ぶろぐちようじの書棚 - 4 - 封印されていた『名草戸畔 古代紀国の女王伝説』

(2011.02.08)
『名草戸畔 古代紀国の女王伝説』リアル書籍と電子書籍。

インターネットが当たり前のことになり、ブログやフェイスブックに多くの人が自分のことを書くようになった。ウィキリークスで国家の秘密までもが暴かれるようになると、秘密を持つこと自体いけないことかのように思えてくる。

バリ島にはロンタルという古文書がある。それは各王家が所有し、滅多にその王家の者以外見ることができない。もし誰かよそ者の目に触れさせるときには、お祈りをしてご先祖様のご意向を聞くのだとか。その古文書には王家の由来、王家を守っている神様についてなど、重要な秘密が書かれているから他人には見せないのだと聞いた。そしてそれは、すべての王家のロンタルをもし集めてしまうと、たくさんの矛盾が出てくるからではないかとも言われている。さらに加えて、どの神様がどんな秘密を持っているかわかってしまえば、自然と優劣が付けられてしまう。そんなことを避けるためだったかもしれない。バリ島の人たちは地方によって違う祈り方やしきたりを、おおらかに受け止めているという。

ロンタルの話を聞いたとき「日本も昔は似たような状態だったんだろうな」と思った。だって、神社って、謎だらけなんだもの。

中学の歴史で、和銅五年(712年)に太安万侶が古事記を編纂したと習った。古事記を口伝したのは稗田阿礼だったと、試験勉強用のノートに書き写したことも覚えている。このとき、なぜ太安万侶が古事記を編纂しなければならなかったのか、その理由を歴史の先生はこう説明した。
「当時為政者に都合のいい歴史にすることで、日本を統一しようとしたのです」
こう聞かされて中学生の僕は「それってずるいんじゃないか?」と思った。そして、都合の悪い歴史はどうなってしまったのかと訝った。

それから少しは大人になり、立場によってものの見え方が違い、解釈が違うことを知ると、いよいよ古事記や日本書紀が日本にとって大切だったことを知る。きっと明治以降、帝国主義にまっしぐらだった日本にとって記紀は、それ以前よりさらに重い意味を持つようになっただろう。特に第二次世界大戦の直前には、そこに書かれている内容の真贋を問うことなどまったく不可能だったと思われる。それが日本人の意思を統一させ、戦争に一直線に突き進むための道具の一つになった。

1974年3月、ルバング島で小野田寛郎さんが発見された。陸軍少尉として戦地ルバング島に赴き、戦後29年が経っても武装解除せず、密林の中で次の命令を待ちながら持久戦を続けていた。当時は大変評判になったが、その小野田さんが日本書紀とは異なる伝説の伝承者だった。それを作家なかひらまいが、名草戸畔(なぐさとべ)という女王の伝説を集めているうちに知ることとなる。軍人魂の権化として評価された小野田さんが、実は記紀とは別の伝承を保持していた人だったとは、なんとも歴史における皮肉である。おそらく小野田さんは、名草戸畔にまつわる伝説と自分の状況とを面白可笑しく書かれることを嫌ったのだろう。名草戸畔に関するインタビューには帰国以来一切答えなかったそうだ。

『名草戸畔 古代紀国の女王伝説』著者、なかひらまい。

なかひらさんの書いた『名草戸畔 古代紀国の女王伝説』には、どのようにして名草戸畔という女王の伝説を知り、なぜ小野田さんにインタビューできたのか、事細かに書かれているのでここでは重複しない。本文だけならこちらで無料でダウンロードできるようになっている。ひとつ言えるのは、とにかく不思議な縁でその物語をたぐり寄せたということだ。まるで名草戸畔が現代に降り立ち、なかひらさんを導いて、物語の復活をさせたのではないかと思わせる展開があった。

秘密は時に問題を生み出すが、その秘密を持ち合う者同士は深い絆で結ばれていく。伝承の内容がどんなものであれ、真実を追い続けるのはとても大切なことだ。一方で、多くの人が日本という物語を共有することで、そこを素晴らしい国にしていこうとする意志も大切なことだ。その両方を矛盾なく受け止めるというのは理性的に考えると難しいことかもしれない。しかし、日本もかつてはバリ島のように、多くの矛盾を抱えながら多くの人が生きていた。それでいいのだと思う。

なかひらさんの作品は、なぜか神社に深い造詣を持つ人たちに支持されている。神社の本質が深い森にあるからだろうか?

 

スタジオ・エム・オー・ジー『名草戸畔 古代紀国の女王伝説』のサイト
http://www.studiomog.ne.jp/kodaishi/index.html