『SARAVAH 東京』こんにちは。- 5 – こんなにあるんですか? 規則が。

(2010.11.08)

渋谷文化村通りにあるクロスロードビルの地下に、私たちがフランスでやっていたような音楽イベントができるレストランバーを開く準備をしています。

かつてフランスのSARAVAHでやっていた『サラヴァの夕べ』というイベントは月曜日の劇場(借り賃が安いので)で開いたり、地方でやるときはゲリラ的に路上でやって、おまわりさんが来ると解散したり。と、かなりハードボイルドな世界を楽しんできましたが。それは、アーチストに寛大で規則を曲げることが国民的スポーツ、というお国柄なのでできたこと、かえってそのワイルドさがフランスのお客さんの喝采を浴びていましたが、今回は何といってもお堅い国の、しかもビルの1フロアを借りる。ということで、消防やら衛生やら、遵守しなくてはいけないことがたっくさんあります。(ということを発見しました。)

調理器具は入れたし場所はなし、頭を付き合わせるスタッフ。ライフアンドシェルターの建築士2名(田中さん相澤さん)の左にソワレさん、右にシェフの古田一州さん。

また、音楽をするとき、近隣の静かにしていたい人達の迷惑にならないか、と神経を使います。いやあ、この大都会、東京で店を張る、というのは大変なことです。しかし世界で最もホットな街の一つ、世界の渋谷です。これは、がんばってクリアーしなければ。

キッチンも油脂が流れないようにする「グリーストラップ」なるものや、水を床に流せる設計など。また人が多く出入りするので換気のダクトや火災の場合の避難路や防火、防煙など、まったくそのようなものが世の中に存在すると夢にも思わなかったものや名前、次々出てきます。

人数によって排出する空気の容量を計算して排気ダクトを設置する。使う電球のワット数によって出る熱量を計算してエアコンのキャパを決める。でも、一体何人の人が一度に来るのだろう? スーパースター出演したら、200人位人が入るのかしら、でもふだんは10人位かしら?ま ったく予想がつきません。10年に一度200人が詰めかけるとしてその時のために200人用の換気ダクトを入れるべきか、いやどんな人気のショーでも100人以上は入れないように入場制限するのか。

今年みたいに熱い夏に、照明器具をばっちり点けるイベントがあって人が100人来たらどのくらいの熱量を出すのかしら。11月の雨の晩にお客が3人だった場合の熱量は? 考えれば考えるほど、どこに焦点を当てたらいいのか、わからなくなります。で、安全に越したことはない、といろいろ備えると、フロアー中にお手洗いと換気扇、天井にはエアコンだらけになってしまう。これじゃ人が入る隙間がまったくない。ってことになります。キッチンでも、やっぱり、フライができる機械や皿洗い機、は欲しいよね。とか、きりがありません。でも最低これだけは、というオーブンに冷凍庫、ワインセーラー、ビールサーバー、製氷機、コールドテーブル、ビールグラスやワインクラスを入れる棚、お皿は何枚? あれあれ、180㎡の空間がどんどん、家具や荷物でふさがっていきます。一体これは物置か、空調屋さんのショールームか? 楽しくお酒飲む人たちや音楽を聴く人はどこにいればいいの?

苦悩する設計士さんの手。

どうしよう!! 毎日建築士の相澤さんとパズル遊びをする子供のように、限られた面積にいかに必要なものを小さく詰め込むか、頭を抱えている状態です。しかし今のうち頭をカチカチにして、悩んで、工夫して解決させないと、店が始まったら楽しく、自己規制も社会の規制もしばし忘れるオアシスを作れるように、開店まで残された40日でなんとか乗り切らないとね。

 

店の名前はキャバレー?

店の名前を決めるときにこんな内容で、という構想をアップリンクの主催者。浅井さんに相談したら、それはキャバレーだよね。という話になりました。

実は私たちは1984年から約15年間『ラストチャンスキャバレー』と言う音楽芝居をやってきました、1994年にはお隣さんの『Bunkamura』でも公演をしたのですよ。もともとはチリからの政治亡命者たちが中心となってパリでやっていた『テアトル・アレフ』という劇団があって、赤貧洗うが如し、の貧乏劇団でしたが、そのエネルギーと笑いに魅了されて、ピエールは演出家、音楽監督としてボランティアで参加することにしたのです。その書き下ろし1弾目が『ラストチャンスキャバレー』。

『ラストチャンスキャバレー』の面々。このパワー、このへたうま。
筆者も一役者として出てました。

劇団は糊口をしのぐ為、週末に演劇ワークショップを開いていたのですが、そこに来る講習生たちを役者として使っちまったのが大成功しました。プロの誇りを傷つけられた、と去っていった役者もいましたが、残った連中は面白さに病み付きになりました。何しろまったく声の出ない人やひどい大根、そんな高校生から70代のいろんな人々が、さまざまな「とちり」をしながらも、くそまじめに演ずるのがおかしくて観客も、大喜びです。へたっぴなだけだったらおかしくないのですが、うまいプロの役者がそれを逆手にとってフォローするものだから、ネガがポジになってしまう。

神父さんの好意で最初は教会の物置きで始めたのですが口コミが幸いして6ケ月のロングランになりました。そのうち、「あそこにいけば、いい役者がいる」と言う評判さえ立って、演劇界やテレビ局の人たちがヘッドハンティングにくる場所にさえなりました。おかしかったのは『太陽劇団』や『コメディフランセーズ』のいわばエリート役者が見に来て、盛んに、「あの俳優はどういう芝居をしているのだろう、あれまで迫真の演技は見たことがない。」とまったく自信を失った様子でいたことです。笑っては失礼なのですが、それはまったくの素人で、せりふがしどろもどろの人のことを指して言っていたのです。

そう、なんでも飲みこんでしまう。いろんな意味でのキャバレーでした。あるときなど、教会の物置きだったので、間違えてホームレスのおじさんが芝居の真っ最中に入ってきて、ステージに乗ったかと思うと、手を出して主演の役者に「悪いが金を少しくれないか」というのです。役者は1瞬ぽかんとしましたがそこは鍛えられた反射神経。芝居の中に組み込んでしまいました「やあ、ジョルジュ、おかみさんは元気かい。今夜はハーレー彗星の通る晩だから気をつけて帰るんだよ。」と言ってポケットからコインを出して手ににぎらせました。そのとき何の魔法がかかったのか、ホームレスさんは理解したのです。芝居だと言うことを、そして、驚くべきことに参加したのです。「ああ、そうだったな、おまえも気をつけな。」とせりふを返し、二人は肩を叩き合いながら、出て行きました。わかっている私たちは息を呑んでいました。あとでお客さんたちは、「あの浮浪者役の人は演技がすばらしかった、いい役者ですな」などど話し合っていました。

そう、何でもあり、舞台に乗った瞬間にすべては真実ですべては芝居になる、そんな魔法のあるキャバレーだったのです。

 

で、渋谷に戻りますと

ううん、でも昭和生まれの私としてはキャバレーというとなんだか怪しげなお兄さんが客引きして、サラリーマンがお客でホステスさんがいて……という誤解をされたらどうしよう。円山町も近いし、と心配になりました。確かにヨーロッパで言うと「キャバレー」、しかし、日本語でいうと「寄席」の意味です。今で言うと「イベント」かな?

歌や漫才、ジャングラーやら踊り、次々出てくる感じですね。うん、ですから内容的にはキャバレー。でも、わくわくするような寄席でもあり、才能のインキュベーションの場でもあるのですから、いっそのこと、その道の猛者であるサラヴァの名前をそのまま生かして使うことにしました。さらばぁ、というのもなんだか変で面白いと思ったのです。「こんにちは東京」なのに「さらばぁ東京」あれ? というおとぼけが、いたずら好きの私たちにあっている気がしました。

 

 

 

『SARAVAH 東京』のホームページがオープンしました!
 http://www.saravah.jp/tokyo/