Another Quiet Corner Vol. 11 クルーナー・ヴォイスと楽曲の良さ、
アール・オキン発掘に感謝を込めて。

(2012.06.11)

「イギリスの面白いミュージシャンを見つけたんですよ」という連絡から

以前にここでダイアナ・パントンという女性ジャズ・ヴォーカリストを紹介しました。この作品をリリースしているのがMUZAK(ミューザック)というレーベルです。MUZAKのセレクションは特定のジャンルに偏らず、ジャズ、ボサノヴァ、ポップス、シンガー・ソングライターなど幅広いながらも、ある種特定の音楽ファンが喜ぶような職人的なこだわりを感じさせます。MUZAKのカタログは、まるで趣味の良いセレクト・ショップをのぞくような楽しさがあります。眺めているうちに「これも欲しいあれも欲しい」と気分は高揚してきます。そしてなぜかどんなジャンルの作品もMUZAKからリリースしているものは“MUZAKの音がする”のです。僕はこれがMUZAKの一番の魅力だと感じるのですが、たぶん愛情を込めて丁寧に作品をリリースしているからかもしれません。

ある日、レーベル・オーナーの福井さんから「イギリスの面白いミュージシャンを見つけたんですよ」と連絡がありました。そして僕の手元に届いた一枚のCD-RにはEARL OKINというまったく知らない名前が書かれていたわけですが、聴いてみると思わずニンマリしてしまうほど好みの音と歌声。なんだか福井さんには完全に自分の趣向を見破られているなぁとさすがに参りました。

しかしアール・オキンは一体、何者なのか? ジョアン・ジルベルトやマイケル・フランクスのような柔らかなクルーナー・ヴォイスに、心地よいアコースティックなボサノヴァ・サウンド……。そう珍しくはないのですが、アルバムにボサノヴァ・スタンダードと半々で収録されたオリジナル楽曲が。これを聴くと、彼が優れたシンガー・ソングライターであることがすぐにわかります。

そして、この謎のシンガー・ソングライターの経歴を調べるとさらに驚くべき事実が……。なんと彼はイギリスでは有名なコメディアンだったのです。1947年生まれの65歳で、現在も舞台を中心に活躍しています。コメディアンにしてこの洒脱な音楽センス、ただ者ではありません。僕はフランスのアンリ・サルヴァドールやアメリカのマーティン・マルといった同じくコメディアン&ミュージシャンを思い浮かべました。


アール・オキンの眠れぬ夜のボサノバ/アール・オキン

アール・オキン
英国では音楽史に名を刻んでいたアール・オキンの実力

彼の優れた音楽性を紐解く鍵は、彼がコメディアンとして活躍するもっと以前の60~70年代の活動にあります。実はデビュー・シングルはかのビートルズで有名なParlophoneレーベルからで、プロデュースはノーマン・スミス(後にハリケーン・スミスの名で大ヒットを飛ばす人物)。そのつながりでポール・マッカートニーに才能を認められてウィングスのワールド・ツアーの前座を務めたり、ジョージィ・フェイムやシラ・ブラックといったイギリスの有名なミュージシャンに楽曲を提供したりと地味ながら英国音楽史にしっかりと名を残しているのです。その後、とあるテレビ出演がきっかけでコメディアンの才能を開花させ、新たな道を歩んでいくことになるわけですが、彼の根底に流れる音楽性はけっして失われることがなかったということは、この作品を聴けばわかることでしょう。

ややもすれば日本では話題にもならなかったアール・オキンの音楽は、こうしてMUZAKが発見して僕たち音楽ファンに届けてくれたのです。前述したジョージィ・フェイムはもちろんのこと、コリン・ブランストーンやトム・スプリング・フィールド、フィルモア・リンカーンなど英国産ポップス~ボサノヴァを好きな方には自信をもってオススメできます。また先日MUZAKから発売された現代のチェット・ベイカーの異名をもつジャズ・ヴォーカリスト、リンカーン・ブライニーに魅せられてしまった方にもぜひ聴いてほしいと思います。

数年間、MUZAKのオフィスで開かれたパーティに参加したとき、ゲストがおしゃべりと食事に夢中になっている最中に、オーナーの福井さんはお気に入りのレコードを次々とターンテーブルに乗せて “MUZAKの音”の世界をつくりだしていました。アール・オキンもまたこの素敵なセレクションの仲間入りです。そうそう、僕はこの原稿を書き上げたらMUZAKのオフィスに行く予定なのです。この夏に発売する予定のコンピレイションの打ち合わせだと、こっそりお教えいたします。


左・リンカーン・ブライニーズ・パーティ/リンカーン・ブライニー
右・Seventh Son Going Home/Georgie Fame

North Wind Blew South/Philamore Lincoln

Another Quiet Cornerとは

このコラムはHMVが季刊で発行するフリーペーパー「Quiet Corner」の編集長・山本勇樹さんが、「Quiet Corner」で書ききれなかったアルバムやアーティストにまつわる話しを伝えてくれるコラムです。2009年10月、HMV渋谷店に伝説の売り場「素晴らしきメランコリーの世界」が誕生しました。この売り場は「心を静かに鎮めてくれる豊潤な音楽」をジャンルや国籍に関係なくセレクトするものでした。2010年1月に、bar buenos airesという選曲会で、その売り場の中心的な存在であるアルゼンチンの音楽家カルロス・アギーレと共鳴する音楽をかけて聴くというシンプルなイベントがスタート。イベントごとに制作、配られたフリーペーパー「素晴らしきメランコリーの世界」はHMV渋谷店閉店と同時に終了、2011年春「Quiet Corner」と名前を変え、まったく同じコンセプト&選曲者によって静かだけではない豊かでQuietな音楽を紹介し続けています。