深瀬鋭一郎のあーとdeロハスベネチア・ビエンナーレに思う。
大国パビリオンの世相批判(後篇)

(2011.11.02)

4カ国12都市を走り回っていました。

前編から後編の執筆まで大変時間が開いてしまいました。今年は5月以降、飛行機に14回、長距離列車に9回乗って、4カ国12都市を走り回っていたために、腰を落ち着けて執筆する時間がとれませんでした。2回ずつ滞在したスイスと韓国のアート事情については、別の機会にご紹介したいと思います。

企画展には83作家が出品。
日本人はゼロ。

さて、今回のベネチア・ビエンナーレの企画展には83作家が出品しています。先進国の美術家に占める女性比率の高まりや、キュレーターが女性であることを反映してか女性が多く、テーマを反映して、今を体現する若手作家も目立ちましたが、西洋美術史重視のためか、非欧米系は少なく日本人はゼロでした。

ベネチア派をはじめとするルネサンス美術がもたらした「光」などの要素は、現代へどのように発展していったのか。ルネサンス期の都市国家群立の中の各国美術シーンの相互関係が、現代世界の群立する国家間でのアート・シーンの相互関係と類似しているとすれば、そのことは今後の美術史にどのように作用するのか。このように考えてくると、「日本のガラパゴス化」をテーマのひとつとして、手描きアニメーションをインスタレーション展示した束芋(タバイモ、日1975-)の『てれこスープ』(日本館)以外に、日本の美術家が参加していないことは必然でしょう。キュレーションの文脈に乗っていないのです。なんといってもガラパゴス化している訳ですから。

しかしながら、中国、韓国をはじめとするアジア諸国が存在感を示す一方で、日本と言えば、過去によく言われた「Japan Passing」どころか「Japan Nothing」となっており、筆者もギャラリーやビエンナーレ会場で何度も「韓国人ですか?」と尋ねられ、「日本人だ」と応えると、がっかりした顔をされるのは、とても残念でした。

なお、企画展部門の金獅子賞は、クリスチャン・マークレー(Christian Marclay、米1955-)の映像作品。ティントレットの「光」は、現代では「映像」として現われている、という見立てでしょうか。確かに、オマー・ファスト(Omer Fast、イスラエル1972-)、ピピロッティ・リスト(Pipilotti Rist、スイス1962-)など映像作品は多く、特に後者は、ベネチアの風景をモチーフにしたそれぞれ異なるビデオを、暗闇の中で壁面に飾られた3つ額縁の中にループ上映するもので、キュレーターの意図をそのまま形にしたような作品でした。


各国パビリオンでは大国の展示が圧倒的。

国家パビリオン部門では過去最多の89カ国が参加しています。米、日、独、仏、英、ロシア等のパビリオンが集まるジャルディーニ会場の一角は、多くの観客で賑わっていました。常設館を持たない小国の多くは、アルセナーレ会場の建物の一部屋や、主会場外の市内各所の民家で展示をしており、タイ館のナウィン・ラワンチャイクン(Navin Rawanchaikul、タイ1971-)、複数作家によるバングラデシュ館やイラク館のなど面白い展示もありました。

注目すべき若手美術家に与えられる「ベネッセ賞」を受賞したのは、アルセナーレ会場の建物で展示したアルゼンチン代表のアドリアン・ビジャール・ロハス(Adrian Villar Rojas、アルゼンチン1980-)です。『Las Mariposas Eternas』(永遠のバタフライ)と題する、地中から掘り出された古代彫刻のように見えるアニメーションに出てくる未来ロボットにキャラクターがの搭乗しているような造形の粘土彫刻です。この作品を「オタク的記念碑」と評する外人がいましたが言い得て妙ですね。


国家パビリオン部門の「金獅子賞」は、ドイツのカルト的フィルム製作者兼パフォーマンス・アーティスト クリストフ・シュリンゲンジーフ(Christoph Schlingensief、-2010)のインスタレーション「A Church of Fear vs. the Alien Within」を展示したドイツ館に授与されました。作家自身が残したプランに基づく展示で、現代の光=映像に偉大な業績を残し昨年惜しくも他界した作家へのオマージュとなっています。ドイツ館の入口の上方に記された「GERMANIA」(ラテン語でドイツの意味)の文字が、「EGOMANIA」(「自我狂の国」)に書き換えられ、入口に向かって左側に大きな注釈ボードが建てられています。中に入ると、教会のようなしつらえになっており、正面にはFluxusオラトリオのステージが設営され、その両側など館内の随所に彼が制作したフィルムがループ上映されています。


このタイトルは、1993年に第45回ベネチア・ビエンナーレのドイツ館で展示され、やはり金獅子賞を受賞したハンス・ハーケ(Hans Haacke、独1936-)の名作「GERMANIA」の元歌取りになっています。「GERMANIA」はナチス・ドイツが踏みにじった床板を展示して、ファシスト党が文化政策の場としてベネチア・ビエンナーレを活用し、現在の4部門の形に拡充したことを指摘する作品でしたが、「EGOMANIA」で展開される社会批判の数々も相当なもの。作家の病んだ感性とともに、全館で全開です。

観客からの評価が高いアメリカ館。
コラボレーション・デュオ『アローラ&カルザディーラ』に注目。

ドイツ館と並んで、多くの観客からの評価が高いのが、同時代の美術動向を紹介したアメリカ館です。過去の展示に比べれば珍しくも、中堅のコラボレーション・デュオ『アローラ&カルザディーラ』(Jennifer Allora、プエルトリコ在住の米国人1974- & Guillermo Calzadilla、キューバ1971-)、による『Gloria』というタイトルの展示です。

彼らは1990年代後半以降のアメリカ美術のひとつの方向性であった「パフォーマンスを行うための舞台装置を、パフォーマンスとともに展示する」動向の代表的な作家です。日本でも『アトミックサンシャインの中へ -日本国平和憲法第九条下における戦後美術』展(ヒルサイドフォーラム、沖縄県立美術館、佐喜間美術館、2008-9)に出展していたので、その作品を観覧した方も少なくないでしょう。

同じ動向に属する他の作家たちと同様に、彼らの作品には、世相批判や時事的な見解が込められ、それが観客に効果的に伝わるよう、多くの場合、一発ギャグ的なユーモアで包んであります。この動向は、筆者も15年前から面白い動きだと思いフォローし続けてきたもので「ついにアメリカを代表する美術動向のひとつとして紹介されるに至ったか」という感慨があります。

壮観なのは、イギリス軍の戦車を逆さにして、その上にトレッドミル(ルームランナー)を設置し、その上をアメリカのトップ・レベルの陸上選手に走らせる『Track and Field』(陸上競技)。ランナーが走るとキャタピラーもガラガラ音を立てて回るという、歴史的ケッサクです。残念なのは米国防総省の理解が得られず、イギリス軍の戦車を使わざるを得なかったところです。米軍の主力戦車M1A1/A2エイブラムズを逆さにして走りたかったですね。

「Body in Flight (Delta)」と「Body in Flight (American)」は、競争関係にある米航空会社2社(デルタ航空とアメリカン航空)のビジネスクラスの座席を模して着彩した木彫の上で、それぞれ男性と女性の体操選手が、鞍馬などの体操プログラムを演じるもの。長距離フライト中の運動不足解消にはもってこいですね。ほかにも自由の女神が日焼けマシンで日焼けしている「Gloria」とか、ATMとパイプオルガンが連動した「Algorithm」といった面白い作品があります。


フランス館はボルタンスキー、
イギリス館のマイク・ネルソン。

フランス館は、「Chance」というタイトルで、クリスチャン・ボルタンスキー(Christian Boltanski、仏1944-)の個展を開催しています。死者の写真をモチーフとして使用する彼の昔ながらの作品に比較すれば、全くあっけらかんとして明るいのが特徴です。「選ばれたことはチャンスかもしれないし、そうでないかもしれない。」という、会場に掲示されたボルタンスキー自身の解説文はとても含蓄深く、このタイトルは「好機」というよりはむしろ「偶然に」(by chance)というニュアンスで捉えるべきかと思われました。

館の中央ホールでは、沢山の赤ちゃんの写真が輪転機の様な仕掛けで回っており、時折、輪転機が止まって、観客は一人の赤ちゃんの写真を観ることができるようになっています。両側の小部屋には、誕生数をカウントしていく電光掲示板と、死亡数をカウントしていく電光掲示板がそれぞれ展示され、生と死のサイクルの隠喩ともみられます。奥の小部屋では、大人の顔の写真を、目元、鼻まわり、口元に3分割して、組み合わせをどんどん変えていく「Being A New」(2005)という作品が展示されています。子供の顔は偶然の組み合わせで決まるとか、死者の顔は子供の中に生きて行く、というような意味にも受け取れまるかもしれません。

イギリス館では、インスタレーション作家のマイク・ネルソン(Mike Nelson、1967-)が「I, IMPOSTOR」と題して、17世紀頃建てられた砂漠を旅する商人のための宿であった建物に古い工具や写真を持ち込み写真工房に変容させた、2003年の第8回イスタンブール・ビエンナーレでも発表したインスタレーションを拡張再制作しています。パビリオン全体をみすぼらしい迷路のように入り組んだ室内に改造しており、元のパビリオンの姿が分からなくなるほどの作り込みようです。入館制限を行っていることから、長蛇の待ち行列ができています。

ロシア館では、1990年代から世界的に広まっていき、日本でも大きく盛り上がった「参加芸術」(participatory art)について、アンドレイ・モナストリャスキー(Andrei Monastyrski、露1949-)らが1976年に結成した「Kollektivnye Deystviya」(Collective Actions Group)の先行作例を紹介しているのが目を惹きました。20世紀末から21世紀にかけて「目新しいもの」として登場してきていた、作家の独白などを記載したバナーを中央や背景に用いるインスタレーションは、既にこの頃から存在していたのですね。



関連企画は極めて多数

主会場内の企画展、国別展は回りやすいので大体みられますが、主会場外の国別展示は市内に散在しているので、回れるところだけ回ることになります。関連企画は市内の美術館、ギャラリー等で多数開催されていますが、それらの多くは、主会場からゴンドラやヴァポレットで移動しないと辿りつけない距離にあるので、残念ながら、筆者は4つの展覧会しか回れませんでした。

そのうちのひとつは、宮島達男(1957-)のデジタル・カウンター作品や、遠藤利克(1950-)の墨の作品も含むグループ展「パーソナル・ストラクチャーズ」(Personal Structures)。壁面インスタレーション作家であるルネ・リートマイヤー(Rene Rietmeyer、蘭1957-)によって2002年に開始された、時間・空間・存在に係る作家個々人の捉え方を紹介する国際アート・プロジェクトです。例えば、マリーナ・アブラモヴィッチ(Marina Abramovic、ユーゴスラビア1946-)の、女性がロバが静かに対面し続けるというビデオ作品など、面白い作品が並んでいました。


 

いやあ、今回のビエンナーレも、アートでお腹いっぱいでした……是非、ご自身の眼でもご覧になってください!

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