『SARAVAH 東京』こんにちは。- 12 - 写真家の時代、時代の写真家、
ロベール・ドアノー。

(2011.02.07)

2011年1月10日に堀江敏幸さんの翻訳したロベール・ドアノーの『不完全なレンズで―回想と肖像』(月曜社)の刊行を記念して「ドアノーの写真家人生」というイベントを『SARAVAH 東京』で開催しました。

2011年1月10日「ドアノーの写真家人生」@SARAVAH 東京。

たくらみ人は大竹昭子さんです。年末のある日、「ねえ、そういえば、ピエール・バルーはドアノーと緒方拳のドキュメンタリーフィルムを作っていたわよね。」という彼女の言葉から始まりました。その映画『時と時刻』の上映会と、堀江さんのトークをしたら面白いのではないかしら。という企画者、昭子の提案です。ここいらへんの彼女の嗅覚というか、ひらめきがすごいのです。何がすごいかと言うことをこれからお話しします。

 

飛び石をトントンと……

『郊外へ』(堀江氏の処女作。白水社刊)その中でドアノーの写真に触れている➞堀江氏のパリの郊外への強い関心➞ピエールはパリ郊外ルバロワペレ出身➞ ピエールとドアノーは親友であった➞ドアノーの処女写真集は『パリの郊外』➞自分は堀江氏と知己である➞ピエールと私、潮田あつ子とも長年の友人➞堀江敏幸氏とピエール・バルーを結びつけたら化学変化がおきるかも……

という思考の飛び石を、マレルのように軽快に飛んで サークルが彼女の頭にできました。「そうだ、面白い。これやりましょうよ。」私も以前からすごく気になっていた作家、堀江さんとトークならきっと素晴らしいのでは、ともちろん大賛成。

普通、文学の会は文学人ばかり、音楽、映像も同様、表現形態の違う世界の人々が交わり合うことはあまりないのです。でもこの3人(作家、写真家、歌手)は大竹さんのセンスのおかげで見事につながって、写真と郊外、という素材を通してドアノーという写真家の書いたたった一冊のエッセー集を語る、という会の屋台骨ができました。

写真左より堀江敏幸さん、大竹昭子さん、ピエール・バルー。

 

不思議な作家

堀江敏幸という作家の文章は私にとって、とても不思議です。風景や状況のじみーな描写がまるで落ち葉の敷き詰められた公園のようにあって、まあきれいだけれど一体どこに行けって言うのかしら、と思い始めたころ、ちいちゃな落ち葉にふと暗号が書いてあるような気がして、好奇心にピピッと信号が来ます。これはもしかして……、とまた道を続けると、また、違う合図らしきものが、そうやって彼の公園を順路のままにたどっていくとやがて白昼夢のような世界に誘いこまれてなかなか出て来られなくなります。そのやり方が実に、憎い。

『不完全なレンズで―回想と肖像』月曜社刊、2310円(税込)

うまい作家はいろいろいるけれど、不思議なのはそのせいではありません。私は『郊外へ』(白水社)という本を読みましたが、パリの郊外に詳しくない(つまり99%以上の)読者は洪水のように出てくるカタカナの街の名前や日本語訳のまずないローカルな作家の名前にうんざりするのではないか、と、私ならハラハラしてしまうのです。

しかし、たぶん彼はそんなことにはおかまいなく、じゃんじゃん、不親切に書いてあります。それでどこに連れて行かれるかというと、郊外の(東京で言ったら川向う)のアウトローすれすれの変な人や、労働者、パッとしないカフェでの交わした言葉に出会います。そこで主人公(私)は、政府の給付留学生、つまりインテリ、エリートの学生のはずなのに、そういう片隅でひくひく生きている人間たちと同じ目線で混じっているのです。これが私の感じる不思議さです。

ドワノー撮影、カフェのカップル。左に写っているおじさんに注目が集まりました。

インテリが、ハンパもののことを書くとき、寺山修司さんがボクサーのことを書くとき、温かい人間性を感じますが、書く人と書かれる人の間に何というか、地位の違いがあります。都築響一さんが場末のスナックのママを取材するときはジャーナリストとしての人間観察や、愛情がたっぷり感じられますが、これまた、対象物と書く人の間の関係、というのが感じられます、しかし、堀江さんの世界では、一緒になっちゃってるのです。対象物としての人間たちではなく、書割の舞台に中にご本人も入って演じているのです。思わず、それは違うでしょ!あなたはエリートあっちとは住む世界が違うでしょうが。嫉妬の気持ちで言いたくなるのです。

ドアノーは郊外 “banlieue”(バンリュー)の人々を撮影した。

ある人はタレントや国会議員と知り合いなのが自慢の種だったりしますが、ある人にとっては、アウトローや芸術家と知り合いなのが、自慢の種です。たとえば「自分は公務員だけど浅草でストリップやってる友人がいるのよ。」みたいな自慢したい気持ち、また、その知縁に対して変な所有欲があります。ストリッパーの同業者なら平気ですが、ほかの固い商売の人から、「ああ、おれもその子の友人だ」。などど言われると、嫉妬を感じます。あなたのような、こんなきれいな文章を書けるような、インテリが、ハンパモノの世界にはいれるわけないでしょうが。ということです。しかし作家は平気で、まったく違和感なく、かえって気楽そうにしています。彼の中には自慢も気取りもなく、ただ隔たりがないのです。それが新時代のインテリなのでしょうか?

 

実は不思議なドアノー

ドアノーと私たちが知り合ったのは1988年のことです。娘さんのフランシーヌをまず紹介されて、ピエールが昔からドアノーの写真が好きだと言ったら、じゃあ今度ご飯を食べましょう。と言って我が家に家族でやってきました。それ以来、毎週どちらかの家でご飯を食べたり、一緒にバカンスを過ごしたりの友人になりました。

ドアノーが撮影したブレーズ・サンドラール。

ドアノーはすごく気さくでユーモアいっぱいの江戸っ子という感じで、人を笑わせるのが好き、威張った人が大嫌い。徒党を組むのも嫌い、シンプルで、ひたむきに生きている庶民にすごく愛情を傾けていました。けれどナイーブではなくてちょっとひねくれて、おどけて、斜に構えるようなところがありました。

 

人柄を裏切る文章

そんなドアノーがある日、一寸照れて、「本が出たんだよ。」と持って来てくれました『不完全なレンズで』でした。ずいぶん前の事なので、内容は忘れてしまったのですが、今回、堀江さんが訳したものを読んで、変だな。私の知っているドアノーに似ていない。と思いました、ピエールも新たに原文で読んで、違和感を覚えた、と言います。こんな難解な文章を書くはずがない。と。

もったいぶった言い回しやひねくれた物言い。彼だけがたぶん知っている人物たちを使ったあてこすりや暗喩。まったく訳がわかりません。翻訳された堀江さんもかなり苦労されたようです。

そこで昨年末から年初にパリに行ったついでに私は自らフランシーヌに聞きに行ったのです、「あの本は誰が書いたの? お父さんじゃないでしょ?」「とんでもないわ、お父さんよ、彼は文章をいつも書き続けていたのよ、特に晩年はよく書いていたわ。日本人のあなたには難しいのわかるけど……。」私は「それ以前の問題よ。フランス人でもわからないわ」と言いたかったのですが、彼女を傷つけてしまうような気がして、それ以上聞きませんでした。そうか、彼の文章なのかあ。ぜんぜんちがうなー、私に知っている明朗で闊達なあの方とは……

さて渋谷の『SARAVAH 東京』でトークの日、読後の感想を求めた大竹さんの質問にいみじくもピエールが言いました、「文章を読んで、私は今まで知っていたドアノーと全く違うドアノーがいるのを発見した。」と。なるほど、人間の多面性ってすごいな~。写真で表現する彼と、実際にしゃべる彼と、まったく違う文章を書く彼がいるのだ。

人間ロベール・ドアノー。ブレーズ・サンドラールに見出され、アルドレ、ジャック・プレベール、ルイ・アラゴン、アンドレ・ブルトン。などなど20世紀の名だたる作家たちと親しく交わった彼は写真家として彼らと同レベルの評価を得たのであるが、実は誰にも言わず文章を書いていた。もしかして彼はひそかに作家になりたいと。願っていたのでは、とまで思わせるような、ひっかかりのある文章の書き方です。散文詩として読めばわかる。というのが掘江さんの意見でした。確かにそう思って再読したらとても面白かった。

 

プレベールの継承者としてのバルー

ピエールの人生を決定させたのが映画、邦題『悪魔が夜来る』の中で歌われているジャック・プレベールの歌だ。少年の日偶然家の下のある映画館『エデン』でこのシーンを見て衝撃を受け、生涯を映像と言葉と音楽で時代の証言者となる決意をする。実際、彼の人生でやってきたことはまさにプレベールのやってきた仕事の継承であった。今回のイベントで堀江さんは認めました、「音楽と言葉と映像を結びつけたアーティスト、プレベールの継承者としてピエール・バルーは考えられるのではないか。」と。プレベールと言えば、シャンソンの『枯葉』の作詞で有名です。しかし日本ではそのことに隠れてしまって、彼が『天井桟敷の人々』やアニメ作品『王様と小鳥』、演劇や映画の脚本作家だったことや、『パロール』はじめ多くの詩集を出したこともあまり知られていない。けれど、1900年に生まれたプレベールは映画や写真と自分の言葉の世界を結びつけ、また歌に言葉と映像を結びつける、という仕事をした人だ。

ピエール・バルーの仕事は有名な『男と女』の主題歌の作詞と歌、そして俳優としてしか多くの人には知られていないが、彼は多くの歌の作詞、演劇の演出、脚本、映画監督としていくつもの作品を作っている。そして今やヨーロッパで最古になってしまった完全に独立したインディーズレーベル、”SARAVAH”のプロデューサーでもある。

それではピエール・バルーの仕事の歩みを1年かけて『サラヴァ東京』で分析、紹介していきましょう。と、大竹さんと私は決めました。

ピエール・バルーの映像と言葉、音楽の世界の探訪が始まります。

 

 

SARAVAH 東京

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大竹昭子さんのホームページ http://katarikoko.blog40.fc2.com/