土屋孝元のお洒落奇譚。桜にまつわるエトセトラ、
奏楽堂の幽霊?

(2011.04.23)


奏楽堂の前庭にあった八重桜の事。
ソメイヨシノが終わり、山桜や大島桜の葉の香りを楽しみつつ、そして、いよいよ、八重桜の季節がやって来ます。この八重桜で思い出すのは、学生時代、奏楽堂の前庭にあった八重桜の事です。

この奏楽堂とは、明治時代に作られた日本最初の西洋式 木造音楽ホール、重要文化財 旧東京音楽学校奏楽堂のことですが、僕たちの学生時代には、教室とアトリエとして使っていたのです。今思えば大変贅沢な環境でした。その教室で課題の制作などをしていたのです、デザイン科と工芸科は、何組かに別れて、課題を消化するのですが、僕は、源氏物語絵巻などを、芸大いや東京美術学校の大先輩、「横山大観」先生や「小林古径」先生が写した模写原画を和紙の下にひきながら、トレース(トレースとは少し違いますが、下の先生方の模写原画の上に和紙を乗せ、その和紙をパタパタとめくりながら写していくのです、原画に傷をつける訳にもいきませんから。)して絵巻模写を仕上げるような課題を制作していました。デザインの授業らしくはないのですが、今では大変に役立ったと思っています。芸大時代、きちんとデザインの勉強をした事がなかったのかもしれませんね。当時、奏楽堂は白いペンキで塗られ、ちょうど百葉箱の様なイメージですか、百葉箱:昔の小学校には、何処にでもありました、おわかりになるでしょうか。ペンキの剥げ具合がいい感じで ピカピカにキレイすぎても様にならないのです、その剥げ具合の風情と八重桜がマッチして、アメリカ南部のコロニアル邸宅の様で 僕のお気に入りの場所のひとつでした。



デザイン科の写真の授業では、その奏楽堂の裏庭の外階段や、なぜか、たくさん置いてあったボートなどとの風景写真を撮り、自分で現像していたのです。「チェリー・ブロッサム」と言う言葉がよく似合う風景で、八重桜の季節には その当時の事とともに思い出されます。ここで奏楽堂にまつわる、今風に言うと都市伝説をひとつ、夕方ごろから夜まで、制作で教室やアトリエに一人で残っていると奏楽堂の階段下からピアノの音が聞こえるとか 聞こえないとか、というのです。僕は聞いたことはないのですが、まことしやかに昔の音楽学校の学生さんが戦地で亡くなり、奏楽堂でピアノをひいているのだとか、滝廉太郎の幽霊だとか、噂がありました。

 
 


芸大まで足を伸ばした時には、必ず。



もう時効なので、話しますが、奏楽堂の中廊下はスケートボードをするのにちょうどよく、友人達とよく遊んだものです。もう一ヶ所、学内にて八重桜が咲いていて風情があったのは、通称、体育小屋と呼ばれた赤レンガ造りの体育の授業のための建物です。体育と言っても野口式体操という、変わった体操の授業でした。「ぶらぶら体操 野口式」でお調べいただければわかります。

今は保存修復科の教官室とアトリエになっています。その建物の事は、詳しくは知らないのですが、明治時代の建築物でしょう。窓には鉄製の雨戸のような鎧戸があり、蔵の防火扉のようでもあり、赤レンガとの相性が素晴らしく絵になる建物です。

卒業した今でも、上野へ展覧会に出かけた時などには、上野公園内に移築された奏楽堂、(自分的にはあの色はどうかなあ? と思いますが、防火のための事もあるのでしょうから、一概には意見は言わないほうがよいでしょう。)や赤レンガの保存修復科の建物を見たりしています。

上野に出かけ、芸大まで足を伸ばした時には、必ず寄るお店があります。そのお店は、上野桜木の桃林堂です。ここでお抹茶をいただきながら、和菓子を楽しみます。お土産には五智菓という砂糖漬の果物や野菜のお菓子(セロリ、レンコン、ゴボウ、にんじん、なす、金柑、生姜、イチジクなどあり、お抹茶のお干菓子としても喜ばれます。桃林堂の五智菓は上野桜木以外には、青山店、銀座松屋にて購入できます。)を買って帰ります。

桜にまつわるエトセトラでした。

桃林堂
http://www.tourindou100.jp/