梵(ぼん)な道具を聴いてみる。 第十六回紙の上を反復する、懐かしき残像。
白磁の水滴と粉板(朝鮮時代)。

(2013.10.29)

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「梵(ぼん)な道具を聴いてみる」第十六回は、朝鮮時代の水滴と携帯用の粉板(プンパン)を紹介します。朝鮮の工芸に感じる懐かしさとはどこから来るのか、この2つの道具が教えてくれるかも知れません。墨の匂いに紐づいた、遠い記憶と朝鮮の文房具について。

小学生の低学年の頃、自宅の隣にある「南さん」というお宅で書道を習っていました。現在はその成果がまったく反映されていないのがいささか残念ではありますが、当時はなかなか熱心に通っていたように思います。そこでは硯と墨を丁寧に擦るところから始まり文字の書き終わりまで、優しい南さんご夫妻は支離滅裂な子供にもやさしく丁寧に、書の巧拙よりもむしろ体の姿勢や紙を置く所作など書き終わるまでの「過程」に重点を置かれ、接しておられたように思います。

しかし習字という行為以上に、重みのある硯の存在感や墨に描かれている模様や色、そして墨を擦る時の匂い、添削に使用される朱色の墨の特権的な存在。それらの「重さ」が徐々に表層をなし、毛筆の柔らかさに快感を抱きながら書く、ということのフェティシズムに溺れる前に(しかし道具の記憶を残像として留めたまま)少年は南さんのお宅から足が遠のいてしまいました。しかし、よくよく考えてみれば現時点に引き継いでいる嗜好(性癖、というのが適当でしょうか)がこの頃に形成されたのはほぼ確実で、南さんの家の門扉を潜っていなければ今の自分は存在しない、そう言い切れます。

写真の水滴と粉板は朝鮮王朝時代後期に作られたものです。粉板とは習字の練習板のことで、本来は板書をするため800mm程度の木の板であることが多いのですが、これは紙で作られた携帯用です。朝鮮王朝時代は儒教が流布していて勉学に励むことで徳を積めると考えられていましたので、外でも字の練習に励んでいたのでしょうか。紙とはいっても手紙などの反古を使用して厚みを作り、表面には字が書きやすいように白漆を塗布してあります。これは黒漆では字の判別がしにくく、朱漆は高価であった所以かも知れません。手摺れで角が丸くなり、紙の表面はテカテカになっています。この粉板は「ありふれた風貌の、唯一無二の個性」という朝鮮の工芸の特質をよく現しているのではないでしょうか。

分院手の丸い水滴は、その形から「膝形の水滴」と呼ばれています。轆轤で完全な袋状に成形したその丸みと滑らかなカーブを持つ「膝」は、分院手特有の白い磁肌と相俟って朝鮮陶磁の魅力を万有し、昔から人気の高いものです。肌に浮かぶのは水の成分が長い時間を経て染み出た痕跡で、まるで晩秋の田圃に降り立った丹頂鶴のようです。そんな嬉しい偶然もまた、朝鮮工芸の魅力のひとつなのかも知れません。
 
墨の匂いは私にとって「奈良の記憶」そのものですが、朝鮮時代の工芸から感じるいいようのない懐かしさは、朝鮮(韓国)も奈良も山の文化であり、豊穣な自然とその土地に根ざした風習に育まれたという体験から来るものなのでしょうか。今は知る由もありませんが、考え続けたいテーマです。早朝、少年が霜の下りた畦道を歩いた記憶は、そのまま水滴の白さや粉板の土色に呼応しているかのようです。

霜降に聴きたい音楽

quoted out of context / MILDER PS

英国のポップ・グループ、プリファブ・スプラウトの楽曲をカバーした本盤を聴くたび、秀逸な原曲のメロディは耳に追いつかず、窺い知れぬ懐かしさだけが右脳からこぼれ落ちてくるようです。MILDER PSのリーダー、ヨアキム・ミルダーは優れた作編曲家でありテナー・サックス奏者。Quoted=引用はたしかに創造の糧となりますが、プリファブ・スプラウトの大ファンという彼の熱意は、誰の記憶装置にもない「懐かしい音楽」を作り上げてしまいました。プリファブの音楽を知らなくても十分に楽しめる内容ですので、静かな音楽を愛する人全てに聴いていただきたいと思います。ちなみにグループ名のMILDER PSのPSは…わかりますよね?

Bon Antiques展示会情報

11月2日(土)、奈良に実店舗『古美術 中上』がオープンします。
2011年よりBon Antiquesを営んでおりますが、この度、古美術 中上という小さな店舗を構え、より日本の暮らしや風土に生きる調度品を提案して参ります。考古や希少性も大事ですが、物が放つ「充実した美しさ」とは一体何かを皆様とともに考え、追求できるような場にしたいと考えております。より一層のお引き立てを賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

古美術 中上
奈良県奈良市登大路町57-5 Tel. / Fax. 0742-25-2566
営業:11:00〜18:00 月・火曜定休 

11月17日(日)は大江戸骨董市に出店します。
時間:9:00〜17:00(雨天の場合は中止。ウェブサイトにて開催情報をチェックして下さい)
場所:東京国際フォーラム(有楽町)