『雨と休日』が描く穏やかな
音楽の風景「窓につたう雨は」。

(2013.06.21)

『雨と休日』が描く穏やかな音楽の風景

「店の名前は、『雨と休日』です」──と今度独立し小さなCDショップをオープンさせるという彼からその名を聞かされたとき、それ絶対に成功するよ!と伝えたのは飲みの席だったか、メールでのやりとりだったか、今となっては思いだせない。でも心の中では、え〜ズル〜い!という妬みの叫びをあげていたことはたしかに思いだせる(それがたとえラーメン屋の屋号だとしても、人気店になると思いませんか。魚介だしのあっさり塩味っぽいじゃないですか)。

なんだかとても音楽的趣味に優れたこのサイトの読者なら、その東京・西荻窪にあるCDショップ『雨と休日』のことはすでにご存知だろう。一点一点ていねいに店主の耳を通して選りすぐられたCDが美しく並ぶ、空間を生かしたディスプレイに定評のある雑貨店や骨董品店を思わせる佇まいの店。“穏やかな音楽を集める”というコンセプトで、ジャズ〜クラシック〜ボサノヴァ〜ノスタルジックなポップ・ミュージック〜アンビエント・エレクトロニカといった多様な音楽ジャンルを横断して選りすぐられたCDのラインナップは、大型の店舗や、ひとつのジャンルだけに特化した専門店では決して出会えない、ジャンルの垣根の制約のせいで今まで見えてこなかった“穏やかな音楽”という新鮮な風景を、もの静かに描きだしている。

そして、その “穏やかな音楽” を選りすぐるものさしというものも、もともとクラシック音楽に造詣が深い彼ならではの、ポップス一辺倒の目線ではない尺度の目盛りがあるような気がする。彼を通過したことで、その音楽に本来存在していたなめらかな透明感や温かみが穏やかに浮かび上がり、風通しのいい洗練を帯びた新しい鳴りかたを醸しだすような。武満徹に倣うなら、時間(とき)の園丁、ならぬ、時間の彩りの園丁という仕事を彼はしているのかもしれない。

そんな店主が音楽に込めた思いと温もりの心地よさを共有したいというときには、やはり本人が手がけたコンピレイションを聴くのがいい。すでに2年前、中低音域の音像で描かれた、静けさに心震うアコースティック音楽ばかりを集めた『部屋、音楽が溶けて』で、その独特の“雨と休日”ワールドを展開し、多くの賞賛を得ているが、そんな店主が編む世界感がより鮮明となってゆく2作目となる待望の新作コンピが、ユニバーサルミュージックより6月12日にリリースされた。

雨を想うアルバム──『Rains and Holidays Vol. 1 – 窓につたう雨は』

「窓につたう雨は」と題された本作は、今後継続されるコンピレイション・シリーズ『Rains and Holidays』第1弾の「雨」がテーマのアルバムで、まさに幕開けに相応しい時候の今、絶好のタイミングでの登場となる。“水滴がついた窓越しに雨の景色を眺め、感傷的な気持ちになっている……”という店主のイメージ・コンセプトが反映された、窓をつたう雨の雫ような緩やかなテンポ感の楽曲ばかりで連ねられたこのアルバムは、まるで映画や小説の中にもぐりこんでしまったかのように、その場の時間の流れや、空気の質を変える何か目に見えない不思議な力を作用させるようだ。

ではアーティストと収録曲を簡単に紹介してみよう。

「Peanuts」、いわゆる日本で言う「スヌーピー」のアニメーション版の音楽を担当したことでその名を広く知られる、折衷主義を標榜したチャーミングなジャズ・ピアニスト、ヴィンス・ガラルディが奏でる、雨の日の憂鬱に遠い記憶の中の感傷が柔らかく滲んでいく「Rain, Rain Go Away」に始まり、現在はジャズ・ピアノのエリート集団“100 GOLD FINGERS”にリーダー格として名を連ねる名手、ジュニア・マンスのピアノ・トリオによる、春の雨の切なさを優美なメロディーで綴るビング・クロスビーの名唱でも知られる「Lilacs In The Rain」。

スウィートで小粋なエンターティナー、マイケル・ファインスタインの深く落ちついた美声と、クール・ジャズの第一人者として名を馳せたピアニスト、ジョージ・シアリングのピアノだけによるシンプルな編成が歌の静謐な世界をより際立たせる「September In The Rain」に、映画『真夏の夜の夢』の白昼のステージの圧倒的なイメージが焼きついてはなれない、白人女性ジャズ歌手、アニタ・オデイのしっとりとしたハスキー・ヴォイスが、雲間にうっすらと広がる淡い陽射しのようなストリングスの中をゆったりとたゆたう「When Sunny Gets Blue」。


左:Vince Guaraldi / OH GOOD GRIEF!
右:Junior Mance / Junior

左:Michael Feinstein & George Shearing / Hopeless Romantics
右:Anita O’Day / Waiter, Make Mine Blues

新しい感性でチェット・ベイカーへの敬愛を表現した、ドイツ生まれの新世代実力派トランぺッター、ティル・ブレナーが翳りを帯びた伸びやかなトーンで柔らかな哀しみを伝える、ピーター・フェスラーによる洒脱なカヴァー・ヴァージョンなども高い人気を誇る「Here’s That Rainy Day」に、4ビートから先鋭的なスタイルまで多彩に手を広げながらも、叙情的な音色とフレージングで人気を誇るベースの名手チャーリー・ヘイデンと、キューバの至宝とも言われるジャズ・ピアニスト、ゴンサロ・ルバルカバによる、穏やかなラテンのリズムが真夜中の雨の訪れを予感させるかのようなスペインのボレロ・ナンバー「Esta Tarde Vi Llover (Yesterday I Heard the Rain)」。

ジャズの垣根を越えシンガー&ピアニストといったスタイルに幅広いポピュラリティーを与えたカナダ出身のダイアナ・クラールが、ギターにラッセル・マローン、ベースにクリスチャン・マクブライトという辣腕を従え、音もなく降り注ぐ雨のように繊細な響きを紡ぎだした「Gentle Rain」に、“Mr.335”の愛称で知られるフュージョン・ギタリスト、ラリー・カールトンが、メロウ・グルーヴ〜シンガー・ソングライター・ファンに人気を誇る73年作『Singing / Playing』以前に発表していた知られざる68年のデビュー作に残した、ウェス・モンゴメリーの強い影響を感じさせる国内初CD化音源「When Sunny Gets Blue」。

惜しくも昨年他界してしまった、後に多大な影響を与えるフォーキー・ソウルの傑作を60〜70年代に残し、90年代アシッド・ジャズ・ムーヴメントで奇跡の復活を遂げた偉大な音楽家、テリー・キャリアーによる、チャールズ・ステップニーの浮遊感あふれる乾いた音像処理も印象的な心打つ弾き語り「Occasional Rain」に、ジャズ界のファースト・レディーと讃えられた20世紀のトップ・ヴォーカリスト、エラ・フィッツジェラルドの悲運な晩年に残された、超絶のテクニックで誇るジャズ・ギタリスト、ジョー・パスとのデュオによる、まるで揺り椅子に身をゆだねているかのように至福の気分が広がる甘やかなスキャットとアコースティック・ギターが織りなす「Rain」。


左:Till Bronner / love
右:Charlie Haden & Gonzalo Rubalcaba / Land Of The Sun

左:Diana Krall / Love Scenes
右:Terry Calloer / Occasional

時代の流れと共にソウルやポップスまで多種な楽曲をレパートリーにする懐の深さをもつ、女性ジャズ・シンガーの代名詞的存在のカーメン・マクレエが、80年代当時も決して衰えない圧倒的な表現力で哀切と憂いの情感を歌い上げた、ナット・キング・コールに捧げられた「Come In Out Of The Rain」に、深みのあるブルーが似合うオランダの女性ジャズ・シンガー、アン・バートンの77年の日本制作盤より、ピアノだけをバックに囁くように歌う、インティメイトな雰囲気が絶品のロジャー・ニコルス&ポール・ウィリアムスの名曲「Rainy Days and Mondays」。

北欧のジャズ・シーンにフレッシュな驚きを与えた若き歌姫、トルン・エリクセンが、ガット・ギター1本をバックに呟くような歌声が胸に沁みる、まどろむような温もりに包まれるベッドルーム・ポップなフォーキー・チューン「Umbrella Song」、そしてアルバムを締めくくる最後の曲は、雨の歌では他にもマーゴ・ガーヤン「Think Of Rain」など哀しげな曲のレパートリーがなぜか多い、60年代ソフト・ロック・ファンには説明不要のウィスパリング・ビューティー、クロディーヌ・ロンジェが、まるで天使が舞うようにイノセントな声で綴るランディー・ニューマンの悲しき雨の歌「I Think It’s Gonna Rain Today」──。

世界でも日本人は、とりわけ雨に詩情を感じる人種だという。そんな繊細な美意識を持つわたしたちの琴線に深く触れる、雨の日の情景を慈しむ“穏やかな音楽”を集めたこれ以上にない一枚。今日はもう雨は降りそうにないようだけど、僕はこれから、雨と言えば思いだす村上春樹の短篇「バースデイ・ガール」のページを繰りながら、もう一回繰り返し聴いてみようと思います。では。


左:Carmen McRae / You’re Lookin’ at Me (A Collection of Nat King Cole Songs)
右:Ann Burton / BURTON FOR CERTAIN

左:Torun Eriksen / Passage
右:Claudine Longet / Colours