土屋孝元のお洒落奇譚。写真展『夜明けまえ 知られざる写真開拓史』を見て考える。

(2011.06.06)

『ベッティナ・ランス展 MADE IN PARADISE 女神たちの楽園 セレブたちの美しき幻影と気品』を恵比寿の東京都写真美術館にて見て、併設開催されていた『夜明けまえ 知られざる写真開拓史』という写真の歴史展にも目を通す。ベッティナ・ランスについてはここで述べるまでもなくフランスを代表する女性写真家です。僕も彼女の撮影した女性誌の表紙をいくつも覚えています。女性に対する独特の視点で撮影された写真には、見るものを驚かす仕掛けが多いのです。シャネルの香水の映像など、女性の目線にて表現されていて香りの映像化表現としては参考になるものでした。

写真の印画紙の大きさ、プリントサイズも作品を見る上では重要になります。このランス展では、1.2×1.2m、1.2×1.5mぐらいのサイズでした。最近ではカラー、モノクロームとも大判サイズの紙焼きが可能になり写真表現も現代美術に近づいています、現代美術作家、写真家の杉本博司さんの海景シリーズや歴史的人物のポートレイトシリーズなど、プラチナプリントの完成度の高さには驚かされます。

 

完成度の高い歴史的人物のポートレイトシリーズ。

プラチナプリントについて:昔からのモノクロームのプリントはゼラチンシルバープリント:塩化銀にて感光し画像を浮き立たせています、その塩化銀の代わりにプラチナを用いて感光させる技法です、プラチナ白金は科学的に安定度が高く、黒からグレーの色調が無限に表現でき、黒のしまりが良いので、現在考えられる最高のプリント技術の一つです。アンセルアダムスの山を撮した風景写真、アービングペンの花の静物写真、リチャード・アベドン、ロバート・メープルソープ、ブルース・ウェーバーの写真、など、など、ミュージアムコレクションの多くの写真は、この技法を使用しています。

それにしても、歴史上の人物のポートレイトとは、肖像画は現存していますが、例えば、シェークスピアの肖像画が残っていて、それに忠実に蝋人形が造られ、その蝋人形を8×10のカメラにて撮影し、プラチナプリントにて再現する。この8×10のカメラとはフィルムサイズが8×10サイズのカメラですね。今のデジカメとは違い撮影感度があまり良くないので被写体は静止状態を要求されるわけですが、蝋人形にはまさに適任です。高精度もデジカメと比べても情報量では、8×10カメラのほうが優れているといわれます。

国宝「那智滝図」と同じ構図の写真に感嘆。

このサイズのカメラは、学生時代の修学旅行など集合写真を撮ったあの、カメラの大判です。
映し出されたシェークスピアはこれが本物と思わせる仕上がりで、何も知らない人が見たら、違和感なく見過ごすモノでしょう。それが、また上手いのですが、杉本作品をいろいろ見せていただいたなかで、根津美術館収蔵の国宝「那智滝図」と同じ構図にて撮影された那智滝の写真を平安時代のやや窶れた軸装に表具して軸にしたモノなど、感嘆しました。杉本さんもお茶をされているとか、見たてのセンスでしょうか。

金沢21世紀美術館にて展示された、海景シリーズは円形の部屋に世界中の海景の水平線のモノクロームプラチナプリントを配し、その中央には十一面観音立像を置く、展示でした、この海景シリーズは縄文人の見た海の原風景とか、空と海が ほとんど、グレーの濃淡にて表現されています。

噂によると、モエヘネシーグループやエルメスの役員会議室には杉本博司さんの写真が掛かっているそうです。いまや、欧米では現代美術作家といえば、Hiroshi Sugimotoをさすのだそうです。

先日、友人の楽園写真家・三好和義氏より聞いた話です。杉本さんの三十三間堂の千体観音立像を自然光撮影された作品がありますが、自然光による撮影なので約一ヶ月以上かかったのだとか。三好氏も三十三間堂の千体観音立像の撮影を申請したところ、一日で撮影して下さいと言われ、アシスタントを100人近く配置して、ストロボ(HMI:Hydrargyrum Medium-arc Iodide)を100台炊いて撮影したのだとか。ストロボ撮影時には一台でも光量が足りないと全体が台無しになりますから、100人アシスタントは必要です。この三好和義氏の作品は昨年銀座和光にて開かれた楽園写真展にて拝見いたしました。

三好さんは楽園写真集『極楽園』(日経BP社)も発売しています。

杉本さんは10年近く前から周到な根回しをして撮影されたと聞きました。昨年も高松宮文化賞受賞の講演を聞かせていただき、その知識の幅広さ、深さに感心いたしました。建築にもかなりの造詣が深く普請道楽とおっしっていました。いまは直島にガラス製の100mワンレーンのプールを造り、夏至と冬至に方向を合わせてガラスプールの水面から日が登り、夏至と冬至の日の出と共に泳ぎたいと……。ただ、建築費が高くスポンサーがまだ見つからないと。そんな話をされているときは少年のような顔でした。

映像として残された自分の顔にも責任を持つ。

本題に戻り 写真の歴史展では、ガラスの表面に観光材を塗りそのガラス板の表面を露光させた初期的な写真や銀塩写真には、江戸末期の武士達、有名なものでは幕末の志士や、大名や芸妓さん、吉原の有名な遊女、歌舞伎役者など、写っているのです。こうして見るとなんだ浮世絵と同じか、と。歌舞伎役者、遊女、芸妓さんのブロマイドですか、街で噂の人を一眼見たいという大衆心理、今も昔も変わりないものです。

話を戻し、幕末の志士達を見ているとみんなかなり若いのに、それなりの面構えをしていて精神年齢的にはずっと上に見えます。いまの自分が未来において残った映像にて見られたら、さて、どうでしょうか。いま、想定外と言う言葉が多く使われています、想定外とは、想定を超えたと言う事でしょうか。人間が作ったものや自然に対してあまりにも予測が過小評価ではないのでしょうか? いつから人間は自然を超えたのでしょう、地球上に生活するものとして謙虚に生きて行こうと思います。そして映像として残された自分の顔にも責任を持ちたいと思うこの頃です。

東京都写真美術館
http://www.syabi.com/