生誕100年展を見て思うのですが、戦前のパリ留学の頃の絵も良い味があります。コローの模写などはやはり流石です。

戦後になってからの厚塗りの画面、これは原画を見ないとわかりにくいですね。この頃のヌードはフォルムといい、線が鋭角的でビュッフェのようなと言えば伝わるでしょうか。
 

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このあたりから、晩年に至る、油彩とは思えぬ様な絵肌の明るい色彩表現になっていきます。この頃の大きなサイズの絵は、今まで画集で見たものとは迫力が違いました。大きな魚「おひぃう」など圧倒される迫力でした。

描いては拭き取り、また描く、絵の具が微妙に重なり合い、本当に美しいマチエールになるのです。引っ掻いたり、削ったり、このモノ達を超えたフォルムの素晴らしいこと。

松田さんの作品集には松田さんの言葉があります。

「油絵はようわからん、だから描くんじゃろ。」

「いらないものはみんな捨ててきた。」

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ある時、祝島でイーゼルを立ててスケッチをしていると、あるインテリ風の女性が松田さんを見て、本職の画家ではないと思ったようだと書いてありました。その時もただただ 笑っていたそうです。あのエッセイストの白洲正子さんが松田正平さんのアトリエから持ち出したという、「犬馬難魑魅易(けんばむつかしちみやすし)」の短冊に松田正平さんの絵の世界があるように思います。

この短冊は阿曽さんのお茶室にも掛けられていて、その意味、「犬や馬を描くのは難しいが、魑魅魍魎など誰も見た事がないものは易しい」を知ると、まさにその通りと思うのです。

松田さんは、老年になればなるほど、素人には下手(?)、に見える絵を描きました。でも、プロから見るとなかなか描けない線なんです。

日々の精進が、なかなか真似できない「うまさ」につながるのです。
 


子供の絵のようなと表現される晩年の絵です。