ぶろぐちようじの書棚 - 5 - ネット社会で企業はどうすればいいのか? を問う『ザッポス伝説』

(2011.05.31)

30年ほど前、僕が大学生だった頃、友達がファミリーレストランでアルバイトをしていた。ある日彼女に会うと「私はあのレストランでは絶対食事しない」という。「なぜ?」と聞いたら、そのことに答えるのも嫌だという。根掘り葉掘り聞いて行くと、そのレストランでは食べ物をきちんと食べ物として扱っていないのだという。そして、それ以上のことは答えてもらえなかった。

そのとき、どんな嫌なことがあったのか結局わからなかったけど、ただひとつはっきりしていることは、それ以来、僕はそのレストランチェーンに近づくことはなくなったということだ。最近になって気がついたのだが、繰り返し行く飲食店の特徴は、店員がそこで働くことを楽しんでいること。店員が目の前の客に対してサービスできることを喜べる質を持っているお店でなければ、何度も行かない。

自分の会社が扱っている商品を、胸を張って自慢できるというのはどういう状態だろうか。きっと会社内に嘘や問題があったら、どんなにいいと言われる商品を扱っていても自慢しにくいだろう。つまり、その会社内のコミュニケーションが完璧に近い状態でないとそれは難しいのではないだろうか。特にインターネットが発達し、多くの人がネット上でコミュニケーションし、うわさがあっという間に広がる状態ではなおさらだ。

会社の理念の何が好きか?
『顧客が熱狂するネット靴店 ザッポス伝説―アマゾンを震撼させたサービスはいかに生まれたか』(ダイヤモンド社)に登場するザッポス・ドットコムは社員がネット上で、会社の理念の何が好きかを語る。そんな会社がどうやってできてきたのか、どうやってその状態を保とうとしているのか、そんなことが『ザッポス伝説』には書かれている。

ザッポス・ドットコムのコアバリュー(核となる価値)は以下の10点だという。

1.サービスを通して「ワオ!」という驚きの体験を届ける
2.変化を受け入れ、変化を推進する
3.楽しさとちょっと変なものを創造する
4.冒険好きで、創造的で、オープン・マインドであれ
5.成長と学びを追求する
6.コミュニケーションにより、オープンで誠実な人間関係を築く
7.ポジティブなチームとファミリー精神を築く
8.より少ないものからより多くの成果を
9.情熱と強い意志を持て
10.謙虚であれ

これらのことを価値として認める会社は日本にもあるだろうけど、それらをきちんと実行して、しかも社員がそれを自慢している会社となるとあまりないのではなかろうか。この会社のCEO、トニー・シェイのしていることは、これまでの企業文化に対する革命だと思う。

新日鉄ソリューションの人事部長、中澤二朗さんの著書『「働くこと」を企業と大人にたずねたい―これから社会へ出る人のための仕事の物語 』(東洋経済新報社 )には、現代の問題として「三つの喪失」をあげている。失われた三つとは「生き甲斐」「つながり」「企業活力と暮らしの土台」だ。これらはどれも誰かが悪いとか、何かが悪いとか、明確に決めるすべがないのでやっかいだ。これら失われた三つがザッポスにはあるようだ。

どんなマーケティング理論でも、会社が消費者に対して何かのアプローチをする。つまり社内と社外が分断されているのだ。会社に働いている人と消費者が、同じ人である可能性についてはほとんど考えない。しかし、実際には同一人物が、あるときは従業員であり、あるときは消費者であることを指摘したのが『コトラーのマーケティング3.0』(朝日新聞出版)だ。ネット社会では、その考え方が非常に大切になる。ネットの発達によって、社内と社外のコミュニケーションが、どんなに止めようとしてもどこかでなされる。中国が情報統制しようとしても難しいのと同じだ。日本の多くの会社は中国と似たようなことを静かにやっている。社内で起きたことをもしネット上に書いたらどうなるか、想像すればわかるだろう。しかしそれでも、漏れていく。

「社員を幸せにすること」

ネット社会が広がることで、人の考え方がかつてとはかなり変わってきた。それに深く気づくかどうかが、これからの企業がうまくいくかどうかの分かれ目になってくる。ザッポスのCEOトニー・シェイが、ザッポスを運営するにあたり、第一に掲げたことは「社員を幸せにすること」だった。そして、そのことをあきらめない。倒産の危機に陥っても、その目標は見失わなかった。そこに社員がついてきた。

多くの人が集まれば秘密も生まれる。それは仕方ないことだった。しかし、それでもなお、幸せを作るために秘密を手放そうと努力する企業が、これからは伸びるのではないだろうか。企業内に秘密のない会社は、それほど誠実に運営されているということだ。いままでにはなかった誠実さが、これからは必要になってくると思われる。なにしろネットにつながっている社員が、いつでもその会社の内部を見つめているのだから。

2月に拙著『図解 わかる!マーケティング』(ダイヤモンド社)を出版した。10年前に出した本の新版だ。この10年でマーケティングの考え方はその基盤を変えてしまったようだ。その変化はなかなか文字にしにくい。たとえば30年前に「地球環境なんか気にしなくていい」と言っても、たいして問題にはならなかった。いまではきっと「こいつ馬鹿じゃん?」と思われる。文献だけ調べると地球環境についての研究はたくさんあったので、すでに問題だと思われていたように感じるかもしれないが、社会の雰囲気は違った。いつの間にか常識が変わったのだ。同じようにマーケティングも、10年前と今のマーケティングは、似たようなことを訴えているかもしれないが、その話を受け止める基盤、社会の考え方が全然違う。そのことに繊細でいられるかどうかが、これからおこなおうとするマーケティングを左右するだろう。