梵(ぼん)な道具を聴いてみる。 第十三回穀雨:恵みの雨が田畑を潤す頃、
小さな桶に樹の恵みが滴り落ちる。

(2013.04.20)

「梵(ぼん)な道具を聴いてみる」第十三回は、職人が漆の収穫に用いる漆桶をご紹介。酷使された職人道具は、いつしか花映りの良い花器として床の間を飾ることとなる。古代より漆を利用してきた日本人ならではの見立てに主軸を置きながら、漆桶の魅力に迫る。

漆桶とは。

五月から十一月にかけて、漆の木の樹皮には四日ごとに刃物が入る。漆の原液(樹液)は樹皮を傷つけることで少しずつ流れ出してくるため、時間差を利用して樹液を採取していく。一本の木から採取される漆は30センチの樹幹でも牛乳瓶一本分ほど、漆がいかに貴重な自然素材なのかがわかる。

その漆を採取する時に利用するのが漆桶である。ホウの木の樹皮をはぎ、蒸気に当てながら筒状に曲げ、補強のために周囲を紐で縛りつけた後に杉材などの底を貼れば完成。職人はその漆桶を肩から担ぎ、漆の樹液を採取していく。漆は空気に触れ固まると黒色に変化するため、使い込まれた漆桶の表面ガチガチ、担ぎ紐まで真っ黒だ。余談だが漆桶は真っ黒な物体を総称することで、漆桶(しっつう)=長年の間に付着した先入観念(煩悩)を表す言葉としても用いられる。

漆桶が花器になった。

使い込まれた漆桶は、漆という究極の自然素材が作り上げる一個の芸術作品である!と目尻を上げながら語ることができるのも、先人の彗眼による。「漆桶に生けた花は長持ちする」といわれて久しいが、骨董蒐集で有名な作家の白州正子が積極的に取り上げたため漆桶の人気は正に鰻登りであった。

我々日本人は箱庭好きである。小さな自然を家の中にまで持ち込み賞玩する文化の代表格、盆栽を始め、床の間のために季節の花を手折ったりする。漆桶は本来、職人道具であり花器ではないが、昔の人はその豊かな表情に「小さな大自然」を見たのではないか。だからこそ花との相性もよく、却って現代の無機質な空間にとてもよく似合う。

漆桶は市販されておらず全て職人が手作りし繰り返し何年も使用する。勢い市場に出回る数も少ない上、またその中から更に雰囲気の良い漆桶を探すのはなかなか骨を折る仕事なのだ。一時はその希少性からニセモノの漆桶まで出来(しゅったい)、我々古物商は漆桶にまで目利きが要求される時代なのだ。

写真の漆桶はそれほど時代はないが、一般的なものよりも直径が大きく類品を余り見ない。担ぎ紐は切れ、曲げ木を補強するための紐もどこかへ行ってしまったが、数カ所の干割れや雨雲のような模様がアブストラクトな雰囲気を作り出している。欲目かも知れないがこの漆桶を購入する時、光悦茶碗の名作「雨雲」に似ている、と思った。在るべき風景を思い描きながら作為で作った楽茶碗と作為の対局にある漆桶。これは結果論だが、両者共通の通奏低音があるとすれば「脆く儚い自然を慈しむ」ということではなかろうか。

花も良いけど、この時期のイタヤカエデや背の高い水草なども格好よく決まるのだろうなー、と考えながら足は近所の林へと進み花曇りの空の下、剪定ばさみを握った手はそっと幹へと差し出されるのであった。

穀雨に聴きたい音楽

Music for Egon Schiele / Rachel’s
レイチェルズはアメリカのポストロック・ユニット。1995年に製作されたこのアルバムは彼らの2枚目の作品で、イリノイ大学で行われた画家、エゴン・シーレを題材とした演劇のサウンドトラックとのこと。ピアノ、ヴィオラとチェロのみという室内楽的な構成から聴こえてくるのは、「休日に土手に寝転びながら空を仰ぐ」といった非日常な行為の中にこそ私たちが考える日常があるように、一見我々が想像する室内楽のマナーを踏襲しながらも、何かを超越した時に宿る美しさである。それは、漆桶の花器が放つ「見立てのよい空気」にも通じるものなのかも知れない。

Bon Antiques展示会情報

4月28日(日)〜5月6日(月・祝日) 座辺の初夏たち – さわやかな骨董 – 展
時間:11:00〜18:00(会期中無休/店主在店日は4月28・29日)
場所:丹羽茶舗(〒871-0054大分県中津市京町 1-1530-1)
Bon Antiquesの展示会としては九州初上陸です。タイトルの通り、酒器や花器など座辺に置いて楽しめる初夏らしい骨董を御用意しお迎えいたします。