『カンディンスキーと青騎士』展開催。20世紀初頭、革新的芸術運動を起こした青騎士たち。

(2011.01.14)
ジョサイア・コンドル設計の「三菱一号館」が復元され、昨年4月美術館として開館。日本初の近代的ビジネス街の第一棟としてレンガ造りで建築された、歴史も趣もある建造物。Photo by Takashi Homma

「私たちは、年鑑を創刊しようと思います。それは、今日のすべての新しい真の理念の道具となるべきものです」
(1911年アウグスト・マッケがフランツ・マルクに宛てた手紙より)

「青騎士」の会員たち。ミュンヘン、アインミラー通り36番地のバルコニーにて。カンディンスキー(中央)率いる「青騎士」結成の頃。芸術世界の無限の自由と可能性を夢見る。
ガブリエーレ・ミュンター=ヨハネス・アイヒナー財団蔵 Gabriele Münter-und Johannes Eichner-Stiftung, München

この年鑑の名は『青騎士』。それは「20世紀芸術の最も重要な網領的刊行物」とも言われ、芸術の都ミュンヘンでおきた革新的芸術運動のことを指す。抽象画で今もなおモダンアート界に影響を与え続けるヴァシリー・カンディンスキーというひとりの画家を中心に、ガブリエーレ・ミュンター、アレクセイ・ヤウレンスキー、マリアンネ・フォンヴェレフキン、フランツ・マルク、アウグスト・マッケ、パウル・クレーらにより結成されたものだ。

眼に見える形や既存の価値観、世を支配する社会意識にとらわれず、精神的なもの、もしくはもっとその奥の純粋物を自由な色彩とフォルムで伸びやかに表現することを目指した運動であった。それは、新しいものや知らないことへ怖れを抱く人間の習性から派生した世情の激しいバッシングも受けはしたが、決して動きは留まることなく、さらなる解放を求めて強く進化していくこととなる。

「青騎士」は、第一次世界大戦の開戦で幕を閉じることを余儀なくされ、実質のところ約3年余りの活動となった。だが、読み解いていくほどに、それは重き3年間であり、10年ほどの歳月が流れているようにも感じられるものだった。大戦前夜とも言えるこの一瞬にして走り抜けた時間。多大なコレクションを所持するミュンヘンのレンバッハハウス美術館の協力のもと、「カンディンスキーと青騎士」と題され、東京・丸の内に佇む三菱一号館美術館にて展覧会が開催されている。「青騎士」に関しての本格的検証は、日本ではこれが初めてのこととなる。

1911年ミュンヘン、「青騎士」の登場は事件だった。

カンディンスキーはロシアに生まれ順調に大学へと歩を進める人生を送っていた。がしかし、彼はモスクワのボリショイ劇場でリヒャルト・ワーグナーの「ローエングリン」を観た際の共感的な響きの印象を受けたこと、そしてクロード・モネの「積み藁」を観た時、印象派の光によって解体され描かれた対象が、何か分からなかったことへの衝撃が、30歳を目前に人生の舵を大きくきり、芸術の世界へ航路を変えていくきっかけを作った。

芸術学校での講師時代、教え子でもあるガブリエーレ・ミュンターとの運命的とも言える出会いから、その航路は色鮮やかに明確さを持っていくこととなる。そのとき既にミュンヘンに妻のいた彼は、同じ地に住むことに難を感じ、彼女と逃避行の旅を始めた。その旅路で出会うゴッホやマティス、ゴーギャンなどから、多大な影響を受けたことはその時代の画風が物語っている。

カンディンスキーの強い薦めによりミュンターは別荘を購入することになった。自然豊かな避暑地「ムルナウ」にて。現在も「ミュンターハウス」と呼ばれその姿を世に残し、後に「青騎士」の膨大な作品をナチスの追手から隠し守るための重要な役割も担う家となった。ここでのカンディンスキーとミュンターが自然とともに過ごしたひとときを今展では重きをおき、ひとつの見せ場として構成されている。

ヴァシリー・カンディンスキー《ムルナウ―家並み》、1908年、レンバッハハウス美術館蔵 Städtische Galerie im Lenbachhaus und Kunstbau München
色彩によるコントラストと響き合いで光や造形を表現。風光明媚なムルナウ滞在の初期の頃。青騎士活動の出発点となる。

ムルナウで、カンディンスキーは町の人々からも影響を受け、民衆芸術とも言えるプリミティブであり祈りの象徴でもある聖母画などを集め部屋に配していった。依存にも似た対象の神ではなく、もっと素朴なところに端を発する祈りとの触れ合い。そこに啓示的な何かを感じ取っていくカンディンスキー。その感覚は今後の活動への導線ともなるべく大きな転換期だったようにも思えてならない。この頃、カリスマ的魅力をも持ち合わせていたカンディンスキーに共感した仲間も、彼の周囲に集まり始めていた。

次第にカンディンスキーは既存の概念や目に見える対象から、自らを開放することを始めた。視覚や旧式の思考からより自由になり「印象」そのものを色の持つエネルギーと共に、キャンバスにうねらすように描く(インプレッション)。視覚、聴覚、嗅覚などの五感を開放した後さらに、その奥を模索するように(カンディンスキーはそれを内的必然性と言っている)、言わば内的印象を「即興」で表現をする(インプロビゼーション)。

ヴァシリー・カンディンスキー《印象Ⅲ(コンサート)》、1911年、レンバッハハウス美術館蔵 Städtische Galerie im Lenbachhaus und Kunstbau München
シェーンベルグのコンサートにて聴覚からの印象を黄色を用い周囲にまき散らさんばかりに描いている。

 

ヴァシリー・カンディンスキー《即興 19A》、1911年、レンバッハハウス美術館蔵 Städtische Galerie im Lenbachhaus und Kunstbau München
五感からいったん開放され、内なる印象を湧きおこるままに描く。記憶も、安心も不安もすべてそこにはある。

かの稀少な名作となる「コンポジション」シリーズの主だった作品が、この後に誕生をした。自らが内的必然性と呼んだもの、そこから波のようにおきてくるままに絵筆を走らせたカンディンスキー。次第に出発点となる起源も、具象化するための主題をも手放すにいたった。もはやそこには何もないままに始まり終わる。いかなる強制力も持たず、ごく自然と自ずから生じたのだと。

ヴァシリー・カンディンスキー《〈コンポジションVII〉のための修作2》、1913年、レンバッハハウス美術館蔵 Städtische Galerie im Lenbachhaus und Kunstbau München
ミュンヘン時代における最大の作品。同シリーズは戦後も数点描かれたが頂点と呼ばれる作品はこの時描かれたもの。

これらは、見る側によって与えられる印象は様々であり、ある者は最後の審判を見、またある者はノアの箱船を見たという。それは、全くの自由な受け取り方で千差万別でいい、答えというものは存在しない。まるで鏡であり、自分の抱いた印象(思考)がそのまま映されているだけのように。コンポジションが配された今展覧会場でも、子供はその前ではしゃぎ楽しみ、大人は理由もなく元気がわいてくるともいう。

もうひとつ、このカンディンスキーに魅せられた一派により当時の美術界へ革命を与えた「青騎士」の展覧会が、今ここでの開催に至るのに、語るべき女性がいる。それはガブリエーレ・ミュンターだ。勿論、本当に多くの要素により成り立っていることも事実でありその全てが必然的でここに書き記したくもあるが、それは展覧会に足を運びぜひ感じていただきたい。

ヴァシリー・カンディンスキー《ガブリエーレ・ミュンターの肖像》、1905年、レンバッハハウス美術館蔵 Städtische Galerie im Lenbachhaus und Kunstbau München
カンディンスキーの描いた唯一の写実的肖像画。師カンディンスキーから影響を受けつつもミュンター独自の画風を確立したという。

カンディンスキーが彼女と運命的な出会いを果たし、一気にひかれあい恋に落ち、いや、それは男女の愛だったのか、師弟の愛だったのか。そのはざまを行き交い、苦悩のぎりぎりのところで互いに影響し合い、ひとつの志のために、そこへ向う動力ともしていった。女性としてなんの保証もない関係が続く中、彼女はどこかで待ち望む心も持っていただろう。結果、その期待の終着点には到達できなかった。むしろ裏切りとも感じる絶望の底へ落とされた。

しかし彼女は死の間際に、この青騎士の美術コレクション(その中にはカンディンスキーの作品も80点ほど)をミュンヘン市へそのまま寄付をしている。この寄付により、市からレンバッハハウスへと流れ、一気に美術館としての価値を上げることとなった。ナチスの統治下時代、ムルナウの自邸地下室にてひたすら隠し持ち続けたミュンター。ひとりの女性が抱いた師への愛は、人間ゆえに男女の愛へと転換し、そして恋し合った。彼女はひとりの男性としてカンディンスキーを求めたことから悲しみも同時に生まれ、苦しみの淵を味わいながらも、その後の美術史上重要となっていく絵画コレクションを守り続けたのだ。

ガブリエーレ・ミュンターはじめ、多くの応援者、そして反論者、激動の時代、場所、その他のあらゆる要素が相まってこの事件を構成していることを重ねて書く。新しい考え方というのはいつの時代も人は怖れを抱く。そしてその怖れすら凝視できない人の弱さから、正論をかざし無意識に新しい訪問者を排除しようと争いをおこす。それでも、自分も同時に強い社会的非難をあびるだろうにも関わらず、カンディンスキーに共鳴し、信じ続けた仲間がいたこともゆるぎない事実だ。それは「信頼」という名の「勇気」であり、外部に対象物を持たない(依存しあわない)、自分の内にこそ信頼の光を強く見出した者だけが放つことのできる純然たる人の力ともいえよう。カンディンスキーが描いた内なる真の姿なのかもしれない。「神(救世主)は、我が内にあり」の言葉の如し。

20世紀初頭、時代の大きなうねりの中、この地球上で人間が人間に向って打ち放った「革命」という名の一打だった。

第一次世界大戦勃発を機に泡のように生まれ消えた「青騎士」運動。その後カンディンスキーは、現在名を馳せている抽象画群を生み出していくこととなる。そこから、大きな影響を受けた日本人の芸術家たちも少なくないという。

〈参考文献〉
レンバッハハウス美術館所蔵「カンディンスキーと青騎士」展 図録

 

レンバッハハウス美術館所蔵 『カンディンスキーと青騎士』展
会場: 三菱一号館美術館
会期:開催中〜2011年 2月 6日(日)
開館時間:水・木・金曜 10:00~20:00 火・土・日曜 10:00~18:00
入場閉館の30分前まで
休館日:月曜日(祝日の場合は翌日火曜日休館/1月31日は開館)
(この後、愛知県美術館、兵庫県美術館、山口県美術館を巡回予定)
この機会にレトロな景観を残し、よき日の丸の内を彷彿させる三菱一号館界隈を楽しんでみてはいかがだろう。

 

左・中/カフェ。文明開化を思わせる空間は二層吹き抜けの開放感。カウンター席では夕食前のアペリティフを楽しむことも。午後のひとときには有機珈琲がほっと落ち着かせてくれる。
右/ショップ。北イタリアを拠点に美しいモノに呼ばれて世界を渡るディレクターのもと集まる多彩な品々は「ストーリー」を持つことがコンセプト。目線の自由さと感性が光るセレクション。Photo by Takumi Ota

次回予告
「マリー=アントワネットの画家ヴィジェ・ルブラン」展
華麗なる宮廷を描いた女性画家たち

2011年3月1日(火)~ 5月8日(日)