土屋孝元のお洒落奇譚。秋らしい乾いた空気の澄んだ日、
炉開きの稽古茶室にて。

(2013.11.26)

砂金袋型水指。故夏目有彦作京焼きの水差、金にて宝づくしの絵柄があります。一般的には水指拝見はないのですが、珍しい水指やこれをお披露目に茶会・茶事を開いた場合には拝見します。

炉開きは、茶の正月。
待合には杜牧の漢詩よりの書。

今日は炉開きということです、茶の正月とも呼ばれ、おめでたい趣向です。待合に見立てた画廊には「千秋萬歳捧聖君」の墨跡と「霜葉紅於二月花」の書。これは杜牧の漢詩よりとのこと。以下原文

遠上寒山石径斜
白雲生處有人家
停車坐愛楓林晩
霜葉紅於二月花

遠く寒山に上れば石径斜めなり
白雲生ずるところ人家あり
車を停(とど)めて坐(そぞろ)に愛す楓林の晩(くれ)
霜葉(そうよう)は二月の花よりも紅(あか)し

霜にうたれて色づいた葉は夕日に照らされて、
いちだんと紅(あか)く、
二月の花(梅?)よりも、もっと紅かった。

今月から霜月ですから、霜つながりでこの漢詩かなと。

拝見、練香は『山田松香木店』の「玄妙」。

お稽古の茶室にてまずは炭手前をお客様に見せる、拝見。最後に練香を炭に近い灰に置き、香りをたたせます。こうするとゆっくりと香りが立ちます、炭に直接乗せると練香が焦げるので乗せないように注意して、練香は京都の『山田松香木店』の「玄妙」です。

このあと待合にてしばし休憩、お茶室へ入る前にひえぜんざいをいただきます。師匠お手製のぜんさいは、甘さも程よくぜんざいにヒエモチが入り、美味しくいただきました。茶室へは草履を脱ぎ、躙り口に揃えて裏を合わせて立てかけます。

この草履はお稽古の前に靴下から足袋に着替えているので草履を使います。躙り口から茶扇子を前に入れ、にじるように席入りします。床の間の正面まで能の歩き方のように すり足で進み、両足を揃えてから座り、茶扇子にて結界を作り、一礼してから軸を見ます、この時、両手の先だけを畳につけたまま、拝見です。

軸は山頭火の俳句、
「このみちをたどるほかない草のふかくも」に菊の絵が描いてあります。


棗。薄茶の時だけこう呼びます、菊尽くし棗、高蒔絵、溜め塗仕上げ。

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次に水指、釜の拝見です。炉開きには香炉は織部のようですね、炉縁は黒柿に金漆の秋草蒔絵、水指は尾形周平作巾着型または砂金袋型と呼ばれる共蓋の京焼で金の宝尽くしの絵柄が青とも緑ともつかない綺麗な釉薬に絵付けされています。この色は長板にのせたほうが茶室には映えるでしょうね。少し改まった茶の湯ではこの長板を使うことが多いとのことです。

釜は現代作家(名前は失念しました)の作で鐶付はみみずくの意匠です、棗(なつめ)は高蒔絵の菊尽くし、利休型大棗で江戸期のもので作者は不詳、長く使われて黒漆も透けていい味を出しています。


茶釜。ミミズクの意匠がついた新しい感覚の釜。

お茶碗は御本手。
松平不昧公箱書き、銘は「寸奈すな」。

お茶碗は御本手と呼ばれる江戸中期から末期の茶碗です、松平不昧公箱書き、銘は「寸奈すな」、この茶碗の肌を表しています。この御本手茶碗とは江戸期に日本の茶人が朝鮮で焼かせた茶碗で、高台を高く、見込みをつくり、茶の湯のための見所満載の茶碗です、ろくろで深めに作られた茶碗は井戸茶碗よりも口が狭く縦に長くお茶も冷めにくいと感じました。肌にはよく見ると釉薬の加減により鹿のまだら模様のようなものが見えるところがあります。


御本茶碗。江戸時代の作で詳細は不明、縦長でお茶が冷めずこの時期には相性が良いですね、箱書きは松平不昧公銘「寸奈すな」

こういう肌の粗い茶碗では茶巾で清める時にも清めているように見せてなでるように清めます、実際に茶巾で清めると茶巾が肌に引っかかり清めにくいのです。お茶を立てるには立てやすい茶碗でした、茶筅が底に当たると音がするので気をつけないといけません。ふれるか触れないように茶筅を振りお茶を立てます、茶杓は大徳寺の今の住職作、もうだいぶ前の作だそうです、銘は「雲片せっぺん」使いやすくおおらかな佇まいの茶杓でした。

こういう茶杓や炉縁などのお道具は大徳寺が部分的に改修工事をする時に古材として再利用されるそうです。日本では昔からリサイクルして、新しい道具をつくり出していたのだなと思うと嬉しくなります。

●ひとこと解説

玄妙:京都『山田松香木店』の練香で伽羅、沈香などの天然の香木を使っている。お茶では炉の時に練香を使うのが一般的で風炉では香木を使います。お茶室でこの香りが立つと個人的な印象ですが、一瞬、時間がワープしてここは何処かと思うことがあります。

大徳寺:臨済宗大徳寺派大本山で龍寳山室町以降一休宗純が復興し一休に村田珠光が参禅して以来、侘び茶と関係が深く、武野紹鴎、千利休、小堀遠州などと関係が深い。利休居士が山門を増設時に利休居士の像を安置したことに秀吉が怒り、利休切腹になる原因をつくったとか、お茶にはゆかりの禅寺。