ボサノヴァを体に取り込んだ
ルシッド・フォールの新しい音楽。

(2013.10.17)

ボサノヴァ2013

僕は1997年から渋谷でボサノヴァのかかるワインバーを経営しています。開店当時は、アシッドジャズ・ムーブメントがブラジル音楽を取り入れ始めた頃で、同時にカフェミュージックという日本独自の動きもあり、ボサノヴァが新しいリスナー層から興味を持ち始められた頃でした。

そんな音楽状況もあったのと、さらに「ボサノヴァのバーっていう切り口があったんだ」という物珍しさも手伝って、開店当時から連日、ボサノヴァを楽しむお客さまにたくさん来店してもらえました。

しかし、2013年の現在、「ボサノヴァのバー」を経営する人間にとって、「今ほどボサノヴァがカッコ悪い時期はないなあ」と感じています。決定的だったのは渋谷直角の『カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生』です。あの作品は東京のサブカル好きな人間の悲しみを上手く切り取っている名作なのですが、「ボサノヴァ」というイメージがいかに日本で消費されつくしたかというのを象徴的に僕らに示してくれました。

もちろん本物のボサノヴァ自体はずっと洗練された美しい音楽なので、おかしいのは僕らの状況の方なのですが。

Bar Bossa
Bar Bossa
ルシッド・フォールのこと

当店はジョアン・ジルベルトやアントニオ・カルロス・ジョビンといったボサノヴァ・スタンダードをかけつつ、その時々に僕が気に入った音楽を積極的に紹介するということをお店のコンセプトの大きな柱としています。

例えば中島ノブユキという天才音楽家や、アルゼンチンのカルロス・アギーレは正確な意味ではボサノヴァとは関係ないのですが、積極的にお店でかけました。

そして2013年の今、もう毎日のようにお店でかけていて、新しい音楽に敏感なお客さまたちに「今、かかっているの何ですか?」としょっちゅう質問されるミュージシャンがいます。

韓国のSSW、ルシッド・フォールです。

ルシッド・フォールの本名はチョ・ユンソク。1975年生まれ。1998年にミソニというバンド名義のアルバム『Drifting』でデビュー、2001年にルシッド・フォールというソロプロジェクト名義でファースト『Lucid Fall』を発表しました。『輝く秋』という意味の名前です。その後、途中でスイスのローザンヌ連邦工科大学大学院に留学して博士号を取得している期間もありつつ、2011年までに5枚のオリジナルアルバムと1枚の映画のサントラアルバムを発表しています。

そしてそのルシッド・フォールも僕や『bar bossa』のお客さまたちや、中島ノブユキやカルロス・アギーレがそうであるように、ボサノヴァ、ブラジル音楽の大ファンです。彼が好きなアーティストはアントニオ・カルロス・ジョビンやシコ・ブアルキ、カルトーラやリオ・デ・ジャネイロのエスコーラ・ジ・サンバ、マンゲイラです。

さらに、ルシッド・フォールはFMラジオで『世界音楽紀行』というワールドミュージック専門番組を持っていたそうです。

ルシッド・フォールも全世界で同時多発的に起こっていた「ボサノヴァ、ブラジル音楽を消化して、自分の音楽の血や肉として取り込む」という流れをとらえていたのです。

ブラジル音楽はいつの時代も“今”の音楽を一歩前に進めてくれる。

ボサノヴァ、ブラジル音楽を自分の音楽に取り入れるとき、様々なスタイルがあります。

全くブラジル人と同じように演奏するというスタイルもあれば、J-POPをボサノヴァでカヴァーするというような、表層的なところだけを利用するという方法もあります。

かつて中島ノブユキは「ボサノヴァとは僕にとってはコードの終わり方」という彼ならではの言葉を残しましたし、カルロス・アギーレは「僕らはミナス・ジェライスとは何かが繋がっているんだ」という地理的であり精神的な発想でブラジル音楽をとらえていました。

では、ルシッド・フォールはどんな風にボサノヴァ、ブラジル音楽をとらえて、自分の音楽に取り込んでいるのか。

ルシッド・フォールはボサノヴァの豊かさと繊細さと情熱を自分の音楽に取り入れているように感じます。彼はいわゆるボサノヴァのリズムを借りて演奏している曲もありますが、どちらかと言えばボサノヴァではない曲の方に「ボサノヴァの精神」のようなものを感じます。

かつての60年代のジャズがボサノヴァを取り入れて、息を吹き返したように、70年代から80年代のAORやフュージョンがブラジル音楽を取り入れて一歩前に進んだように、今でも全世界の音楽家たちが、ブラジル音楽を愛し、そしてそれを自分の音楽に取り入れています。

そして、僕ら日本人とも距離的にも歴史的にも近い韓国人のルシッド・フォールも同じようにボサノヴァ、ブラジル音楽を愛し、自分の音楽を進歩させています。

しばらく聞かなくなっていたボサノヴァのレコードを棚から取り出してきて、聞いてみませんか。そして、ルシッド・フォールも同時に聞いてみてください。

あなたは気がつくでしょう。ボサノヴァはいつだって新しいし、僕らの世界の音楽をいつも一歩前に進めてくれるんだってことを。また新しい音楽がそこでは始まっています。

『ルシッド・フォール』
ルシッド・フォール
2013年10月17日(木)発売 2,415円(税込) レーベル:インパートメント

【Track List】
01. あなたは静かに
02. 寂しいあなた
03. Kid
04. 歩いて行こう
05. Sur Le Quai
06. レ・ミゼラブル Part 1
07. ラオスから来た手紙
08. 綱渡り
09. 悪戯っぽく、或いは優しく
10. あなたの悲しみが見えるときは
11. 水になる夢
12. 鳥
13. 見えますか?
14. ムンスーの秘密
15. 心は夕焼けになって
選曲・解説:林伸次(bar bossa)


「あなたは静かに / ルシッド・フォール」