作家はウイスキーをどう飲んだか?
ウイスキー粋人列伝

(2013.07.05)

ここ数年、ハイボール人気が復活している。かつて親しんだ中高年も、初めて接する若者も改めてウイスキーの実力を再認識している。今では当たり前のように存在しているウイスキーであるが、日本の近現代のなかで琥珀色の蒸留酒はいかに飲まれてきたか。その軌跡を作家、政治家、音楽家、実業家など著名人90人のエピソードを通じて描いたのが矢島裕紀彦さんの新刊『ウイスキー粋人列伝』である。

著名人90人の飲み方、
酔い方で見える日本人とウイスキー

「今までの取材を通して業績を残した著名人と衣食住、特に食にとのつながりには関心がありましたね。文学者でも政治家でも、酒などにまつわるエピソードを拾い上げると、人間像が生き生きしてくるというか、生活者としてのふくらみが表現できるんですよ。」

矢島さんは今までも『文士の逸品』、『文士が愛した町を歩く』、『鉄棒する漱石、ハイジャンプの安吾』などの著作をまとめている。近現代の文学者や文化人などの足跡を多くのエピソードや彼らの愛用品を通してたどり、近代化以降の日本の姿を追ってきた。その取材のおりおりに酒、特にウイスキーにまつわる痕跡を目にしてきたという。たとえば、吉田茂が高知の定宿として利用した城西館に残されたオールドパー。大切に保管された古いボトルからは激動の時代を生きた政治家の存在を身近に感じたという。

また、その吉田茂の懐刀として敗戦の混乱期にGHQと渡り合い、戦後復興に尽力した白洲次郎はケンブリッジ留学の縁もあって、マッカランを愛飲。彼の自宅・武相荘にあったウイスキーの樽の存在をかつての取材のおりに確認している。大学時代からの友人で終生、交流したストラッドフォード伯爵からスコッチ・ウイスキーを樽ごと送ってもらっていたものらしい。

「今までの取材の蓄積がありましたから、この新書の企画が立ち上がったとき、ウイスキーを切り口にして、20人から30人くらいのエピソードの見当はありました。そこから先、近現代の著名人のどれほどのエピソードが集まるかどうかは多少の不安もありましたが。」

手持ちの資料の再検討から始まり、サントリーの協力を仰いで同社資料室に編集者とともに篭って酒にまつわる様々な資料や雑誌『洋酒天国』、『サントリークォータリー』のバックナンバーなどを渉猟。さらに図書館にも通いつめた。著名人の写真資料は『文藝春秋』が長年にわたって、撮影、収集してきたストックの中からまさに酒を飲みかつ語る作家、文化人の姿を発掘したという。

日本のウイスキー、90年の歴史を辿る

そもそもウイスキーと日本人との初めての邂逅、それは時代を幕末の黒船来航まで遡る。1853年、浦賀奉行所与力の香山栄左衛門が黒船船中で供応を受けたものが記録に残る日本人初のウイスキー体験という。海外より伝来した強烈な蒸留酒、ウイスキーが人々の意識に刻まれ、一般化し、酒のひとつのジャンルとして確立していくには幕末からまだ長い年月が必要だった。明治時代はまだ薬の一種として扱われていたようだし、楽しみとして飲まれる酒としてのポジション獲得には日本社会の中でのまさに熟成期間が必要であった。

それを象徴的に語れるできごとが大正末期にあたる1923年に始まった。日本最初のウイスキー生産が大阪の山崎でついに始まったのだ。幕末から半世紀以上という雌伏のときを経て、ウイスキーを受け入れる素地が日本社会に整いつつあった証左であろう。

国産ウイスキー生産から90年。今ではスコットランド、アイルランド、アメリカ、カナダに日本を加えて世界の5大ウイスキーと呼ばれるまでに成長した。ウイスキーを極東の地に根付かせるべくウイスキー生産者、洋酒輸入業者たちの努力は言わずもがな。海外の文化、技術、制度を貪欲果敢に取り入れ、日本流に消化吸収、消費満喫する日本人の特異なる才能が欠かせなかったのではないか。サントリーのチーフブレンダー、輿水精一さんから矢島さんは次の言葉を引き出している。

「やはり飲み手のこだわりが、ウイスキーを育ててきたんだなあという思いがしています。日本の飲み手のレベルの高さが、ドライビング・フォースのような役割を果たしてきた。」

生年順に並べられた90人の著名人のエピソードはどこから読んでも、誰からページを開いても読める構成。関心のある人物を気の向くまま、ウイスキーの読む肴としてピッタリの一冊に仕上がっている。

池波正太郎

主な作品は『鬼平犯科帳』、『剣客商売』、『真田太平記』など。自宅の晩酌でウイスキーのオンザロックを飲み、仮眠を取った後明け方まで執筆。その後に必ずウイスキーで締めくくったという。「筆がのって来て、ぐんぐん書けているときは、古いベニー・グッドマンのレコードをかけながら、ぐいぐいとウイスキーをのみ、のみつつ書くことが一年に数度はある」(『食卓の風景』)という。


池波正太郎
井伏鱒二

代表作に『山椒魚』、『駅前旅館』、『黒い雨』など。ウイスキーは水割りを好んだというが、「よく飲みながら原稿を書くという人がいるが、あれはよくないね。酒の勢いで書くのはよくない。僕は飲みはじめたら飲むことに専念するんだ。」と口にしたという。


井伏鱒二

吉行淳之介

著作は『夕暮れまで』、『砂の上の植物群』、『驟雨』、『鞄の中身』など多数。バーで飲む酒はウイスキーに決めていたという。男女問わずファンが多く、根城にしていたバー『まり花』では来店の電話があっただけで、店内の空気が華やいだという。伝説のダンディズムを彷彿とさせるエピソードである。


吉行淳之介(左)と遠藤周作、近藤啓太郎など
坂口安吾

『堕落論』、『白痴』などで人気作家になる。1949年夏ごろから静岡県伊東で妻の三千代と暮らし始める。音無川沿いの自宅では、居間兼客間で食事をし、酒を飲み、編集者や知人がやってくると昼夜関係なく酒盛りをした。サントリーの角瓶を炭酸割りにして飲んだという。


坂口安吾(右)と安岡章太郎

小津安二郎

映画監督。『東京物語』、『晩春』など多数の作品を手がける。戦後、新橋に開店したバー、『ジョンベッグ』が行きつけの店だった。コニャックのヘネシー・エクストラとともに、店名にもなったスコッチ、ジョンベッグを愛飲したという。1962年に公開された最後の作品『秋刀魚の味』ではサントリーのオールドが作品に登場。東野栄治郎演じる教師が同窓会に招かれ、帰り際に手土産としてボトルが差し出される。「持ちましょう」と教え子たちの申し出に対し酒瓶を手放さない様子が描かれている。昭和30年代にはウイスキーが特別な存在であったことを示す演出となっている。


小津安二郎と女優 岡田茉莉子、司葉子

村治佳織

ギター演奏家として幼少時から多くの国際コンクールで優勝。CD作品は『KAORI MURAJI EARLY BEST』、『Prelude』、『Soleil -Portraits2』など多数。高校卒業後、パリに留学。欧州で酒と出会う。ウイスキーについては「味の前にまず匂いが好きです。香水の香りをかぐのと同じような感覚で『すっごくいい匂いだなあ』と思って。あの琥珀色も好きですしね。スモーキーな香りのするもの、割と癖のあるものが好きになって、ラフロイグとかよく飲んでました。」


村治佳織
田村隆一

詩人、翻訳家、随筆家。若くして酒と文学を吸収していく様を次のような文章で残している。「新宿の居酒屋やバー(当時はスタンドと言っていた)をハシゴし、第一次世界大戦後のヨーロッパの文学と芸術運動について耳学問し、シュルレアリストの名前を覚える要領で、ヨーロッパの酒のラベルをおぼえ(略)小遣いがつづくかぎりスコッチを飲んだ。」(『ウイスキーに関する仮説』)。晩年は鎌倉の自宅でオールドパーの水割りを愛飲した。


田村隆一

写真提供/文藝春秋写真資料室(著者のインタビューを除く)

■『ウイスキー粋人列伝』筆者紹介 / 矢島裕紀彦
ノンフィクション作家。1957年東京生まれ。早大政経学部卒業後、出版社、編集プロダクションなどを経て、執筆活動に。前出他の主な著作に『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』、『心を癒す 漱石からの手紙』、『恋に死ぬということ』、『著名人名づけ事典』など。早慶戦に前夜から駆けつけ神宮球場に並び、夜明かしで飲んだのが自身のウイスキー初体験。今回の執筆で知ったクセのあるラフロイグの味にはまりそうと語る。ホームページ『アトリエ一冊屋』では夏目漱石の日常の素顔を伝える『日めくり漱石』を毎日更新中。
『アトリエ一冊屋』

『ウイスキー粋人列伝』
著者:矢島裕紀彦
発行:文春新書
定価:861円(税込)