スワヴェク・ヤスクウケが辿り着いた海の音、または海の音楽。

(2016.04.05)

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音楽と音の、まさに中間にあるようなもの。

日常的に音楽に接している仕事をしているからか、「音楽は今聴きたくないが、音は聴きたい」という瞬間がたまに訪れる。身体は音そのものを欲しているのだが、特定のジャンルの音楽は日常頻繁に接しているのでToo Muchという時間。昔からその傾向があったのだろう、学生時代の1980年代前半にエリック・サティ再評価の波があり、その“家具の音楽”というコンセプトにびっくりしつつ、しっくりもきた記憶がある。この当時 “環境音楽”とネーミングされたものも(のちに“アンビエント”という言葉で定着した)、おおいにもてはやされた。とは言え、これを突き進めた「風の音が好きです」とかそちらの方向にはいかなかった。やはりきちんと旋律が鳴っていて、情緒があり、しかし邪魔ではなく、自然と心のひだにしっかりと沁みこむような音。音楽と音のまさに中間にあるようなもの。個人的にはバロルド・バッドとブライアン・イーノの『The Pearl』(1984)というアルバムはその最たるもので、いまだに愛聴盤である(ちなみにこの作品にはダニエル・ラノワも参加している)。もしくは、同じくハロルド・バッドの『the room』(2000)も。禅問答のようだが「音楽は今聴きたくないが、音は聴きたい」という時にぴったりなのだ。

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生まれ育ったバルト海沿岸への憧憬。

この条件に合致する演奏スタイルは、ギター・ソロやピアノ・ソロが多く、現在に至るまで多くの盤に接してきた。その過程で、当然ながら音楽シーンも時代とともに様々な変遷や成長を重ね、こちらが満足するハードルも学生時代よりかなり高くなってしまったのだが、そのハードルを軽々と越えてしまった作品に突然出会ってしまった。それがポーランドのジャズ・ピアニスト、スワヴェク・ヤスクウケの『Sea』というピアノ・ソロ・アルバムだ。スワヴェクは1979年ポーランドの北部、バルト海沿岸の街ブツク生まれ。アルバムは既に9枚リリースしており、現代ポーランド・ジャズの最重要人物とも評されている。いわゆる“ジャズ作品”以外にもキャリア初期にはパンクやエレクトロニカを取り入れたバンドに参加したり、ドラムンベース的作品も発表したりと、おそらくポーランド・ジャズの風雲児的存在だったようだ(このあたりは、国内盤『Sea』のライナーを担当されたオラシオ氏の文に詳しい)。様々な経験を積み重ね、2013年に録音されたのが自身の人間としての原点回帰ともいえる「海」をテーマにした本作である。生まれ育った土地への憧憬は「海」というキーワード以外考えられなかったそうだ。

 
親近感溢れる古いピアノが起こしたマジック。

つまりこれは自身の内面、記憶へどれだけ寄り添えるかという主題のアルバムだ。そのピュアな気持ちを誠実に表現するため、自宅の作業室に置いてある練習用の古いピアノを録音で使用したという。調律も正確ではなく、なおかつ2本のマイクだけで録った音。それでも毎日のように触れる、自分にとって極めてインティメイトな存在であるこのピアノでないと、このパーソナルな主題はクリアできなかったようだ。そして、その発想は大きな果実となった。全編が静かに、美しい音、旋律、音像だけで埋め尽くされている。実はかなり饒舌にピアノを弾きまくっているのだが不思議とそんな印象はなく、これは極めて斬新なピアノ表現かもしれない。リバーブ処理されたピアノの音色も関係あるにせよ、これだけ映像的なサウンドは珍しい。当初はパーソナルな主題だったものが、海という(または海の記憶という)多くの人々が共有できるイメージの“音楽”と“音”にしてしまった。

スワヴェクはレコーディングする際に、海岸を何度も歩いたそうだ。おそらく砂浜についた彼の足跡は、自分の人生そのものだったはずだ。最終曲「Sea Ⅴ」だけは余白を感じさせるサウンドだが、その余白には彼の足跡がくっきりと残っているようで、胸が熱くなる。そしてピアノの音は、静かな海そのものと奇跡的に同化している。

※いくつかの事実関係についてはCDジャーナル誌2016年3月号掲載の、オラシオ氏によるスワヴェク・ヤスクウケ取材記事を参考にさせていただきました。

『Sea』
スワヴェク・ヤスクウケ
2016年3月23日発売2,500円(税別) RPOZ-10021 レーベル:コアポート

この海は決して漂うばかりではない。編まれた音がゆるやかに解きほぐされてゆく。
その波の流れの行くえを見守るあたたかな眼差し。慈愛につつまれる…。
中島ノブユキ (音楽家)

Sea 表1&4

【Track List】

01. Sea Ⅰ
02. Sea Ⅱ
03. Sea Ⅲ
04. Sea Ⅳ
05. Sea Ⅴ
*2013年ポーランド&ノルウェー録音
*スワヴェク・ヤスクウケ (ピアノ、作曲)