世界を驚かせる音楽教室 エル・システマのキセキ- 3 – エル・システマジャパン訪問記 ボクらのオーケストラ×ジャズ即興 初共演!!

(2014.12.12)
福島市総合福祉センター「はまなす館」。10時からの練習を前に、子どもたちが続々と到着してきた。© 2014 by Peter Brune
福島市総合福祉センター「はまなす館」。10時からの練習を前に、子どもたちが続々と到着してきた。© 2014 by Peter Brune
エル・システマとは今、世界を最も沸かせる指揮者グスターボ・ドゥダメルを生んだ驚異の音楽教育システム from ベネズエラ。シリーズ『世界を驚かせる音楽教室 エル・システマのキセキ』では世界のエル・システマをご紹介しています。第3回では日本のエル・システマで演奏する子どもたちに会いに、福島県相馬市に行ってきました。 

Through many dangers, toils and snares.
I have already come;
‘Tis grace has brought me safe thus far,
And grace will lead me home.
When we’ve been there ten thousand years,
Bright shining as the sun,
We’ve no less days to sing God’s praise
Then when we first begun.

恵みが私を家に導くだろう。そこに着いて1万年経った時、太陽のように輝きながら日の限り神への讃美を歌う。初めて歌った時と同じように。
『アメイジング・グレイス』より

東京発6時32分発はやぶさ1号。わずか1時間40分で仙台に着く。そこから車道で南へ向かえば1時間20分で福島県相馬市に入る。「エル・システマジャパン」が活動を始めた最初の地が、この相馬だ。朝10時、楽器を手に、普段着の子どもたちが明るいガラスのエントランスへすべり込んでいく。相馬市総合福祉センターはまなす館が「相馬こどもオーケストラ&コーラス」の練習場所。2011年3月、震災の折には避難所だったところだ。

あれから3年半が経った。毎週日曜はホールに小中学生や園児が集まる。「ひつじチーム」は初心者クラス。ヴァイオリンの4本の弦を、音名や文字ではなく色で識別したポスターを貼り出していた。幼児にも家族にも、楽器のしくみがわかる。中級の「バッハチーム」と壁のないワンフロアで練習する。音が混ざっても気にしない。いつかあちらのチームでかっこいい曲を弾きたいなあという意欲が育まれていくからだ。背もたれによりかかる子どもや、楽器の構えが下がる子どもも、がみがみいわず長い目で見守る。休憩時間に小学1年生と中学生が語らい、4年生が加わる。付き添いの母の背で、赤ちゃんが目をあけた。穏やかな空気がゆったり流れていく。

「バッハチーム」の練習がはじまった。初心者が個人レッスンではなくみんなと合奏しながら練習するのもエル・システマの特徴のひとつ。
「バッハチーム」の練習がはじまった。初心者が個人レッスンではなくみんなと合奏しながら練習するのもエル・システマの特徴のひとつ。
 
楽譜は世界の共通語。15分後、ボクらがアメリカの演奏家とセッション!?

エル・システマでは「奏でよ、そして闘え」と社会の困難に立ち向かうことを謳うが、その日の相馬の子どもたちの練習は、落ち着いた佇まいだった。難曲や華麗な技術への過酷な挑戦はない。大学生や社会人フェロー(指導補助者)の手拍子にあわせて音階練習を繰り返す。休憩時間はにぎやかでも、練習や演奏の時間がくればすっと静まり、耳を澄ます。そして自然体だ。

夕方4時から始まった交流会。このとき子どもたちがきらりと輝いた。その日、アメリカからクラリネットとマリンバのデュオ、ストルツマン夫妻が相馬を訪問していた。エル・システマジャパン代表理事の菊川穣さんは、夕方4時に練習後の子どもと交流会をして、夜7時に演奏会をして、そのあとは焼き鳥とワインで相馬市民と音楽家夫妻の懇親会をしましょうというのだ。震災以後、相馬には毎月のように音楽家が来訪する。国内外から来た来訪客を囲み、みんなで歓迎するムードがある。

交流会を控えて待っていると、フェローから子どもたちに手書きの譜面が配られた。『アメイジング・グレイス』。20小節ほどの自筆譜だった。リチャード・ストルツマン氏が今日のために編曲してくれたのだ。音の数は少なく、一見やさしそうにみえる。しかしそっと覗くと、チェロのパートは途中からジャズの薫り漂う洒脱なコード進行に変わっていった。クラシック音楽の古典をレパートリーとする相馬の子どもたちにこいつはくせもの、ナゾの現代音楽だ。そう、この楽譜はストルツマン夫妻から贈られた、ジャズ即興への挑戦状なのだ。それはいいんだけど、あと15分でこれやるの!? 

難しいところはフェローが個別に教えてくれる。今日のフェローは東京から夜行バスでやってきてくれた。夕方には新幹線で帰京するんだって。
難しいところはフェローが個別に教えてくれる。今日のフェローは東京から夜行バスでやってきてくれた。夕方には新幹線で帰京するんだって。
 ストルツマン夫妻が来てくれた。歓迎の演奏ならまかせとけ。練習のときとはひと味違う真剣な雰囲気だぞ。
ストルツマン夫妻が来てくれた。歓迎の演奏ならまかせとけ。練習のときとはひと味違う真剣な雰囲気だぞ。
 
型にはまらない子どもたち。
大陸的なEmotional feelings。

交流会の最後にミカ・ストルツマンさんが『アメイジング・グレイス』の入りの合図をすると、子どもたちは心得たものだ。立ちこめる霧のような長くゆったりした響きを醸しだす。リチャードさんのクラリネットがすいと旋律を入れ、自由な即興に変わった。霧のなかを漕ぎ進むような弓さばきで、子どもたちは演奏を終えた。ミカさんが叫んだ。「Amazing(すてき)! もう1回したい? したいよね!」。演奏家から子どもたちにアンコールがかかった。絶え間ない変容の連続がジャズであるなら、子どもたちは即興音楽の初航海に成功し、帰港したのだ。

ミカさんはこう話す。「真面目で演奏技術の高い子どもはこれまでも数多くみてきました。けれど相馬の子どもはのびのびとして、型にはまらない。大陸的。米国や欧州の香りもします。10年後が楽しみです」。

リチャードさんは「子どもたちの演奏に豊かな感情(Emotional feelings)があった」という。たとえば精神医療の世界では、感情は、個人や集団の持つmode(気分)という土壌にemotion(情動/情緒)が喜怒哀楽となって現れるとされる。気分の安定が損なわれていると、情動の制御が効かず、泣き続けたり喜び続けたりする。気分が安定していると、意識に支えられた感情が自由に現れる。一期一会の本番で情緒豊かな演奏ができるのは、相馬子どもオーケストラに安定した土壌があるからだろうか。子どもたちは演奏を通じて、世界の人と文化を身近に感じている。5年後、10年後、この土壌から旅立とうという意志が芽生えたときには、日本や世界のどこへでも漕ぎ出せるだろう。

ミカ・ストルツマンさん。米国在住のマリンバ奏者。熊本県出身。カーネギーホール等で数々の公演がある。ジャズの鬼才チック・コリアと共演し、楽曲提供を受けている。現代音楽の旗手スティーブ・ライヒの録音に参加した。2014年はブルーノート東京等で来日公演。「誰も私ば止められんタイ!」と歌う熊本弁ラップの弾き語りナンバーが始まると、相馬の大人も子どもも笑顔でいっぱい。はまなす館が手拍子で湧いた。熊本弁はニューヨークでも大好評!
“Everybody Talk About Freedom”You Tube

マリンバは木琴のなかま。赤、青、緑と、色とりどりのマレット(ばち)を数本ずつ両手に持って、時には床を踏み鳴らしたりしてリズムを刻む。
マリンバは木琴のなかま。赤、青、緑と、色とりどりのマレット(ばち)を数本ずつ両手に持って、時には床を踏み鳴らしたりしてリズムを刻む。
クラリネットはリード楽器。葦(あし)でできたアイスクリームのヘラみたいな部品を、舌で舐めて湿らせながら吹く。
クラリネットはリード楽器。葦(あし)でできたアイスクリームのヘラみたいな部品を、舌で舐めて湿らせながら吹く。
リチャード・ストルツマンさん。米国のクラリネット奏者。2度のグラミー賞を受賞。キース・ジャレット、チック・コリア、エディ・ゴメスらと共演を重ねる。 20世紀音楽の作曲家オリヴィエ・メシアン、武満徹とも接点がある。1973年結成の室内楽ユニット「タッシ」は斬新で深遠。2008年に再結成した。クラシックとジャズの融合するクロスオーバーと呼ばれる分野での第一人者でもある。相馬子どもオーケストラとの共演も、こんなオトナの雰囲気の編曲だ。
“Amazing Grace.” You Tube

エル・システマジャパンの練習風景より。
 

小学1年生の男の子。5歳からエル・システマに参加し、今年上級の「モーツァルトチーム」に移ってきた。高学年や中学生のおにいさんおねえさんに混じって、長いときは午前10時から午後16時まで練習に参加する。本番があればバスにのって1時間半、仙台まで遠征することもある。遠足より遠いけれどへっちゃらだ。楽譜には自分で書き込んだ運指や運弓の数字やマークが連なる。余白にはひらがなで「2がくしょうちょっとむずかしい」「がんばるぞ」と力強い決意も。「いま取り組んでいるモーツァルトの曲のどこが好きですか」と尋ねると、1小節に細かい音が16個ある速いパッセージを弾いて聴かせてくれた。これからは、難しい曲や長い曲にも取り組みたいという。年齢が低くても、能力と意欲が追いつけばどんどんチャレンジできるのがエル・システマの特長だ。

 
4年生のお兄ちゃんといっしょにはまなす館まで通ってくる。
4年生のお兄ちゃんといっしょにはまなす館まで通ってくる。
この日は、午前はバッハチームで、午後からは上級クラスで練習だ。お母さんにお弁当を作ってもらい準備万端。飽きることなく1日を過ごした。
この日は、午前はバッハチームで、午後からは上級クラスで練習だ。お母さんにお弁当を作ってもらい準備万端。飽きることなく1日を過ごした。
 
 

小学4年生の女の子。テレビで観た弦楽器奏者に憧れ、2年前に活動に参加した。エル・システマから楽器とケースの貸し出しを受け、自宅にも持ち帰っている。毎週日曜日はオーケストラに参加する。月曜から金曜までは小学校の器楽部で2時間練習し、18時に帰宅して夕食と宿題。そのあと30分間、妹と練習する。ゆっくりペースだった妹も、このごろやる気が出てきたようだ。上級クラスにあがったとき、どうしてもほしいものがあった。フルサイズのヴァイオリンだ。弦楽器は身長に応じて1/4、1/2などのサイズがあるが、買い揃えれば数万円かかる。弦楽器指導の先生に相談したら2週間後には交換してもらえた。エル・システマジャパンの楽器の無償貸与は子どもたちの成長や夢にも柔軟にあわせられるしくみだ。

 
楽器は毎日練習するのがとてもたいせつ。もし楽器が壊れてもだいじょうぶ。修繕ももちろん無償だ。
楽器は毎日練習するのがとてもたいせつ。もし楽器が壊れてもだいじょうぶ。修繕ももちろん無償だ。
 
 

隣町に住む60歳の横山さん。チェロ歴10年のアマチュア奏者だ。 練習中子どもたちに「力いれないでひいてみ、音が出るから」「弓、下向けて。弓、下動かして。そう弓、大きくなったよ」と投げかける。「声をかけると全然違いますね」と横山さんはいう。自己流に弾いていると構えにいいかげんなところが出てくる。指揮の先生から伝え聞いた「たぬきの持ち方、きつねの持ち方」を投げかけ、弓を持つ手の正しいかたちを子どもに問いかけるのだそうだ。

 
横山さんは練習中ずっと子どもたちの様子を見守りながら過ごしていた。困っている子がいたらすかさず声をかけていたね。
横山さんは練習中ずっと子どもたちの様子を見守りながら過ごしていた。困っている子がいたらすかさず声をかけていたね。
 
 

小学4年生の女の子。同じくチェロパート。横山さんに壊れたパーツを見せにきた。以前はトロンボーンをやっていたが、チェロはそれまで見たことがなかったから挑戦したくなったという。「横山さんはいい人。いろいろ教えてくれる」とにっこりした。

 
真剣な表情。エル・システマジャパンでは、子どもたちの希望があれば、演奏する楽器やパートも変えられる。
真剣な表情。エル・システマジャパンでは、子どもたちの希望があれば、演奏する楽器やパートも変えられる。
休憩時間もなかよし。おしゃべりしたり、みんなとおやつを食べたり、わからないところを教え合ったり。
休憩時間もなかよし。おしゃべりしたり、みんなとおやつを食べたり、わからないところを教え合ったり。

これが子どもたちの譜面。楽譜を読む練習もみんなでやる。読める子も、まだ読めない子も、自分のペースで。
これが子どもたちの譜面。楽譜を読む練習もみんなでやる。読める子も、まだ読めない子も、自分のペースで。

次回予告

ハル「ただいまー。ヴァイオリンって意外と軽かったよ。小さいサイズもいろいろあるんだな。」

ピート「相馬の子どもたち、いい表情していたね。」

黒猫「楽器や演奏機会。環境を創って子どもの活動を支えているのがエル・システマジャパンってわけか。」

学者「ところでエル・システマジャパンとはなにか、ここでいちど確認しておきませんか。一般社団法人エル・システマジャパンは2012年3月に設立され、7月にベネズエラのシモンボリバル音楽財団と協力協定を結びました。福島県相馬市を最初の活動場所とし『相馬子どもオーケストラ&コーラス』の活動と学校支援活動を展開しています。 」

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次回はエル・システマジャパンで活動するみなさんや、支援する方々に、東京や相馬で会ってきました。新しい社会支援組織の特長をご紹介します。

本連載には番外編もありまして、編集チーム BSYO ハルによるエル・システマジャパン訪問記はこちら。

BSYO / 黒猫 プロフィール:メーカー人事、ネットコンテンツ&コミュニティ開発を経てサイト企画制作へ。ライフワークはピアノ指導。)