破格な「写真事件」を体感せよ!
『篠山紀信展 写真力』

(2012.09.28)
山口百恵 / 1977

約50年にわたる写真家活動を精力的に続けている篠山紀信さんが、はじめての美術館での個展『篠山紀信展 写真力 THE PEOPLE by KISHIN』を開催、約120点の作品を一挙に展示します。プロデューサーで編集者の後藤繁雄さんがその見どころについて寄稿してくださいました。




さていよいよ、10月3日から東京オペラシティアートギャラリーで、篠山紀信展『写真力 THE PEOPLE by KISHIN』が開幕する。熊本市現代美術館でスタートした「初の」国内美術館展の東京展である。そう書くと意外に思われる方も多いにちがいない。篠山紀信といえば、あまりにも有名だし、写真のキャリアも50年以上にわたる。それがなぜ、今初めてなのか。それは、篠山さんが美術館は「写真の死体置き場」 にすぎず、写真家は、つねに時代の新しい事態を撮るメディアでなければならないと考えてきたからだ。いやそれ以上に、写真は「作品」にとどまるのではなく、「事件」になるべきだと思ってきたのだろう。一方、美術史の文脈を形成させるキュレーターたちも、「写真界最大のトリックスター」篠山紀信を、どのようなコンテクストで語りうるのか。つかまえあぐねてきたのが正直なところなのだ。


こう書く僕自身、数年前まで篠山さんの写真の凄み、魅力あふれた人間を知らなかった一人である。しかし今は、彼ほど日本写真の分野(いや世界の中でも)で、ユニークなポジションの人はいないと思う(そう思って、写真集や今回の写真展のプロデュースをさせていただくようになりました)。さて、では篠山写真の特質と今回の「写真展」が発する「問題提起」のポイントについて書いておこう。今、篠山紀信について語ることは、実は「写真の未来」と深く関係していると思われるからだ。


ジョン・レノン オノ・ヨーコ / 1980
現代美術の世界で最もスリリング、
写真の圧倒感を感じよ。


まず第1に、「写真はメディアである」ということの再考である。写真というアートフォームは今、コンテンポラリーアートで最もスリリングな分野だ。それはデジタルという事態をむかえて、「拡張」(これも写真なの?)と、「ルーツの再考」(原点探し)の2つの方向が活発だからである。新しい作品が生まれるということは、 同時に今までの歴史も再編され、書き直されることでもある。この10月にロンドンの美術館、テート・モダンでウィリアム・クラインと2人展が行われる森山大道も、2000年を超えた時点での、「コンテンポラリーアートとしての写真」という新パラダイムシフトのなかで、再編・再発見された存在と言ってよい。重要なのはアートヒストリーへの、コネクティング接続なのだ。


写真がデジタルに総シフトするなかで、森山とはベクトルは異なるが、篠山紀信が浮上する。篠山紀信はこの50年以上にわたり、「メディアの顔」を撮り続けてきた。今回の「写真力」は、アイドルや女優、政治家など、「時代の顔」として残る日本の有名人のポートレートで構成されている。有名人の代表的なイメージの大半を篠山紀信は撮影し続けてきたのだ(いや、今も撮り続けている)。これは篠山個人が「作品」として撮ろうとしてもできないことである。時代やメディアや被写体が、篠山紀信に撮られることを望まないかぎり、このような50年にわたる写真の集中はありえない。単に「有名写真家に撮られたい」ということとはわけがちがうのだ。また、たとえ篠山紀信が、希代の「天才」であるとしても、「天才」だからできるわけでもない。篠山写真の評価はウヤムヤになり、「今日」を迎えた。このことに他の 多くの写真家たちは気づくべきだろう。篠山紀信を成立せた「写真の特性」とは何なのかと問うべきだ。


かつてこの領域につっこんだのは中平卓馬であった。彼が「写真とは何か」について考え、格闘したあげく、篠山紀信の写真に接近したことの意味が、ここで再び浮かび上がるだろう。1976年に出た『決闘写真論』は、ある意味「メディアとしての写真の特性を、篠山に発見した」と言うべきものだが、その重要な論点は、中平のアクシデントにより、40年 近く「封印」されてしまったと僕は思う。結果、篠山写真の評価はウヤムヤになり、「今日」を迎えた。篠山紀信の50年におよぶ仕事を今後誰も超えること はできないだろうが、それ以上に篠山の写真の特性に接続できる者が現れるか。ぜひ若き写真家諸君! 展覧会会場へ行って写真力のシャワーをあび、考えて欲しい。

AKB48 / 2010
吉永小百合 / 1988


それから第2に、美術館という場の空間力×写真力の意味について考えて欲しい。今、写真は本格的にアートの時代をむかえた。多くの写真家たちが、「頭脳プレイとしての写真」に走っていたり、工芸品化してアートマーケットや美術館に色目を使っているのとはまるで違い、篠山紀信が今回の展覧会で行っているのは、ストレートな「写真の巨大化」である。これは別に、ベッヒャースクール(ルフやグルスキー)らが巨大化により、アートマーケットで勝負できるようにしたのとは異なり、「写真とはイメージそのものであり、大きさなどない」という、「写真の生々しさ」をむきだしにするものと言える。「写真の圧倒感。写真ってスゲー」ということを健康的なまでにストレートに伝える。写真をありがたそうに美術館に飾るのではなく、「アートの異物」として挿入する。その企ては痛快ですらある。


ともあれ、まるで回顧展などではないこの破格な「写真事件」を体感しに、東京オペラシティアートギャラリーへ向かえ!!

坂東玉三郎 『籠釣瓶花街酔醒』八ツ橋 / 1999
市川海老蔵 『船弁慶』平知盛の霊 / 2007
三島由紀夫 / 1970
宮沢りえ / 1991
Vladimir Malakhov / 1998
Manuel Legris / 1999
大友瑠斗(9) 大友乃愛(7) / 2011

『篠山紀信展 写真力 THE PEOPLE by KISHIN』

会期:2012年10月3日[水]─ 12月24日[月・祝]
会場:東京オペラシティ アートギャラリー
開館時間:11:00 ─ 19:00(金・土は11:00 ─ 20:00/いずれも最終入場は閉館30分前まで)
休館日:月曜日 (祝日の場合は翌火曜日)
料金:一般1,000円(800円)、大・高生800円(600円)、中・小生600円(400円)
主催:公益財団法人 東京オペラシティ文化財団、読売新聞社
特別協賛:ジャパンリアルエステイト投資法人、NTT都市開発株式会社
協賛:キヤノンマーケティングジャパン株式会社
協力:相互物産株式会社、松竹株式会社
企画協力:後藤繁雄事務所+G/P gallery
問い合わせ:東京オペラシティ アートギャラリー tel. 03-5353-0756

実物大の作品を使って展示実験中の篠山紀信 / 写真提供:東京オペラシティ アートギャラリー