松田美緒、ヤヒロトモヒロ、ウーゴ・ファトルーソ、大成功を収めた南米ツアーが日本へ。松田美緒が、初来日ゲストを迎えた夢の公演が実現!

(2010.09.29)

夢を見た。南米大陸を突っ切って向こうの海までつながる、一直線のまぶしい道を、大勢のミュージシャンと行進していた。ウルグアイの打楽器カンドンベのリズムが響く、美しくも不思議な夢だった。

それは、4カ月後に現実のものになった。大西洋の港ブエノスアイレスから、ウルグアイ、アンデス山脈を越えて、太平洋側のチリまで、公演旅行したのだ。事の始まりは、4月のある日。国際交流基金のエネルギッシュな女性、前田さんが「単なる日本文化の紹介ではなく、現地の音楽と混じり合うような公演をしてほしいんです」と目を輝かせて、オファーをくださったのだ。

それまで、私はポルトガル語圏の音楽を中心に歌っていたけれど、ベネズエラツアーなど素敵な音楽交流の末、「クレオールの花」というアルバムをほぼ全曲スペイン語で仕上げた。「クレオール」は、インディオ、白人、黒人など混ざり合った人種、文化、言語を指し、スペイン語の 「クリオージャ」は「新大陸生まれの」という意味を持っている。様々なルーツが混じり合い、織りなされた南米大陸は私を魅了してやまない。この混血の大陸には、とてつもないエネルギーと愛情があり、それが音楽として花開き、「歌う」という行為は、人と人をつなぐコミュニケーションそのものだ。だから、今回、いろいろな歌を歌うことを通して、歌自体が持っている感情や背景を何かしら代弁できたら、日本と南米を結べたら、という気持ちで臨んだ。

メンバーは、世界的に活躍してきたウルグアイの巨匠ピアニスト、ウーゴ・ファトルーソとカナリア諸島育ちの敬愛するパーカッショニスト、ヤヒロトモヒロ。ルーツをしっかり持ちながらも超越しているこの二人と、南米で公演ができるなんて、何よりの幸せ、飛び上がって喜んだ。

タイトルは、『TRANS CRIOLLA~響き合う地平の向こうへ~』。いろいろなルーツが花開き、また響き合い旅をする、そんなイメージを描く。そして、この旅はそのイメージを遥かに超え、各地で新しい人を巻き込み、どんどん大きくなっていった!

南米ツアーを成功に導いた最強トリオ。ウーゴ・ファトルーソ(左)ヤヒロトモヒロと。©Mariko Itagaki

日本から30時間以上、ブエノスアイレスは、寒い乾いた冬だった。到着の日、大使館、日系人会の方々と、ウーゴたちウルグアイチームが待ってくれていた。10日間で6回公演、移動、リハーサル、そして公演という慌ただしいツアー。体調管理、睡眠だけは怠れない。ましてや大盛りの名物料理のお肉(アサード)ばかり食べていては胃がもたない! ウルグアイチームは、ウーゴと長い間組んできた照明のトンボ、音響のアルバロ、舞台のマルコ。3人は素晴らしいチームワークとセンスで公演すべてを支えてくれ、笑いの絶えない旅をさせてくれた。

名物アサード、最高に美味しい!

コンサートでは、まずウーゴ&ヤヒロのデュオDOS ORIENTALESで幕開け、ウルグアイのエドゥアルド・マテオの「ママに贈る歌」、オリジナル「真珠のモレーノ」などをトリオで演奏し、日本の歌やパーカッションとの即興も織り交ぜた。日本の歌は、ラテン、ジャズ、いろいろな音楽やリズムがリアルタイムで日本に注いでいた頃、美空ひばりが歌った米山一男の「日和下駄」。叙情的なポップソング「みんな夢の中」、そして、私が秋田県で子供の頃聴いていた、おおらかで大陸的な子守唄「ねんにゃこころちゃこ」を選んだ。

中盤から、各国のゲストを招いた。

ブエノスアイレスの第一回公演では、フォルクローレ、タンゴのフルート・ケーナ奏者として活躍するマルセル・チオディが美しい音色を聴かせてくれた。また、タンゴのバイオリニスト、会田桃子さんはその豊かなバイオリンの音色に昔懐かしいラテン歌謡の時代を垣間見せてくれた。初演は、いい緊張感とともに終えた。私にとってスペイン語で歌う初めての大舞台、精一杯歌って、いっぱいの拍手を受けて立っていることが夢の一場面のようで信じられなかった。これはツアーのまだ始まりでしかなかったけれど。

内陸の町コルドバの会場は、チェ・ゲバラが医学を学んだ場所であり、軍事政権に対して運動の中心でもあった、歴史あるコルドバ大学だった。知性にあふれ、過ぎた時代の学生たちの知への渇望が、時を超えて伝わってくるようだった。ゲストはフォルクローレ、タンゴのギタリスト、オラシオ・ブルゴス。彼のモダンでありながら優しい音、キレのいいギターとデュオで、北部の女性歌手エウロヒア・タピアのことを歌ったフォルクローレ「ラ・ポメーニャ」やタンゴ「ウルティモ・カフェ」を歌ったときの反響はとても大きく、人々に愛され続けている歌のもつ力に、心を揺さぶられた。

天才、魅惑のギタリスタ! オラシオ・ブルゴス。

ラプラタ川を渡って、海と川がまざる無限の水面を眼下に見て、ウルグアイのモンテビデオに着く。巨匠ウーゴはこの町に生まれ、この町を愛し、アメリカやブラジルに住んだ後、再びこの町に住んで国中の音楽家に敬愛されている人だ。余談だが、ウルグアイにはいい人が多い! ブエノスの都会性とは異なって、どこか田舎らしいシンプルさがある。それは、行ってみてなるほどと思った。銀色に光る広いラプラタ川が、海のようにそこに在って、町のどこから歩いても水辺へと着く。この開放感なのだ。ヤヒロさんは、モンテビデオがカナリア諸島そっくりだとしきりに言っていた。とても可愛い町で、植民地時代の建物もよく保存されている。

さて、モンテビデオも北部のサンホセも、ウーゴのカンドンベ・ユニット、レイ・タンボールの3人組がゲストだった。ウルグアイには、アルゼンチンでの迫害から逃れて多くの黒人たちが移り住んだ。カンドンベは、そんな黒人奴隷の太鼓音楽であり、コミュニティーの文化として存続している。3つの太鼓で刻みだされる力強くも繊細なリズムは、アフリカからつながる血が脈々と流れている。レイ・タンボールの3人は、まだ20代。彼らのどんな小さな音も聴き逃さない音楽性と誇りは素晴らしい。

美しい曲を作るシンガーソングライターのニコラス・イバルブルも参加してくれた。2公演ともカンドンベをもう2曲増やし、そして、ウーゴの尽力で、カンドンベのマスターであるフェルナンド・ロボ・ヌニェスさんとアドリアーナ・グランデさんがダンサーとして参加してくれ、満員の会場は大盛り上がりだった。短い時間だったけれど、カンドンベを現在も引っ張っているマスターたちの音楽をじかに聴けて、そして一緒ににぎやかな旅ができたことは、つくづく幸せなことだ……!

海沿いの町モンテビデオへ。
ウーゴとヤヒロさんと市場で。
フェルナンド、アドリアーナのしなやかで陽気なダンス。

ツアーも佳境に入った。モンテビデオからチリへ向かう。それは地図上でも、西から東へ一直線に南米を突っ切る旅だった。飛行機の窓からはしろい雲海が遥か遠くまで続いていた。飛行時間も終わりに近づいた頃、ぼんやりと向こうに目をやると、信じられない景色があった。雲の中に、にわかに光る雪に覆われた山脈が剣のように顔を出したのだ。アンデス山脈だった。5,000m級の山々が連なる南米大陸の背骨、そのあまりの神々しさに、涙が出た。そして、古くからこの山を行き来していた人たちに思いを馳せた……。

遠くにアンデス山脈が見える。

さて、最後の国、チリでは、地震の後で公演場所をみつけるのが大変だったそうだが、大使館の方々が一生懸命宣伝してくださったお陰で、その町並みそのものが世界遺産にもなっているバルパライソにあるバルパライソ大学も、サンチャゴのペニャロレン地区の文化センターも、満員のお客さんが最後までじっくりと聴いてくれた。最終公演は1,000人以上の人たちが、集まってくれた!

私にとって、チリとの個人的なつながりは、この国が生んだ歌手ビクトル・ハラだった。子供の頃、彼の歌「平和に生きる権利」などを、両親の世代が日本語で歌っていたのだ。60~70年代、ビクトル・ハラやビオレッタ・パラが、チリ中のフォルクローレや先住民の文化を収集、研究し、作曲し、新たなメッセージを宿して、チリの「新しい歌」「ヌエバ・カンシオン」が生まれた。南米中の著名な音楽家、芸術家がムーヴメントを押し進めた。1973年、ビクトル・ハラは、ピノチェトの軍事クーデターの時に拘束され、虐殺される最期の瞬間まで、共に拘束された人たちを励まそうと歌ったという。彼の歌は今でも人々の記憶と重なり、深い意味を持つ。南米の音楽を歌うとき、そういった歴史的背景を抜きにはできない。チリ公演は私にそれをもう一度教えてくれた。

ペニャロレン区文化センター公演の巨大な看板に全員感激!

チリで誰をゲストとして招こうかと迷った時、フランチェスカ・アンカローラの存在を教えてもらった。チリでは国民的歌手の彼女は、低音が響く温もりある声で、ビクトル・ハラへのオマージュ作品を作っており、彼の曲を現代風に洗練された要素を持ちながらも、チリならではのサウンドと深い表現力でカバーしている。フランチェスカは、ウーゴと同じように完全なるイタリア系で、人懐っこくてあたたかい、とびっきり素敵な人だった。歌う時、彼女はまるで女神のようだ。歌が内面の鏡だとしたら、その鏡は曇り一つない。

フランチェスカとは、2公演ともビクトル・ハラの曲「巻きたばこ」、フランチェスカの曲「破れた小旗」を歌った。ビクトル・ハラの歌を歌ったときの反応はとても深いものだった。たくさんの人たちが愛情のこもった言葉をくれた。本当に、歌ってよかったと思う。

そして、秋田の子守唄「ねんにゃこころちゃこ」は、フランチェスカと出会って、とうとうアンデス山脈の歌になった! パブロ・ネルーダが南米をうたった詩「Amor America(愛 アメリカ)」を日本語で読み、この歌を二人で歌うとアンデスにインディオの女性たちの声がこだまするのが聴こえるようだった。日本人の血と先住民の血がつながりを感じてくれたのか、皆がこの歌を南米らしいと言ってくれた。この子守唄が南米に巡ったことは、心から嬉しい。

最終公演地ペニャロレン区文化センター。アンデスの巌下でフランチェスカと。©Pablo Carvacho
会場を埋め尽くしたチリの人々。©Pablo Carvacho

旅して公演するごとに、TRANS-CRIOLLAは、私たちが考えていたものよりも遥かに大きな意味とメッセージを持った。出会った南米の人々と結びついて・・・。音楽は、聴いてくれている人たちの人生、豊かな想像力、人間性、音楽への愛情と結びついて、どんどん膨らんでいって、それが鳴り止まない拍手でかえってくる・・・。南米の土壌で感じたこの体験は一生忘れることない宝物になった。そして、私はもっともっと南米に魅了された。
 
最後になるが、各国で日系人の皆さんがとても温かくもてなしてくださった。日系人の方々は二つの文化を持っている。苦労しながらも助け合ってこられたぶん、おおらかで心優しい。その言葉はスペイン語と日本語が混じり合い、まさにクレオール。アンコールでカーボ・ヴェルデの日本語の歌「サイコー」を歌ったけれど、「サイコーダヨ」という日本語をすべての公演でお客さんが一緒に歌っているのは、なんとも幸せな瞬間だった。それを一番喜んでくれたのは日系人の皆さんかもしれない。

南米ツアーは、終わらない。
『TRANS-CRIOLLA』 は、日本で再演が叶う。カンドンベのレイ・タンボール、そしてチリのフランチェスカ・アンカローラを迎えて! カンドンベが日本に来るのは歴史上初めて。ぜひたくさんの方が、一緒にその瞬間を過ごしにきていただけたらと願っています。

レイ・タンボール(左からディエゴ・パレデス、フェルナンド・ヌニェス、ノエ・ヌニェス)。©Rey Tambor
フランチェスカ・アンカローラ。©Francesca Ancarola
『TRANS-CRIOLLA~響き合う地平の向こうへ~』南米帰国公演

出演
松田美緒(vo) http://www.miomatsuda.com/
ヤヒロトモヒロ(per) http://tomohiro-yahiro.com/
ウーゴ・ファトルーソ(pf、tambor) http://www.myspace.com/hugofattoruso
スペシャルゲスト:
レイ・タンボール(tambor) http://www.reytambor.com
フランチェスカ・アンカローラ(vo,g) http://francescaancarola.cl/
主催:国際交流基金(ジャパン・ファウンデーション) www.jpf.go.jp
日時:2010年11月10日(水)18:00 開場/18:30 開演
会場:Hakuju Hall (代々木公園駅/千代田線、代々木八幡駅/小田急線から徒歩5 分)

筆者プロフィール

松田美緒(まつだ・みお)

歌手。秋田生まれ。ポルトガルの民族歌謡、ファドに自己表現の形を見出し、2003 年、リスボンに留学。ファドをはじめポルトガル語圏の様々な音楽文化を習得し、カーボ・ヴェルデに歌手として滞在。大西洋の音楽世界をテーマに、ブラジルのショーロの音楽家と作った「アトランティカ」(2005)でビクターよりCD デビュー。以後、「ピタンガ!」(2006)、「アザス」(2007)をブラジルで録音。アルゼンチン、ベネズエラなど現在はスペイン語圏にも本格的にその世界を広げ、現地のミュージシャンとセッションを重ねる。2010 年にはウルグアイの巨匠ウーゴ・ファトルーソ(Pf)、ヤヒロトモヒロ(Per)と共に作り上げた「クレオールの花」を発表。確かな歌の力で世界をつなぐ、その歌声には、彼女の旅する様々な地域の魂が宿っている。
© Mariko Itagaki