天才・藤沢秀行の遺伝子が小学生プロ棋士を生んだ。

(2010.03.05)
中央が藤沢里菜さん。テレビゲームも好きだが、プロ試験の前は控えていたとか。好物はお母さんの作るロールキャベツ。理詰めの印象のある囲碁だが、算数は苦手。photo / MACH
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里菜さんの中に生きる
「秀行塾」の精神

小学生の女の子が今年の4月にプロ棋士になる。藤沢里菜さん、小学校5年生だ。
もちろん11歳6ヶ月でのプロ昇進は最年少記録。そのことに加えて注目されているのが、父が藤沢一就八段、祖父が故藤沢秀行名誉棋聖だということ。藤沢秀行名誉棋聖は囲碁界の大スター。囲碁に対する壮絶な努力の一方で、破天荒な生き様で世に知られた、カリスマ的棋士。事業にのめり込んで大借金を負ったり、天井から蛇がぼとぼと落ちてくるような幻覚を伴うアルコール依存症と闘ったりしながら、棋聖位を6連覇するなど、エピソードには事欠かない英雄として知られる。

書の大家としても知られ、晩年、厳島神社に「磊磊」という文字を大きな1枚板に一発勝負で揮毫した見事な書を奉納している。ちなみに遺骨は本人の希望でその厳島神社に散骨されている。

まだ小さかった里菜さんは、おじいちゃんのことはあまり覚えていないという。ただ囲碁を打つ姿は見ていた。
「囲碁のお合宿とかでのおじいちゃんは、厳しい先生でした」
合宿とは通称「秀行塾」と呼ばれる、国内外を問わず若い騎士を集めて研鑽する。若手に肩や背中をもませながら、棋譜を検討する姿をテレビで見た人も多いはずだ。

 

雑誌の連載で語っていた
秀行さんの碁の姿勢

秀行さんは誰の門下であろうと、どこの国の人であろうとお構いなしに、自分の碁を教えたり、その人の碁を見て助言をしたり、熱心な指導を続けていたことは有名だ。

しかし若手を鍛えるということは、自分の敵を増やすことでもある。
10年以上前、ある雑誌に連載していた秀行さんは、秀行塾についてこう語っている。

「ばかだとか、損するじゃないか、なんて言われたこともありますけどね。私はそれでいいと思っているんです。うまい碁打ちが出てきてくれれば、ありがたいことだと思うんだ」

秀行塾の様子についても語っている。

「お行儀はね、まあ言いますよ。それとやはり碁を打つ時のマナーっていうのはきちっとしていないと。
 
私のこの家に来ても、合宿の時でも、たとえば1時から、仮に5時半までやっても、みんな正座で聞いてますよね。行儀には喧しいんです。碁を打っているとき、勉強している時とかね。
 
褒めるって言うのは……まぁ仮に10年来てても一階も褒められたことがないのもいますし、褒められたといっても1回や2回でしょうね。立派な碁を打ったとか、いい手を打って私に褒められたとかいうのは」
 
そして強くなる人、怠ける人については、立ち行かないのを不況のせいにする経営者に例えてこう続ける。
「大体ね、そういう人は努力が足らないよ。全部とは言わんけど、怠けてるんだよ。仕事を怠けているからそういうことになる。碁打ちなら碁を怠けているからそういうことになる。(中略)もう駄目だなぁ、と思う前に怠けているんじゃないの。そういう人がほとんどなんじゃないの。(中略)怠けててもね、結構勝ったり負けたりするんだよ。で、勉強してても、勉強したから勝てるってもんでもないんだよ。だから怠け癖がついちゃうんだね、適当にできるから。ところが何年か経つと、どんどん差が出てきます」

 

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遺言「強烈な努力」を
実践して夢はタイトル

そんな天才の血を引く少女は何を思って碁を打っているのか?
 
里菜さんが碁を始めたのは6歳の頃。3歳年上のお兄ちゃんがやっていたのがきっかけ。その後、韓国出身の師範、洪マルグンセムさんの洪道場で手ほどきを受け始めてからめきめき強くなった。その当時の里菜さんと打ったことがあるアマチュアで囲碁愛好家の柴田寿さんは言う。
「1年生のときに打たせてもらって、1勝1敗だったかな。でも次の年にはこてんぱんに負けました。とにかく打つのが早い。考えてるの? と思うくらいの早さで打ってくる」
 
囲碁を始めてわずか1年の小学1年生が、いくら道場で研鑽を積んでいるとはいえ、アマチュアでもかなりのレベルの打ち手をあっさりと負かせてしまうとは、伸び盛りの子供の成長のスピードには驚くばかりだ。
 
道場に入ってからわずか4年でプロ棋士になってしまった理由はどこにあるのだろうか?
「最初は置き碁で道場の人と打って、練習しながら強くなりました。詰め碁とかも勉強しました」
 
あっさりと言う里菜さんに「小さい頃はもっと遊びたいことあったんじゃない?」と聞くと、「囲碁が楽しかったです」。里菜さんにとって、囲碁は最高の遊びだったということか。

「おじいちゃんからは勧められてはいませんでしたが、始めてほしかった感じでした。でもまだ小さかったので強制的にはやらされてなかったけど」
 祖父の秀行さんについて聞くと「おじいちゃんは、すごい人だと思う」という言葉が返ってきた。
「覚えている言葉は、有名ですけれど、病室で遺言として習字で書いた『強烈な努力』という言葉です」
「それを守っている」と里菜さんはこともなげに言った。

 

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基礎を磨くため待った、
これでも遅いプロ入り

囲碁の勉強は棋譜並べ、詰め碁、対局、検討で1日6時間くらい。学校から家に一回帰ってから、すぐに道場に行き、夜の9時頃まで勉強する。
 
プロの前段階である院生になったのは1年前の10歳のとき。わずか1年で院生卒業の理由を、小さい頃から指導をしていた道場経営者の新城衛さんはこう説明する。
「実はもっと前から強かったのですが、あえて院生に入れなかったんです。院生になると土日が全部対局でつぶれてしまう。でも、そこでもっと基礎を勉強したらより伸びる。まだいろいろ教えたい部分がありました。じっくり3年間基礎を積んだから、院生に入るときにはもう基礎で教えることは何もありませんでした」
 
4年が長いですか? と新城さんに聞くと「僕らと時間の進み方が違いますからね」と笑った。
 
里菜さんには勝ちたい人がいる。日本棋院に所属し名人、本因坊、棋聖の女流三冠で昨年、民主党の小沢幹事長と対局したことでも知られる謝依旻さん。里菜さんが破るまでは14歳4ヶ月での女流としての最年少プロ入り記録を持っていた。
「謝依旻さんに勝ちたい。勝って女流のタイトルが獲りたい」
 里菜さんにそういわせるものは、誰にも負けない勉強。
「囲碁の勉強は棋譜を並べるのも詰め碁も厳しいんですよ。でも文句ひとつ言わずにやったのがすごい」
 
里菜さんが好きなスタイルは、大石を取って勝つこと。地を取りながら戦って、読みで勝ったときはうれしいという。英雄のDNAがどんな花を咲かせるのか? 囲碁界が面白くなってきた!